電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」を聴く

2014年08月16日 06時05分30秒 | -オーケストラ
ふだん、プロコフィエフの音楽は好んで聴くのに、ショスタコーヴィチの音楽をすすんで手にすることはあまりありません。たんに好みの問題にすぎないとしても、どういうところがズレているのかには興味があります。

そのショスタコーヴィチの音楽の中でも、比較的昔からよく聴いていたのが、交響曲第7番「レニングラード」でした。題名の「レニングラード」といえば、燦然たる王宮と芸術の中心地ペテルブルグであり、ロシア革命の指導者レーニンの名を冠した、モスクワと対をなす古都である、というイメージでした。東の東京に対する西の京都、摩天楼のニューヨークに対する古都ボストン、というようなイメージです。

私にとって、彼の交響曲第7番と言えば、「ショスタコーヴィチのボレロ」の音楽を持つ大曲というイメージでした。世界史におけるレニングラード攻防戦の知識はあってもその実態までは知らず、ひの・まどか著『戦火のシンフォニー~レニングラード封鎖345日目の真実』という迫真のドキュメントを読むまでは、そんなスゴイ背景を持った音楽だとは思ってもいませんでした。

第1楽章:古典派交響曲ならほとんど1曲分に相当するような長い楽章です。堂々たる第1主題、穏やかで美しい第2主題は人々の平和な生活を表しているのだとか。ところが、そこから「ショスタコーヴィチのボレロ」を徹底的に反復するのですから、彼はまさにアジテーターの素質充分(^o^)/ 編成も大きければ響きも半端ではありません。とくに、転調して悲壮な雰囲気になってからは、まるで突撃決死隊です。思わず高揚してしまい、作曲者の術中にはまります。ただし、レハールの「メリー・ウィドウ」中の「マキシムへ行こう」の旋律みたいなのが繰り替えされるわけですから、「メリー・ウィドウ」をよく知っている人たちなら、「それでも僕はマキシムへ行くぞ。あそこは神聖な祖国を忘れさせてくれる」という趣旨の歌詞だったことを思い、アジテーターの本質(=自分は突撃せず他人を突撃させる)を発揮したと斜めに見ることもできるでしょう。
第2楽章:前楽章とともに、レニングラード脱出前に書かれていた音楽だそうです。こうした背景の中で書かれたとは思えない、意外なほどの軽やかさを持つ音楽ですが、なるほどと思うような懐旧的な優雅さと緊張感があります。
第3楽章:全曲中二番目に長い音楽です。廃墟の前に立つような空虚感が、しだいに諦めとは別なものに変化していくようです。
第4楽章:独ソ戦の最中に、戦火のレニングラードを逃れて、なんとか平穏さのある土地で書かれた曲ではあるにしても、逆に言えばソヴィエト政府の監視下での作曲活動だったのでしょう。でも、音楽はけっこう高揚感を持って書かれたと感じさせる、「勝利の音楽」のフィナーレです。

ロードノイズの多いカーステレオにはピアニシモの箇所が不向き、ミニコンポの小型スピーカで小音量で耳を傾けるにも不向き、できればステレオ装置で聴きたい。でも、さすがに大音量で何度も繰り返し聴くのはしんどい。というわけで、いずれにしろ日常的に聴いて楽しむような音楽ではありません。ショスタコ7を聴いた後に、シューマンの「幻想小曲集Op.12」を聴くと、思わずほっとしてしまうのが正直なところです(^o^;)>poripori

演奏は、エリアフ・インバル指揮のウィーン交響楽団、1991年3月、ウィーンのコンツェルトハウスで収録されたPCM/デジタル録音です。制作は川口義晴、録音とミキシングは後藤博、技術はホルガー・ヴァバッハ等とクレジットされています。CDはDENONのCOCO-70656、クレスト1000シリーズ中の1枚です。

■エリアフ・インバル指揮ウィーン交響楽団

I=28'38" II=11'46" III=19'07" IV=16'37" total=76'08"

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ひの・まどか『戦火のシンフォニー~レニングラード封鎖345日目の真実』を読む

2014年08月15日 06時01分10秒 | -ノンフィクション
七月の下旬から読んでいる新潮社の単行本で、ひのまどか著『戦火のシンフォニー~レニングラード封鎖345日目の真実』を読了、もう一度読み始めて再読了しました。往復の通勤の車中、CDでショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」を聴きながら、空き時間を見つけては7番のシンフォニーがレニングラード初演を果たすまでを追う期間は、たいそう充実した気分を味わいました。

ただし、「充実した」という表現は、あまり適切ではないでしょう。なにせヒトラーを信じ、リヒャルト・ゾルゲの警告情報を無視したスターリンが、ナチス・ドイツのソビエト侵攻の備えを怠り、独ソ戦の開始によってレニングラード市民がたいへんな苦境に陥る話です。

