電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

コンピュータを生産的に使おうとするとキーボードが必要になる

2014年07月16日 06時05分31秒 | コンピュータ
なにを今さらな話ですが(^o^;)>poripori

最近は、スマートフォンなど、キーボードを前提としない情報機器が普及してきており、必ずしも昔ながらのマウスとキーボードを必要としないようになっています。たしかに、閲覧やちょっとした検索など、消費的な使い方なら、タブレット端末で充分な気がします。

ただし、コンピュータを生産的な用途に使おうとすると、とたんにキーボードが必要になります。例えば私の場合は、

(1) 文章を書く  ブログ、メール、会報を出す、等
(2) データ処理  確定申告、名簿、住所録、等
(3) 画像処理   スクリプトによる一括処理、等
(4) プログラミング  テキストデータ処理、等
(5) その他

など。保守的なのかもしれませんが、私にとってキーボードは本質的に重要なデバイスです。

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密航留学生を受け入れた英国側の事情

2014年07月15日 06時04分48秒 | 歴史技術科学
ジャーディン・マセソン商会とは、そもそもどんな会社なのか。Wikipedia(*1)によれば、1832年、スコットランド出身で、東インド会社の元船医で貿易商人のウィリアム・ジャーディン

とジェームス・マセソン

により、中国の広州に設立された貿易会社とのことです。当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出だったそうで、1840年頃、アヘンの流入と銀の流出を規制すべく、林則徐がアヘンを差し押さえた事件の際には、どうやら当事者側だったと言えそうです。ジャーディン・マセソン商会のロビー活動により、イギリス本国の国会は、わずかに九票差という僅差でイギリス軍の派遣を決定し、アヘン戦争が起こったことになります。英国が行っていた、綿製品をインドへ、インドのアヘンを中国(清)へ、中国の茶をイギリスへ、という三角貿易の二つを扱うわけですから、いわば英国政府公認の

商売のためなら戦争をも辞さない政商

であった、ということでしょう。僅差だったというところに少し救われる思いはするものの、アヘン貿易を軍事力で強制した大英帝国の非情さを見ることができます。

では、長州藩の五人の青年が英国に密航留学を希望していると伝えられたとき、ジャーディン・マセソン商会横浜支店としては、どんな対応をしたのでしょう。考えられることは、

(1) そもそも英国政府は入国を許可するのか。
(2) いざというとき、例えば刀を振り回して死傷者が出た場合など、補償できるのか。
(3) 受け入れてくれる滞在先はあるのか。

などがありましょう。

(1) については、英国政府のアジア政策から見て、中国重視の姿勢は変わらないものの、日英関係は重視していますので、長州藩の中に親英勢力を育成するために許可すると見込めること。これは、横浜の英国領事とも打ち合わせ済でしょう。
(2) については、ガワーと山尾が個人的に面識があったとしても、金銭保証を含めて高額の費用を負担させる必要がありましょう。そのための一人千両でしょうか。
(3) 問題となる受入先については、当時ウィリアムソン博士の助手をつとめていたフォスターの回想の中に、マセソンに密航留学生の教育係としてウィリアムソン博士を推薦したのは、ユニヴァーシティ・カレッジの評議員であったプレヴォスト卿であった(*2)とされているそうです。おそらく、ウィリアムソン博士の人柄と見識を見込んでの推薦だったのでしょう。

当時、ジャーディン・マセソン商会のロンドン支店を取り仕切っていたのは、創業者ジェームス・マセソンの甥のヒュー・マセソンでした。そういえば、横浜支店長のウィリアム・ケズウィックも、創業者ウィリアム・ジャーディンの姉の子にあたるそうで、要するに強固な同族会社なのですね。ちなみに、長崎のグラバー商会は、ジャーディン・マセソン商会の代理店としてスタートしているそうです。


(*1):ジャーディン・マセソン~Wikipediaの解説
(*2):犬塚孝明『密航留学生たちの明治維新』(NHKブックス)

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上田太一郎『事例で学ぶテキストマイニング』を読む

2014年07月14日 06時03分24秒 | -ノンフィクション
共立出版から2008年に刊行されたB5判の単行本で、上田太一郎編『事例で学ぶテキストマイニング』を読みました。読んだとは言っても、ぱらぱらと眺めた程度で、とても読了とは言い難いものです。まあ、最初の章くらいはなんとか理解できるところがあった、という程度でしょう。

