2月14日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第159回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
今回はビタペクト3を7個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2137個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1960部となりました。
今回で通算173回目の配布となりました。
延べ人数ですが、2137人の子どもにビタペクトを、1960家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。
(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215
(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13
(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b
(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1
(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a
(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html
(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html
(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)
http://www.belrad-institute.org/
(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80
今回は3家族がSOS子ども村に保養滞在していました。
それぞれの家族に話をうかがいました。
(家族A)
グルボーコエ(チェルノブイリ原発から約450キロ)からお母さんが3人の実子と1人の子どもを連れてきていました。
この家族には3個のビタペクト3を渡しました。
この家族は2008年8月にも保養に来たことがあります。
そのときのようすについてはこちらをご覧ください。
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第78回」
それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。前回の保養のときに測定をした子どもはその結果も表記しました。
母親(事故発生時15歳)17ベクレル ○ → 16ベクレル
次男(16歳) 17ベクレル
三男(12歳) 27ベクレル ○ → 25ベクレル ○
次女 (7歳) 0ベクレル → 33ベクレル ○
男子(10歳) 22ベクレル ○
三男は急性白血病患者です。10歳の男の子は養子で、肝臓に腫瘍ができています。
今回このお母さんと話をすることができませんでした。子どもたちを連れて、小児腫瘍学センターへ診察や検査に行っており、不在だったからです。
それにしても、チェルノブイリ原発から450キロも離れた非汚染地域に住んでいるのにもかかわらず、子ども立ちは当然事故後生まれた子どもばかりなのに、全員被爆していて、ビタペクト3も飲まないといけない子どももいるのが残念です。
でもこれがベラルーシの現状なんですね。
(家族B)
コルマ(チェルノブイリ原発から約140キロ)からお母さんが4人の実子と2人の子どもを引率していました。
この家族には2個のビタペクト3を渡しました。
それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。
母親(事故発生時11歳)15ベクレル
長女(18歳)26ベクレル ○
次女(16歳)18ベクレル
長男 (9歳)17ベクレル
三女 (3歳)21ベクレル
女子(14歳)32ベクレル ○
男子(12歳)18ベクレル
14歳の女の子と12歳の男の子は姉弟です。
お母さんに話をうかがいました。
6歳の娘は体重が15キロで、やせており発育がよくないのではとお母さんは心配していました。
子どもたちは比較的健康だそうです。次女が慢性胃炎である以外は、子どもたちは比較的健康で、風邪をひくこともあるけれど、「こんなのは普通だと思う。」とお母さんは話していました。
お母さん自身は高血圧であること以外、健康には心配するようなことはない、と言っていました。ただ、出産を多く経験したせいか、私より若いのに歯がたくさん抜けていました。
でも、4人とか5人産んでも歯は丈夫、という人もいますから、このお母さんが歯が抜けているのは出産とは関係ないかもしれません。
お母さんはチェルノブイリ原発事故が起きたときは、ゴメリ市に住んでおり、結婚を機にコルマに引っ越したそうです。事故が起きた当初、放射能のことなど、気にしたりご両親は不安を口にしたり、していませんでしたか? と質問したのですが、
「全く気にしていなかった。うわさなども聞かなかった。平常どおり暮らしていた。」と現在に至るまで、楽観的に暮らしてきたようでした。
(家族C)
この家族もコルマからお母さんが4人の実子と来ていました。
この家族には2個のビタペクト3を渡しました。
それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を渡しました。
母親(事故発生時4歳)31ベクレル
長女(11歳)32ベクレル ○
長男 (6歳)29ベクレル ○
次女 (3歳)19ベクレル
三女 (2歳)20ベクレル
お母さんにお話をうかがいました。長男と三女は生まれつき、心臓の中に穴があいていましたが、長男のほうは自然にふさがり、三女のほうもそのうちふさがるだろうから、と特に何も治療は受けていないそうです。
長男は落ち着きがなく、神経系統の病気ではないかと、検査を受けて投薬治療中だそうです。私の目からすると、「ちょっとやんちゃな男の子」の感じしかしませんでしたが・・・
お母さんは長女と長男の2人はやせ気味のような気がするので、心配だと話していましたが、特に食が細いとか病気がちといったことはないそうです。
お母さんはまだ若いのに家族Bのお母さんと違って、関心が高く自らチェルノブイリ原発事故のことをインターネットで検索して、こういう事故があったのよ、と子どもたちに事故が起きた原因まで分かりやすく説明したそうです。
コルマは移住先に選ばれ、子ども時代、見る見るうちに移住者のための住居が建設されていったのを見たそうです。
この一家は畑を持っており、野菜を育てていますが、測定したことはありません。
もしできた野菜を市場で売る場合は測定が義務付けられています。でも一家は自分たちで食べる分しか作っていないので、測定をしたことがないと言っていました。
他にも豚を飼っていましたが、ベラルーシで豚インフルエンザが発生したときに、没収されてしまい、その後は鶏しか飼っていないそうです。
(このお母さんの話は「聞き取り調査」に追加しておきます。)
このお母さんはチェルノブイリ原発事故の記憶がない世代ですが、記憶がある世代よりよっぽど意識が高くてちょっと意外でした。
でも最近思うのは、親よりも中学生・高校生ぐらいの年代の子どものほうが、熱心に被爆対策の話などを聞いており、よく分からないのでかえって興味がある、という感じなのです。
SOS子ども村で出会うお母さんたちは子どもが多いので、どうしても今日の育児で頭がいっぱいになっている部分があるのですが、未来がある子どものほうが、自分の健康や将来のことを考える余裕があるようです。
こういう世代がベラルーシで育ってきているのはいいことですね。ただやはり非汚染地域に住んでいる子どもはあまり放射能のことに意識はいっていないようです。
画像は記念撮影したものですが、家族Aの一家が写っていません。
今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、着物で作った巾着袋などをプレゼントしました。今日はバレンタインデーだったので、折り紙の鶴以外に折り紙のハートも子どもたちにあげました。
最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。
今回はビタペクト3を7個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2137個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1960部となりました。
今回で通算173回目の配布となりました。
延べ人数ですが、2137人の子どもにビタペクトを、1960家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。
(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215
(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13
(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b
(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1
(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a
(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html
(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html
(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)
http://www.belrad-institute.org/
(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80
今回は3家族がSOS子ども村に保養滞在していました。
それぞれの家族に話をうかがいました。
(家族A)
グルボーコエ(チェルノブイリ原発から約450キロ)からお母さんが3人の実子と1人の子どもを連れてきていました。
この家族には3個のビタペクト3を渡しました。
この家族は2008年8月にも保養に来たことがあります。
そのときのようすについてはこちらをご覧ください。
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第78回」
それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。前回の保養のときに測定をした子どもはその結果も表記しました。
母親(事故発生時15歳)17ベクレル ○ → 16ベクレル