レニングラードの指導者は、あのジダーノフです。その下にあるラジオ放送局に所属するオーケストラ、ラジオ・シンフォニーと指揮者エリアスベルグは、国内だけでなく、国外にもロシアの音楽を届ける役割を持っているために、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルのように疎開するわけにもいかず、ドイツ軍によって封鎖されたレニングラード市内に残った多くの市民とともに、取り残されてしまいます。戦火の中でショスタコーヴィチは交響曲第7番を作曲していましたが、前半の2つの楽章が出来上がったところで、レニングラード市から家族とともに疎開させられてしまいます。

一方、残されたレニングラード市民は、ドイツ軍による封鎖によって物資の補給を断たれ、食料や電力、燃料の欠乏に苦しみます。何十万人という餓死者が出るような状況では、音楽家は一兵士、一労働者として、楽器を武器に持ち替えて、前線で働くしかありません。ショスタコーヴィチの交響曲第7番は、このような中で完成します。

ところが、独ソ双方のプロパガンダ合戦の中で、言語の障壁を飛び越えて伝えることのできる、知名度の高い音楽の役割は、戦意高揚の意味でも大きなものがあります。沈黙したラジオが流すメトロノームの音は、まるでレニングラードが餓死するまでの時を刻むかのようです。ソビエト軍の反撃が始まり、ジダーノフの一言で、ラジオは再び音楽を流し始めます。ユダヤ系のバーブシキンが指導しプロデュースしてラジオ・シンフォニーに音楽家が集められ、エリアスベルグの指揮で、ショスタコーヴィチの交響曲第7番のレニングラード初演に向けて準備が始まります。

ところが、当初はレニングラード初演にこだわったショスタコーヴィチも、国内初演が終わり、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルに演奏を委ねてしまうと、困難のただ中にあるレニングラード市とラジオ・シンフォニーには妙にクールというか冷淡です。少なくとも、スコアだけは送付してもパート譜は送らないというのは、レニングラード初演を歓迎し支援するという姿勢ではないでしょう。ジダーノフが嫌いなのか、封鎖され餓死者も出ているというレニングラード市でまともな演奏ができるはずがないという「見切り」なのか、あるいはカチンの森に見られるような、スターリンの周囲に高まる反ユダヤ主義の傾向を察知し、ラジオ・シンフォニーへの協力がユダヤ人への肩入れとみなされることへの保身があったのかもしれない、とさえ勘ぐりたくなります。

しかし、レニングラードのラジオ・シンフォニーは諦めません。スコアからパート譜を辛抱強く作成する作業が、ついに完成します。前線から楽員を呼び戻し、楽器を補修し、エキストラを増員し、初演に向けて練習を開始します。レニングラード・フィルが不在のため、本拠地のフィルハーモニー・ホールが使えます。そこから放送される演奏会は、ナチス・ドイツに対する反撃のシンボルとなるわけですから、おそらくは演奏会の最中に集中的な砲撃を受けるだろう。それを防ぐために、ドイツ軍の砲撃地点の詳細な地図が作られ、演奏会の前日に、ソビエト軍の集中的な反撃作戦が敢行されます。そして当日、ドイツ軍はほぼ完全に沈黙し、歴史的なレニングラード初演が行われます。



ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」は、戦火のレニングラードで書き始められた名曲であることは確かですが、その背景はそう単純なものではありませんでした。純なものも不純なものも混じり合った、清濁を飲み込んで流れる叙事詩のような作品だと考える方が良いようです。そして、巻末に掲げられた、レニングラード初演を行った演奏家たちの名簿が、迫力を持って迫ります。本書は、数ある著者の音楽書の中でも、一読に値する、価値ある作品と言えそうです。

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孫たちの帰省とお土産のノート

2014年08月14日 06時03分17秒 | 季節と行事
お盆を前に、孫たちを連れて娘夫婦が帰省しました。すでに小学生になった孫たちは元気そのもので、ジイサン・バアサンと一緒に観るんだと楽しみに持参した映画「アナと雪の女王」のDVDを、元気老母も一緒に鑑賞するなど、にぎやかな数日間をすごしました。渋滞を避けて台風の中を早めに帰京しましたが、発表会で弾いたクレメンティのソナチネなどを披露して、ピアノが上手になったことやお手伝いができるようになったことなど、孫たちの成長に驚かされました。



当方も、YouTube に投稿されている山形弁バージョンの「アナ雪」動画を紹介したところ、「雪だるま作るべ~」がいたくお気に入りの様子で、大きな声で歌っております。東京に戻ったとき「山形に行ってきた」証拠になると、いたずら好きなジイチャンは内心思わず「ヤッタネ!」と叫びました(^o^)/

【山形弁ver.】 雪だるまつくろう 【決定版】 音声合成です


東京都では、夏休みは40日もあるのに宿題はいたって少ないのだそうで、今回は朝顔の鉢植えセットを大事そうに持参してきています。なかなかきれいな朝顔です。



ところで、私へのお土産はノートでした。ダブルリングのボストン・ノートで、「万年筆に最適の紙で作りました」というキャッチフレーズが魅力的デス(^o^)/



孫たちが帰ると、一転して静かなお盆になります。例年であれば、お盆を過ぎればあとは朝晩の涼しさが顕著に感じられるようになるのですが、さて今年の残暑はどの程度になるのでしょうか。