数値やコード化されたデータなどから、情報や知識、知見、仮説あるいは課題などを発見することを、鉱山から鉱石を発掘することになぞらえて、データマイニングと呼びます。同様に、自然言語文からなるテキストから情報や知識、知見、仮説あるいは課題などを発見することを、テキストマイニングと呼びます。本書では、テキストマイニングを、

大量のテキスト(文字)データから新たな事実や傾向を発見することを支援する技術

と定義しています。その用途としては、

(1) アンケート分析 自由記述らん等
(2) コールセンター問合せ分析 書き起こしテキスト
(3) 営業報告分析 日報、週報、月報など
(4) 不具合報告書分析 不具合報告書
(5) ブログ分析 ブログ記事

などを挙げています。そして、これらを支える自然言語処理の技術として、

(1) 形態素解析 単語に分割、品詞を求める
(2) 構文解析 文節に分割、分節間の依存関係
(3) 意味文脈関係 文と文との間の意味関係
(4) 応用処理 自動翻訳、文書分類、文書クラスタリング、文書検索、文書要約、情報抽出、等

などを挙げています。形態素解析のツールとしては、京都大学の黒崎禎夫教授らの「JUMAN」や、奈良先端科学技術大学院大学の松本裕治教授らによる「ChaSen」などを紹介しています。

以下、難しいことは省略しますが、なるほど、です。
私がこれまで(平成の初年頃から)自己流でやってきたアンケートの自由記述の分析、すなわち「テキスト入力→awkによる単語分解→単語の頻度分析→イメージマップ→要約」という手法は、まさに私流のテキストマイニングであったのだな。そして、私のような傍流ではなく、技術の本流においては、そのツールは様々な専門的分析のために開発され進化してきているのだな。

今の仕事では、まず大量テキストデータの処理などという場面は考えにくく、今後はテキストマイニングの技術を活用する場面はなくなるでしょうが、このブログのおよそ10年分のバックアップデータから、個人的に必要なデータを発掘し再利用するためには、十分に役立つことでしょう。このあたりが、施設設備も資産も必要としない、コンピュータ技術のありがたさです。

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ヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ第5番」を聴く

2014年07月13日 06時05分31秒 | -オペラ・声楽
サッカーのワールドカップはいよいよ大詰めを迎えておりますが、当方のブラジル音楽を聴くシリーズは、ようやく折り返し点を過ぎたところです(^o^)/
ヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ」第5番を聴いております。
Wikipedia(*1)およびCD添付のリーフレットによれば、1938年に作曲、1945年に改訂され1947年にパリで初演された、ヴィラ=ロボスの代表作とのこと。ソプラノ独唱と8部のチェロ・パートのための作品です。

第1楽章:アリア(カンティレーナ)、アダージョ。ヴォカリーズに始まり、ハミングで復唱されます。中間部はルツ・ヴァラダレシュ・コレアという人によるという歌詞がありますが、どんな内容なのか不明。そこでネットで検索(*2)してみると、次のような内容なのだそうです。

Tarde uma nuvem rósea lenta e transparente.
夕べ、バラ色の雲はゆっくりと流れ、薄く透けている
Sobre o espaço, sonhadora e bela!
夢のようで美しい空間の上に
Surge no infinito a lua docemente,
地平には月が静かに現れ
Enfeitando a tarde, qual meiga donzela
きれいな娘のように夕べを飾る
Que se apresta e a linda sonhadoramente,
身を飾った夕べは夢かと思うほど美しい
Em anseios d'alma para ficar bela
美しくなるために魂は不安を覚え
Grita ao céu e a terra toda a Natureza!
大空と大地、大自然に向かって叫ぶ
Cala a passarada aos seus tristes queixumes
その悲しい嘆きを聞き、鳥たちは黙る
E reflete o mar toda a Sua riqueza...
そして、海はその輝きすべてを映す
Suave a luz da lua desperta agora
やさしく月の光は今目ざめさせる
A cruel saudade que ri e chora!
笑い、叫ぶ残酷なノスタルジーを
Tarde uma nuvem rósea lenta e transparente.
夕べ、バラ色の雲はゆっくりと流れ、薄く透けている
Sobre o espaço, sonhadora e bela!
夢のようで美しい空間の上に