次男(16歳) 17ベクレル
三男(12歳) 27ベクレル ○ → 25ベクレル ○
次女 (7歳) 0ベクレル → 33ベクレル ○
男子(10歳) 22ベクレル ○
三男は急性白血病患者です。10歳の男の子は養子で、肝臓に腫瘍ができています。
今回このお母さんと話をすることができませんでした。子どもたちを連れて、小児腫瘍学センターへ診察や検査に行っており、不在だったからです。
それにしても、チェルノブイリ原発から450キロも離れた非汚染地域に住んでいるのにもかかわらず、子ども立ちは当然事故後生まれた子どもばかりなのに、全員被爆していて、ビタペクト3も飲まないといけない子どももいるのが残念です。
でもこれがベラルーシの現状なんですね。
(家族B)
コルマ(チェルノブイリ原発から約140キロ)からお母さんが4人の実子と2人の子どもを引率していました。
この家族には2個のビタペクト3を渡しました。
それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。
母親(事故発生時11歳)15ベクレル
長女(18歳)26ベクレル ○
次女(16歳)18ベクレル
長男 (9歳)17ベクレル
三女 (3歳)21ベクレル
女子(14歳)32ベクレル ○
男子(12歳)18ベクレル
14歳の女の子と12歳の男の子は姉弟です。
お母さんに話をうかがいました。
6歳の娘は体重が15キロで、やせており発育がよくないのではとお母さんは心配していました。
子どもたちは比較的健康だそうです。次女が慢性胃炎である以外は、子どもたちは比較的健康で、風邪をひくこともあるけれど、「こんなのは普通だと思う。」とお母さんは話していました。
お母さん自身は高血圧であること以外、健康には心配するようなことはない、と言っていました。ただ、出産を多く経験したせいか、私より若いのに歯がたくさん抜けていました。
でも、4人とか5人産んでも歯は丈夫、という人もいますから、このお母さんが歯が抜けているのは出産とは関係ないかもしれません。
お母さんはチェルノブイリ原発事故が起きたときは、ゴメリ市に住んでおり、結婚を機にコルマに引っ越したそうです。事故が起きた当初、放射能のことなど、気にしたりご両親は不安を口にしたり、していませんでしたか? と質問したのですが、
「全く気にしていなかった。うわさなども聞かなかった。平常どおり暮らしていた。」と現在に至るまで、楽観的に暮らしてきたようでした。
(家族C)
この家族もコルマからお母さんが4人の実子と来ていました。
この家族には2個のビタペクト3を渡しました。
それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を渡しました。
母親(事故発生時4歳)31ベクレル
長女(11歳)32ベクレル ○
長男 (6歳)29ベクレル ○
次女 (3歳)19ベクレル
三女 (2歳)20ベクレル
お母さんにお話をうかがいました。長男と三女は生まれつき、心臓の中に穴があいていましたが、長男のほうは自然にふさがり、三女のほうもそのうちふさがるだろうから、と特に何も治療は受けていないそうです。
長男は落ち着きがなく、神経系統の病気ではないかと、検査を受けて投薬治療中だそうです。私の目からすると、「ちょっとやんちゃな男の子」の感じしかしませんでしたが・・・
お母さんは長女と長男の2人はやせ気味のような気がするので、心配だと話していましたが、特に食が細いとか病気がちといったことはないそうです。
お母さんはまだ若いのに家族Bのお母さんと違って、関心が高く自らチェルノブイリ原発事故のことをインターネットで検索して、こういう事故があったのよ、と子どもたちに事故が起きた原因まで分かりやすく説明したそうです。
コルマは移住先に選ばれ、子ども時代、見る見るうちに移住者のための住居が建設されていったのを見たそうです。
この一家は畑を持っており、野菜を育てていますが、測定したことはありません。
もしできた野菜を市場で売る場合は測定が義務付けられています。でも一家は自分たちで食べる分しか作っていないので、測定をしたことがないと言っていました。
他にも豚を飼っていましたが、ベラルーシで豚インフルエンザが発生したときに、没収されてしまい、その後は鶏しか飼っていないそうです。
(このお母さんの話は「聞き取り調査」に追加しておきます。)
このお母さんはチェルノブイリ原発事故の記憶がない世代ですが、記憶がある世代よりよっぽど意識が高くてちょっと意外でした。
でも最近思うのは、親よりも中学生・高校生ぐらいの年代の子どものほうが、熱心に被爆対策の話などを聞いており、よく分からないのでかえって興味がある、という感じなのです。
SOS子ども村で出会うお母さんたちは子どもが多いので、どうしても今日の育児で頭がいっぱいになっている部分があるのですが、未来がある子どものほうが、自分の健康や将来のことを考える余裕があるようです。
こういう世代がベラルーシで育ってきているのはいいことですね。ただやはり非汚染地域に住んでいる子どもはあまり放射能のことに意識はいっていないようです。
画像は記念撮影したものですが、家族Aの一家が写っていません。
今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、着物で作った巾着袋などをプレゼントしました。今日はバレンタインデーだったので、折り紙の鶴以外に折り紙のハートも子どもたちにあげました。
最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。