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「あかつき」という桃の収穫

2014年08月13日 06時01分32秒 | 週末農業・定年農業
台風が来る前の、先週末・土曜日(8月9日)の記録をしておきましょう。「あかつき」という桃が赤くなりましたので、収穫をしました。この品種は、亡父が元気なときはずいぶん本数もあり、出荷もしていましたが、週末農業ではとても手が回らないために、今は一本だけになっています。我が家で一番早く収穫できる桃の品種です。



夕方、暑さを我慢して収穫したら、けっこうな収量でした。



少しだけ野鳥の食害がありましたが、幸いにほとんど虫もついていませんし、きれいな桃が収穫できました。



山形県は、実質的に北限となる桃の産地です。暑い暑いといいながら、このような桃がとれるのであれば、まさに太陽の恵みと言えましょう。さっそく仏壇に供え、今年はじめての我が家の桃を食べました。で、味は? たいへん甘くみずみずしいものでした。まさに週末農業の醍醐味、うれしい成果です。

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文具店に行き、リングノート用リムーバー付きファイル等を購入する

2014年08月12日 06時06分30秒 | 手帳文具書斎
いつもの文具店に立ち寄り、『Bun2』の新刊をもらってきたついでに、何か目新しい文具はないかと物色してみました。

まず、三菱のボールペン「クリフター:3色」ですが、これはクリップが強力で、紙ばさみやハードカバーのルーズリーフ用バインダーにはさんで使う等の用途にも適しています。しかも、本来の油性インクの替え芯(S-7S)以外に、愛用している多色のジェットストリーム用替え芯(SXR-80)も使えるらしいという情報あり。試してみようと、青軸を購入したものです。



次に、リヒトのリングノート保存用ファイルですが、これにはリングノート用リムーバーが付いていました。ふつうの8.47mmピッチのリングノート、例えばA5判で24穴のものを、リングを外してバインダーにまとめて一括保存するのに便利そうな、プラスチック製バインダーです。「made in Vietnam」とありますが、還暦超え世代には、一種の感慨を覚える表記です。




そして最後は、A5判/100枚という、厚手のツバメノートです。A5判で50枚のツバメノートは、書き味には満足しながら、備忘録として年間に五冊も消費するようでは、後で読み返すためにぱっと取り出すにはちょいと多すぎるだろうと考えたのでした。そんなわけで、今はコクヨの澪ペーパーを用いた「キャンパスハイグレード澪」にしたのでしたが、8月初旬ですでに3冊目も半ばに達している状況です。1冊100枚ならば、年間三冊程度という目安はクリアできるだろうと考え、試しに使ってみようと判断した次第。



こういうちょっとした買い物が、実は楽しい。しかも、日常生活に自然にとけこみます。定期的な文具店探訪が、なかば趣味になっている昨今です。

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複数のダブルリング・ノートを一冊にまとめるには

2014年08月11日 06時03分35秒 | 手帳文具書斎
2006年頃に使っていたB6判備忘録ノートは、ダブルリング綴じのせいで年度と番号がわかりません。できれば一冊にまとめ、背に年度を表示して本棚に立て、保管したいと考えました。要するに、ダブルリング・ノートを分解し、一冊にする方法があればよいことになります。
らせん綴じノートを分解するのは、けっこう大変です。一度経験がありますが、ニッパーでところどころを切断し、ラジオペンチで短くなったらせんのワイヤーを引っ張るのが現実的な方法でしょう。それに対して、ダブルリング・ノートの場合は、便利なオープナーが出ていたはず。いつもの文具店で売っているでしょうか? また、ワイヤーやリングを外したノートをどうやって一冊に綴じればよいのか、それもまた問題です。B6判のサイズに適合するバインダーなど、あまり見たことがありません。

一つの方法は、糸で綴じるもの。丈夫な麻糸のようなもので要所を糸かがりして綴じてはどうか。背のところは、製本テープなどを利用すればよいでしょう。
B6判40枚程度のノートを数冊合本して一冊にしたら、どんなふうになるのだろうか? 試してみる価値はありそうです。まずは、2006年と2007年分の四冊でしょうか。

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中公文庫編集部編『文房具の研究~万年筆と鉛筆』を読む

2014年08月10日 06時08分46秒 | 手帳文具書斎
書棚を整理していたら、何冊かの文具系の古い文庫本を見つけました。その一冊が、中公文庫ビジュアル版というシリーズから、『文房具の研究~万年筆と鉛筆』。中公文庫編集部編によるもので、手もとにあるのは、1996(平成8)年に発行された初刷本です。