うーむ、ポルトガル語というのは、実に手も足も出ません(^o^)/
でも、こんな内容なのだと言われると、そんな気もします(^o^)/
第2楽章:踊り(マルテロ)、アレグレット。
こちらは、マヌエラ・バンデイラという人の歌詞だそうです。例によって、内容は不明。

やっぱり、ソプラノの声の魅力を感じます。当ブログにおけるカテゴリーも、ちょっぴり悩んで「声楽」に区分しました。
ヴォカリーズの部分は、歌詞によらない、純粋に人の声の魅力です。詩と音楽が織りなす世界とはまた違った要素を見せるものでしょう。ただし、やっぱり単調になってしまうのか、長く続くものではありません。歌詞に頼らざるを得ないというか、歌詞が必要になってくるようです。

エンリケ・バティス盤では、バーバラ・ヘンドリクス(*3)が歌っていますが、知的なリリックソプラノというイメージがありますが、ここでも大変魅力的な歌唱を聴かせてくれます。

■エンリケ・バティス盤(EMI,TOCE-16136)
I=6'04" II=4'18" total=10'22"

YouTube には、ドゥダメル指揮ベルリンフィルのものがありました。野外での演奏会のようで、くつろいだ雰囲気で聴かせてくれます。




(*1):ブラジル風バッハ~Wikipedia の解説
(*2):Bachianas Brasileiras 5 by Heitor Villa Lobos ~「箱と曲」より
(*3):バーバラ・ヘンドリックス~Wikipediaの解説

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ある日の昼食

2014年07月12日 06時09分54秒 | 料理住居衣服
週末農業では、休日になると農作業の予定が立て込んで、どうしてもお昼が手抜きになりがちです。そこで便利なのが、「組み合わせ術」。今朝の「豆ご飯」ののこりと新宿中村屋のレトルトカレーを組み合わせ、さらに自家製のナスとトマトを塩キャベツに組み合わせ、スモモのヨーグルトに麦茶を追加すれば、はい、お昼のメニューのできあがり(^o^)/



インドから亡命したチャンドラ・ボースの伝説や、新宿中村屋のブランドなどに惑わされて、レトルトなのに美味しく感じてしまうものの、内心はワタクシのカレーのほうが美味しいわいと、ヒソカに呟くのでありました(^o^)/
今朝の残りとはいえ、もち米の入った妻の「豆ごはん」の美味しさは絶品です。



さて、今日のごはんは何だろうな~(^o^)/

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先週末の農作業と今週の台風の記録

2014年07月11日 06時04分48秒 | 週末農業・定年農業
7月としては初めてとなるほどの記録的な台風だそうで、台風8号の被害が報道されています。沖縄~九州地方だけでなく、台風の進路の東北側にあたる山形県では、ちょうど北上している梅雨前線に向かって、反時計回りに吹き込む湿った風の影響で、大雨が降っています。置賜地方、とくに南陽市、長井市、白鷹町などでは、一部に床上浸水などの被害も出ているようです。昨夜から、雨は止んでいますが、昨年は記録的な大雨で断水騒ぎなどもありましたので、今後も台風の動向には目が離せません。「ど」がつくほどの田舎にある当地は、縄文時代から人が居住している地域であり、幸いに東日本大震災にもほとんど被害がなく、仮に温暖化で西日本が亜熱帯気候になるほどでも、当地の被害はさほど多くはならないだろうと考えられる地域です。その点では安心していますが、各地での、とくに土砂災害の危険のある地域での被害が少ないことを祈りたいと思います。

さて、備忘のために、先週末の農作業の記録をまとめておきましょう。
先週末は、スモモ「大石早生」の収穫をしました。ちょっと油断していたらすぐに赤くなってしまい、いささか収穫時期が遅くなってしまったようですが、妻と二人で脚立に上り、けっこうな分量が収穫できました。半分は出荷し、半分は自家用およびご近所に分けたり親戚知人に宅配したりすることにします。