本書の構成は、次のようになっています。

「人間は考える葦」であるならば (野沢松男)
■鉛筆が原点にあった
イギリスで発見された黒鉛と、ニュールンベルクの職人が築いた創世期。以来、鉛筆はある種の郷愁を誘い、ロマンを誘う、魅惑の筆記具であり続けた
鉛筆のサイズはアタから生まれた
鉛筆大好きー鉛筆の魅力の再発見ー (勝呂弘)
鉛筆物語:ファーバー・カステル、ステッドラー、スワン・スタビロ、カランダッシュ、三菱鉛筆
小さくなればなるほどいとおしうて、私のないじなもんになった"ちびえんぴつ" (大村しげ)
鉛筆に隠された地図 (伊藤喜栄)
■万年筆、この一本
明治の文豪たちが万年筆を愛用しはじめた底には、実用便利だけでない心のときめきがあったにちがいない (八木佐吉)
万年筆とワープロを巧みに融和 (西尾忠久)
万年筆物語:ウォーターマン、ペリカン、クロス、モンブラン、シェーファー、パーカー、パイロット
万年筆の旅 (朝倉則幸)
世界に一本しかない自分だけの万年筆~出会いがあり、育っていく筆記具の魅力 (中谷宗平)
コックは横文字が書けなければならない。このことから始まった私の万年筆コレクション (村上信夫)
ペン先は調整師に磨かれ、調整の技は客によって磨かれる
最後の万年筆職人:一本の手作り万年筆の向こう側には、四人の職人さんたちの顔があった (笠井一子)

1996年の暮れに購入し、その日のうちに読んだ記録が残されていますが、全く記憶に残っていませんでした。たぶん、DOS/VのコンピュータでWindows95とコンピュータ組版システム(TeX/LaTeX)に明け暮れていた頃です。文房具にずっと興味は持ちながらも、あまりピンとこなかったのではないかと思います。

再読して見て、感じたことが一つあります。それは、コンピュータなどデジタルな要素を廃し、郷愁と感性・感情に訴える構成になっていることです。かろうじてワープロを話題にしている西尾忠久氏の文章も、「ぼくは一通きりのハガキもワープロで打ってフロッピーディスクに記録を残しているが、署名は先刻も記したように緑インクの万年筆でしている」(p.85)という具合です。万年筆や鉛筆で原稿用紙を埋めているような、古いタイプの編集者が、自分たちのスタイルや、時代の証を残そうとしたのかもしれません。たぶん、コンピュータや情報機器と併存し、互いに補い合うような視点がなかったことが、ピンとこなかった原因ではないかと思い当たりました。

ただし、写真はきれいですし、ベテランの薀蓄は参考になります。例えば三菱鉛筆の創業者・眞崎仁六がパリ万博に参加して鉛筆の製造を志すくだりなどは、むしろ「歴史技術科学」カテゴリーで取り上げたいくらいです。文庫本というコンパクトな判型で、重たく大きい雑誌のかわりに寝床で懐かしく眺めるにはちょうどよい大きさです。

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市浦潤『文房具~知識と使いこなし』を読む

2014年08月09日 06時05分34秒 | 手帳文具書斎
書棚の整理をしていたら、昔の文房具関連の文庫本を見つけました。その中の一冊、昭和61(1986)年刊の新潮文庫で、市浦潤著『文房具~知識と使いこなし』を読みました。付いている帯を見ると、当時の新潮文庫のキャッチフレーズは「想像力と数百円」というもので、本書は480円でした。

内容は、二つの柱からなります。

■第1の柱:数ある文房具の中から選んでみると
 鉛筆、シャープペンシル、レッドホルダー、シャープナー、万年筆、ボールペン、マーカー、シリーズ筆記具、色鉛筆、ポーラスポイントペン、テープ&ディスペンサー、消しゴム&修正液、カッター&はさみ、クリップ、製図ペン、定規&コンパス、ノート、バインダー、ステープラー、椅子、手帳
■第2の柱:僕が出会った文房具たち、そして
 戦後、文房具がアメリカを運んできた
 アメリカへ留学して、多くの文房具に接した
 アメリカのオフィスで働き始めた

第1の柱は、いわばカタログ編で、代表的な製品をカラー写真で紹介するものです。コンピュータが個人に普及する以前の話ですので、ロットリング等の製図ペンの項目があるのに、クリアフォルダが紹介されないなど、今から見ると時代を感じてしまいます。

第2の柱は、いわば著者がアメリカン文具スタイルを中心とするようになった私的な経緯を述べながら、アメリカン文具の合理性と魅力、アメリカン文具を通して見た働き方のスタイルなどを紹介するものです。





うーむ、あらためて、約30年前には、クリアフォルダというのは普及していなかったのだな、と思い至りました。現在は、クリアフォルダというのはたいへん重要なビジネス文具の一つになっていると思いますが、意外に普及の歴史は新しいのかもしれません。

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ベートーヴェン「チェロソナタ第1番」を聴く

2014年08月08日 06時03分54秒 | -室内楽
私は、若いベートーヴェンの音楽を、わりに好んで聴いています。しかも、ピアノ三重奏曲第1番、ピアノソナタ第1番、ピアノ協奏曲第1番、交響曲第1番、弦楽四重奏曲第1番など、なぜか第1番には、自信作でステキな曲が多いと感じています。それは、チェロとピアノのためのソナタでも同様であり、Op.5-1という作品番号を持つこの曲は、当方お気に入りの音楽でもあります。

青木やよひ著『ベートーヴェンの生涯』によれば、作曲年代は1796年とのことです。フランス革命の後の反動の時代、前年にブルク劇場で自作のピアノ協奏曲や即興演奏を披露してウィーンに公開演奏会デビューしたベートーヴェンは、シュパンツィヒらの優れた弦楽器奏者を抱えていたリヒノフスキー侯爵邸で新作を発表し、話題となっていました。翌1796年には一人で演奏旅行に出かけます。プラハ、ドレスデン、ライプツィヒ、そしてベルリンへと旅をしますが、ベルリンに滞在した際に、音楽愛好家でチェリストでもあったプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム二世のために、新たにチェロ・ソナタを書き下ろします。これが、Op.5 の2曲のチェロソナタというわけです。王は、ベートーヴェンに金貨のつまった金の嗅ぎ煙草入れを贈り、宮廷楽長への就任を打診したそうですが、まもなく王が死去したために、この話は立ち消えになったそうな。(p.95~6)

なるほど、そういう経緯を知ると、この曲の堂々としたポジティブさが、ストンと納得できます。

第1楽章:序奏部はアダージョ・ソステヌート(音をじゅうぶんに保って)、ヘ長調、4分の3拍子。それまでは脇役に甘んじることが多かったチェロの音を主役に押し出して、印象的な始まりです。主部はアレグロで、ヘ長調、4分の4拍子。ここでは、朗々と主題を歌ったチェロが、ピアノとともに、様々に変奏を展開していきます。若々しく、かつ堂々たる音楽です。
第2楽章:緩徐楽章を持たず、すぐにアレグロ・ヴィヴァーチェ、ヘ長調、8分の6拍子で。ロンド形式を取り、主題がチェロに、ピアノに、何度も繰り返されて演奏されます。この前進力は、たしかにベートーヴェンのものでしょう。

従来、第3番や第5番を聴いてきたのは、ロストロポーヴィチのチェロとスヴャトスラフ・リヒテルのピアノによる、気魄に満ちた大きな演奏(*1)でしたが、近年は著作隣接権の保護期間が満了し、めでたくパブリック・ドメインの仲間入りをした、ピエール・フルニエのチェロとフリードリヒ・グルダのピアノによる演奏で、この若いベートーヴェンの音楽を聴くことが多くなっています。
第1楽章では遅すぎず、第2楽章も速過ぎない、ちょうどよいテンポで進みます。日常生活における親しみやすさという点で、繰り返し聴くにはフルニエ盤を選んでしまうのかもしれません。1959年の録音です。棚中のCDを発掘しなくても、パソコンの画面上ですぐにどちらかの録音を選ぶことができるのも、PCオーディオの恩恵の一つでしょう。

参考までに、Ubuntu-Linux 上で再生しているソフト RhythmBox のタイム表示で測った演奏時間を記しておきましょう。

■フルニエ(Vc)、グルダ(Pf)盤
I=14'39" II=6'44" total=21'23"
■ロストロポーヴィチ(Vc)、リヒテル(Pf)盤
I=16'32" II=6'33" total=23'05"

(*1):ベートーヴェン「チェロソナタ第3番」を聴く~「電網郊外散歩道」2006年6月

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新聞の読者投稿らんに紺野陽吉の室内楽作品の演奏についての投書が

2014年08月07日 06時01分33秒 | クラシック音楽
地元紙・山形新聞には、山形交響楽団をはじめ、様々な形で音楽に関する報道が掲載されます。演奏会の速報だけでなく演奏評まできちんと掲載されるのは、地方紙の見識を示すものであろうと思います。でも、読者の意見の投書欄に、クラシック音楽の演奏会、それも室内楽の演奏会についての意見が取り上げられるというのは、実はたいへん珍しいのではないでしょうか。

先月の29日付けの読者投稿欄に、白鷹町に在住の78歳の男性による、先の山形弦楽四重奏団第52回定期演奏会(*1)に関する、「戦没の作曲家・紺野陽吉」というタイトルの投書が掲載されました。白鷹町出身で若くして亡くなった作曲家・紺野陽吉の作品を、何度も演奏会に取り上げている山形弦楽四重奏団の活動に感謝と敬意を表するという趣旨のものでした。

私もこの演奏会をはじめ、他の機会(*2,*3)にも紺野陽吉作品を聴いていますが、とくに今回の「弦楽二重奏曲」は、シンプルな演奏形態だけに、訴える力のあるものだったと感じました。おそらく投稿者の方も、強く心に感じることがあって、新聞への投書という行動に具体化したのだろうと思います。