近所のスモモづくりのベテラン農家に聞いたところ、6月末~7月初旬、先端がほんのり色づいたくらいで収穫適期なのだそうで、来年はもう少し早めに収穫するようにしたいと思います。当ブログは、実はそのための備忘録の意味も兼ねています。

ちなみに、スモモの「フームサ」は現在こんな感じ。そろそろ野鳥の食害対策を考えなければなりません。



プルーンとモモは、それぞれこんな状況です。





こちらは、まだまだ青いです。夏の太陽に照らされて、光合成真っ最中。

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宮部みゆき『龍は眠る』を読む

2014年07月10日 06時02分19秒 | 読書
新潮文庫で、宮部みゆき著『龍は眠る』を読みました。しばらくぶりの宮部みゆき作品です。奥付を見ると、平成13年の第29刷。本文529ページの長編です。

第1章:「遭遇」。台風の夜に、雑誌の記者である高坂昭吾は、どしゃ降りの雨の中で車を走らせているときに、稲村慎司という高校生を拾います。視界がほとんどきかない道路で、タイヤが開いていたマンホールのふたに乗り上げ、事件に気づきます。七歳の男の子が猫を探しに雨の中を外に出て、マンホールに落ちたらしい。慎司は赤いポルシェの二人組の男がふたを開けたと言います。事実、赤いポルシェはあり、若い男たちはその道路を通っていました。

第2章:「波紋」。稲村慎司という少年は、ほんとうにサイキックなのか?新たに登場した織田直也という青年は、全部トリックだと言って否定します。それはそれで説得力があり、高坂は心情的には信じがたいが、理性的には超能力を否定するほうに揺らぎます。

第3章:「過去」。サイキックかどうかに関わらず、過去は変えられません。高坂は織田直也を探り、稲村慎司の親と会います。並行して、高坂への不審な郵便物と脅迫電話が会社の方へ来たために、高坂自身の過去も明らかにされます。織田直也の連絡先に電話をしたところ、アパートで電話に出たのは、言葉を話すことができない、若い女性でした。

第4章:「予兆」。織田直也と親しくしていた若い女性は三村七恵といい、手話のできない高坂とは筆談でやりとりをします。姿を隠した直也の手がかりを探すため、高坂は三村七恵のアパートの前で張り込みをしますが、逆に別の男に高坂が見張られていることが判明します。会社の同僚の生駒悟郎とともに、高坂の昔の交際相手で婚約者だった小枝子と結婚している、夫の川崎明夫宅を訪ねます。応対したのは、川崎とその秘書の三宅令子でした。川崎は、小枝子の父親の勤めていた私立高校の理事長の息子で、次期理事長が約束されている立場です。小枝子は妊娠しているといいますが、生駒は川崎と秘書の三宅がただならぬ関係にあることを見抜きます。ふーむ、この時点で筋書きが読めたように思いましたが、それとサイキックの話とがどうつながるのか?

第5章:「暗転」。台風の路上でマンホールのふたを開け放して放置した二人組のうち一人が自殺します。関わった高坂と慎司には真相がわかっていますが、後味の良いものではありません。三村七恵が会社に訪ねてきて以来、高坂に熱をあげている若い佳奈子チャンは嫉妬していますし、脅迫電話は「あと一週間」と期限を切りました。そして六日目には、超能力者の協力で事件を解決したことがあるという元刑事を稲村慎司に会わせてみたいと考えますが、その慎司が怪我をして病院に運ばれたという知らせが入ります。だいぶ重傷でした。集中治療室の前に集まった関係者のところへ、織田直也がやってきます。彼には、事件の全貌が見えているようです。

第6章:「事件」。せっかくのミステリーですので、あらすじを追うのはここまでとしましょう。なるほど、サイキックの少年=他人の心の中が読めてしまう少年にとっては、世の中は生きにくいことでしょう。主人公の雑誌記者・高坂昭吾と三村七恵がめぐり合ういきさつは、サイキックの織田直也でさえも読めなかったのでしょうか(^o^)/



なかなかおもしろかった。なるほど、そうきたか!という感じでした。

昔話に「ききみみずきん」というのがありますが、こうした特殊な能力は、悪党には便利このうえないものかもしれませんが、善人には便利そうに見えて案外に不都合なものだ、という点では共通の認識でしょう。