そして、それを取り上げた新聞社の編集サイドの姿勢。営業成績の上では、多分ほとんどメリットがないと思われにもかかわらず、各地方に埋もれた歴史や文化を尊重し掘り起こすという姿勢は、紙面を通して一貫しているように思われます。地方紙としての見識を感じるところです。

(*1):山形弦楽四重奏団第52回定期演奏会でハイドン、紺野陽吉、メンデルスゾーンを聴く~「電網郊外散歩道」2014年7月
(*2):山形弦楽四重奏団第46回定期演奏会でハイドン、紺野陽吉、ベートーヴェンを聴く~「電網郊外散歩道」2013年1月
(*3):山形弦楽四重奏団第43回定期演奏会で林光、壺井一歩、シューベルトを聴く~アンコールにて紹介~「電網郊外散歩道」2012年4月

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今年の検診結果は昨年よりも改善して

2014年08月06日 06時02分14秒 | 健康
今日、8月6日は、広島の原爆記念日。亡父が救援に入ったヒロシマで入市被曝してから69年、度重なる消化器系の癌との闘病後に亡くなって、すでに七回忌を済ませました。被曝二世である当方は、若い頃は漠然とした不安も覚えましたが、幸いに喫煙習慣も持たず、いたって健康で、この分なら父親の分まで健康で生活できそうです。まことにありがたいことです。

さて、今年の健康診断の結果が来ました。結論から言うと、低温熱傷後の化膿とインフルエンザのダブルパンチで弱っていた昨年よりも、貧血ぎみだった血液一般の数値がぐっと改善して、オール○の「異常なし」です。

現在は異常ありません。年に1~2回は検診を受けましょう。

とのコメントでした。まずは、ありがたい。なによりも健康が大切(*1)です。

細かく見ると、体重がやや増加しましたので、BMI=22.1 から BMI=22.7 に変化しました。あきらかに、胴回りの進歩と成長が貢献しているようです(^o^)/
視力は、左右両方とも 1.2 でした。昨年の片方だけ悪かったのは何だったのでしょう。もしかしたら、早朝からブログ三昧にうつつを抜かした悪影響だったのかも(^o^)/
血圧は 102-64 と良好で、心電図も妙齢の担当者さんにもかかわらずドキドキしなかったらしく、異常なしでした。そういえば、あのときの担当者さんのお声は、実に美しいメゾソプラノだった(*2)からなあ(^o^)/
実はツラの皮のほうも充分に肥厚しているという説もあるようです(^o^)/

空腹時血糖値も、86と異常なしでした。
肝機能のほうは、AST(GOT):19、ALT(GPT):14、γGTP:24と良好です。なにせ晩酌の習慣がなく、たまに妻と乾杯するくらいですので、たかが知れています。ただし、中性脂肪のほうは、基準内に収まってはいますが、悪玉コレステロールの増加が見られます。動脈硬化に気をつける必要がありそうです。

いずれにしろ、新鮮な自家栽培の野菜を中心とする食生活の影響は大きいようです。毎日お弁当を作ってくれる妻と、毎朝楽しみながら畑仕事に精を出す老母に感謝しなければなりません。

(*1):職場の三健人(?)~「電網郊外散歩道」2007年7月
(*2):定期健診の結果が判明~「電網郊外散歩道」2009年7月

写真は、健康診断とは全く関係のない、文翔館議場ホール前の花壇です(^o^)/
写っている人は、観光客でしょうか。いい風景ですね~。

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東根市六田の「清居」で麩懐石料理を食べる

2014年08月05日 06時04分59秒 | 散歩外出ドライブ
満86歳の元気老母が、女学校時代の仲良し同級生と一緒に岩手まで旅行しています。毎日台所に立つ妻の慰労に、お昼には食べたことのないものを食べようと、東根市六田の斎藤文四郎製麩所が開いている、麩懐石料理処「清居(せいご)」に出かけました。13時の予約にほぼ時間通りに到着し、すぐご馳走をいただくことができました。




メニューは季節により変化するようですが、今回は暑い季節むけのもののようです。まずは、冷たく冷やした「梅ジュース」から。先付は生麩の和え物です。



続いて、芭蕉盛り合わせ。



お吸い物のふたを取って写真を撮るのを忘れてしまいましたが、こちらも生麩をアレンジしたもので、たいへん結構でした。



続いてお造りです。



雲片は美しく見事なあんかけです。



酢の物は、ちょこんとラズベリーが乗っています。



煮物は、焼き麩と季節の野菜をアレンジしたもの。



香の物は、梅酢に漬けたたくあんでした。



ご飯の代わりに、グルテンの冷たいうどんと山菜のミズ、それに当地の名物エゴ。タレには揚げ麩が浮かんでいます。



最後のデザートは、生麩まんじゅうとアイスクリームを選べます。今回は麩饅頭を食べることにしました。お抹茶と生麩饅頭です。





いや~、すっかりお腹がいっぱいになりました(^o^)/

だいぶ前に、上山市でコンニャクづくしを食べたこともありますが、こちらは生麩や焼き麩、揚げ麩など食感上のヴァリエーションも多く、単調さはありません。季節の素材をうまく生かし、見た目も美しく、味も食感も多彩な懐石料理を堪能しました。お値段は 3,000円でしたが、充分に満足できました。

ちなみに、こちらは製麩所のようす。




県道からの入り口付近はお店になっており、トイレや井戸があります。こんな感じです。








道路向かいも奥山製麩所というお店で、こちらもだいぶ土産物を求める観光客らしい車が駐車しておりました。

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映画『超高速参勤交代!』を観る

2014年08月04日 06時04分34秒 | 映画TVドラマ
あまりの暑さに耐えかねて、映画館で涼んでこようと意見が一致し、妻と映画を観に出かけました。いろいろな候補はあったものの、今回は「楽しさ」重視で、『超高速参勤交代』(*1)を選びました。この映画、あちこちのブログでも話題になって好評のようです(*2,*3,*4)し、なにやらおもしろそうだとの予感がします。なにしろ、発想がいい(^o^)/

現在の福島県いわき市にあたる、磐城国・湯長谷藩の藩主・内藤政醇(ないとう まさあつ)は、参勤交代で国元に戻ったばかりなのに、金山の不正申告疑惑を正すためと称して、五日以内に江戸に参勤せよとの命令を受けます。これは、老中・松平信祝(のぶとき)による、湯長谷藩取り潰しをねらった無理難題でした。

幕命に対する藩論は割れますが、藩主の内藤政醇は、五日以内に参勤することを決意、知恵者の家老が「キセル参勤行列」を計画し、一匹狼の忍者・雲隠段蔵の案内で、山の中を走り抜けることになります。もちろん、幕府のお庭番が妨害役になり、チャンバラ場面もたっぷりですが、意外だったのが「殿」の内藤政醇の剣術が強いのなんの、閉所恐怖症で人がいいだけのバカ殿ではありません(^o^)/

貧乏で人が良いだけではなかった陸奥(みちのく)の湯長谷藩ですが、文字通り情けは他人のためならずで、飢饉の時に救援米を送ったりした実績が、困難な場面で自らを救うことになります。また、庭に後ろ手に縛られていた山猫のような飯盛り女・お咲に情けをかけたことで、宿場役人の探索から逃れることができましたし、金が全てという雲隠段蔵が、信頼の値打ちを知って再び戻って一行の危急を救う役目を果たします。善意は実り悪意は倒れるという、典型的な娯楽時代劇の王道を行く脚本ですが、中には中央と地方とか、為政者と民というような、現代的な要素もちりばめられています。具体的な台詞は忘れてしまいましたが、たしか将軍吉宗に向かって、ボソッと「トップが愚かだと、民が難儀するので」という趣旨のことを言っていました。幕府=東京、湯長谷藩=フクシマ、という構図だととらえると、エンターテインメントにこめられた風刺と見ることもできます。

また、「華麗な」とはとても言えませんが、恋の要素もちょっぴり盛り込まれており、大名と飯盛女とか、藩主の妹と堅実地味だが不死身の家臣とか、艶やかな着物姿も目の保養です(^o^)/

いやはや、涼しく楽しく観ることができました。なかなかおもしろかった!

(*1):「超高速!参勤交代」公式サイト
(*2):超高速!参勤交代~「迷宮映画館」2014年7月
(*3):映画・超高速!参勤交代~「読書と映画とガーデニング」2014年7月
(*4):映画「超高速!参勤交代」を観る~「石狩国音楽記」2014年7月

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梅雨も明けて、夏空の下の散歩

2014年08月03日 06時03分54秒 | 散歩外出ドライブ
7月28日ごろ、東北南部もどうやら梅雨明けした模様(*1)です。
街角も、強い日差しを避けて、日傘で歩く人が目立ちます。夏空をバックに、文翔館の姿がいかにも立体的に見えます。でも、何気ない風景の中に思いがけない被写体を見つけるのが、素人写真愛好家の誇りです(^o^)/



たとえばこの写真のような見慣れた角を曲がる手前には、



こんな石段があって、



こんなドアがあって、



中はこんなふうに見えて、



ガラスに映る風景も味があって、



緑を映す樹々は、力強く枝を伸ばしておりました。

夏です!

(*1):山形地方気象台・お知らせ(PDF)

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有川浩『フリーター、家を買う』を読む

2014年08月02日 06時04分12秒 | 読書
はじめは男性作家だと思っていた(*1)有川浩さんの『フリーター、家を買う』を読みました。2009年に単行本として発表され、2012(平成24)年に文庫化されたもので、幻冬舎文庫です。人気作であることは知っていましたが、フリーターが家を買えるはずもないし、あっと驚く一攫千金のサクセス・ストーリーかな、などと予断と偏見を持っておりました。たまたま出先の書店で時間調整をしていたときに、この文庫本を見つけ、ほかには目をひくものもないし、ためしに読んでみようかと購入。いや~、思わず寝るのも忘れて読みふけってしまいました。おかげで、翌日は眠い眠い~(^o^)/



第1章:「フリーター、立つ。」 主人公・武誠治クンは、そこそこの高校へ行って、一浪したけれどそこそこの私大に行き、そこそこの会社へ就職して、自己啓発型の新人研修に違和感を持ち、三カ月で辞表を出してフリーター生活に入ってしまいます。
うーむ、ここですでに、自宅から大学に通い就職もできるという点で、都会の若者の恵まれた条件が明らかになっています。田舎の同世代ならば、下宿生活にアルバイト、就活だってお金がかかり、親がしゃかりきになって働かなければ、仕送りなど続くわけがないという状況にありますからね~(^o^;)>poripori
その甘えに気づかず、堅物オヤジに反発してプー太郎生活を続けるうちに、母親が心を病んでしまいます。背景には、父親の酒癖の悪さとともに、団地の中であるにもかかわらず社宅族というやっかみも加わって、地域の中でイジメに耐えてきた、というストレスがありました。それが、息子のプー太郎+父親との対立という生活で、セロトニンだかドーパミンだかの分泌が変調を来してしまったようです。
猛姉にズバズバ指摘され、猛姉とダメ親父との対決を見せられ、母の異常さを間近に見て、誠治クンはようやく「これではいけない!」と立ち上がります。そのきっかけになったのが、姉チャンがポンと置いて行ってくれた百万円でした。

第2章:「フリーター、奮闘。」 誠治クンは、就活をして面接は受けるのですが、連戦連敗。とりあえず金は貯めようと、時給の高い建設業の人夫を志願。いわゆるガテン系です。そこで数ヶ月働くうちに、音を上げない感心なヤツだということで、やがて気のいいオッサンたちの仲間に入れてもらえるようになります。

第3章:「フリーター、クラスチェンジ。」 オッサンたちの助言もあり、父親に今までの履歴書を見てもらい、自分の考え方の幼さに気づきます。なんとか格好をつけて応募したところ、一次試験に通ってなんとか二次の面接にこぎつけますが、母親が薬の置き場所を見失ってパニックになり、電話をかけてきます。向精神薬を飲んでいるのに今にも車で医者に行きそうな勢いの母親をなんとか制止して、面接直前に事情を話し、キャンセルして家に戻ります。でも、バイト先の大悦土木が、思いがけない好条件を提示してくれました。

第4章:「元フリーター、働く。」 大悦土木で、正社員としての仕事は、業務部とのことです。将来的には経理をやることになっていますが、当面はパソコン一式をそろえて事務文書の電子化から始めます。OCR(光学読み取り装置)を通じて紙の伝票やら工程表やらを読み取り、修正を加えてフォルダに収めていくというやり方です。ふーむ、誠治クンは、伊達にパソコンをやっていたわけではなさそうですね。普通、今どきの大学生といっても、せいぜいワードをいじれるくらいで、エクセルの関数やOCRを用いたドキュメンテーションなどは、苦手にしている人が多いというのが実態だと思うのですが(^o^)/
そして次の仕事は、なんと採用人事でした(^o^)/
第5章:「元フリーター、家を買う。」 母親の心の病は、誠治クンが家にいないせいもあり、一進一退。新規に採用した社員は二人とも「当たり」だったみたい。
あとは家を買う話ですが、わずか380ページで軟弱息子が心を病む母親を面倒見ながら家を買うまでに成長するのですから、いささか出来杉君のストーリーですが、なかなかおもしろく読みました。



ところで、お母さんが心を病む経緯ですが、ご近所のイジメがずっと続いていた中でも、娘(姉)との会話などが慰めとなり、それなりに安定していたわけでしょう。ところが娘は嫁に行き、息子(誠治クン)が会社を三カ月で辞めてしまい、フラフラしたフリーター生活を続け、夫(父親)との折り合いが悪いという状況になります。おそらくお母さんは、その間ずっと、夜も眠れないほど悶々としたのでしょう。先に興味深く読んだ岩波ジュニア新書『脳科学の教科書・こころ編』等(*2,3)に基づき推測すれば、本来は良質の睡眠によって脳外に排出されるはずの老廃物が長期間排出されず、脳神経系、とくに海馬の周辺がダメージを受けたのかも。終日緊張状態が続き、セロトニンやドーパミンなどの神経伝達物質の分泌や調節をつかさどる器官が「くたびれはててしまった」状態なのだろうと思います。

そう考えると、ダメ親父に描かれたお父さんだけでなく、主人公の誠治クンの責任は重いはず。これくらいシッカリしてくれないと、話の都合上も困りますね~(^o^)/

(*1):有川浩『三匹のオッサン~ふたたび』を読む~「電網郊外散歩道」2012年7月
(*2):岩波ジュニア新書『脳科学の教科書・こころ編』を読む(1)~「電網郊外散歩道」2014年5月
(*3):岩波ジュニア新書『脳科学の教科書・こころ編』を読む(4)~「電網郊外散歩道」2014年5月

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