ところで、他人の心の暗部を覗いて世の中がいやになる前に、男の子が自分の心の深奥部を覗いていやになるほうが先じゃないかと思うのですが、違うのかな? まあ、それでは私小説になってしまって、ミステリーにはならない、と言われればそれまでですが(^o^)/

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長州藩から五人の若者が英国に密航留学するまで

2014年07月09日 06時03分13秒 | 歴史技術科学
黒船来航から八年が経過していた文久元(1861)年に、海軍力の整備を目指す長州藩は、横浜のジャーディン・マセソン商会から木造帆船「癸亥丸」を購入します。このとき測量方として乗り組んでいたのが山尾庸三で、山尾はマセソン商会横浜支店の責任者であったサミュエル・J.ガワーと知り合います。このガワーは、どうやら横浜の英国領事のエイベル・J.ガワーとは別人らしい。エイベル・ガワーのほうは、吉村昭『黒船』で描かれたように、幕末の通詞・英語学者である堀達之助が晩年に苦労した、英国領事がアイヌの人骨を盗掘した事件(*1)を解決した、有能な外交官です。

横浜には、すでに居留地が作られておりました。ただし、国が金を出さないためにイギリス人が金をだし、洋風に整備した土地に排他的な自治権を設定していた上海などとは異なり、横浜の場合は資金の多くを幕府が出していたため、外国人の排他的な自治権が認められてはいませんでした。横浜には日本人も出入り自由であったために、攘夷論者たちによるイギリス公使館焼き討ち事件のような物騒なことも可能であったと考えられます。

当時、イギリス公使館を焼き討ちしたとか、孝明天皇の廃位を調査していると誤解して塙忠宝を暗殺したとか、とかくの噂の絶えない攘夷のエネルギーは、例えば高杉晋作らに煽動されたものでしたが、やがて佐久間象山の指摘によって、西洋の、とくにイギリスの海軍学を実地に学んで帰ることを決意し、長州藩主・毛利敬親の内諾を得て、海外密航留学を具体的に模索し始めます。この目標のもとにまとまったのが次の五人、いわゆる長州五傑です。

井上聞多、天保六(1835)年生まれ、28歳、小姓役
遠藤謹助、天保七(1936)年生まれ、27歳、壬戊丸乗組
山尾庸三、天保八(1837)年生まれ、26歳、壬戊丸測量方
伊藤俊輔、天保十二(1841)年生まれ、22歳、京都内用掛
野村弥吉、天保十四(1843)年生まれ、20歳、壬戊丸船将

彼らは、横浜でガワー(英国領事エイベル・ガワーまたはマセソン商会のサミュエル・ガワー)(*2)およびジャーディン・マセソン商会の横浜支店長ウィリアム・ケズウィックを通じて、英国に密航留学することを計画します。志道家を離れて旧姓に戻した井上聞多が藩主の内命を得ていたものの、旅費・滞在費・学費を合わせて、必要な金額は一人千両、五人で五千両です。試しに一両=十万円として現代の貨幣価値で換算してみると、一人当たり一億円。ずいぶんふっかけたものです。これでは御手許金だけではとてもじゃないが不足で、五人は頭を抱えます。ところが、そこはメンバーの一人の知恵で、藩の銃砲購入資金一万両の中から五千両を借り受けるという形を取って英国に渡航できることになります。

横浜から上海まではマセソン商会の船を使えたものの、上海から英国までの渡航に際しては、言葉の間違いから船員見習いの扱いをされてしまいます(*3)。これも考えようで、この扱いを耐え抜いたために、英国社会の中でも暴発して刀を抜いたりしないで済む、忍耐強い心構えができたのかもしれません。

ようやくロンドンに到着し、マセソン商会からの出迎えのおかげでホテルで五人が再会することができ、目指すユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンに入るため、まもなくガワー街のフラットに移ります。むしろそこからが、彼らの英国留学の真の始まりでした。写真は Wikimedia より、1865年頃のロンドンだそうです。

(*1):幕末の英和対訳辞書草稿の発見と吉村昭『黒船』を読む~「電網郊外散歩道」2007年8月
(*2):たぶん山尾がサミュエル・ガワーを通じてマセソン商会とコンタクトし、支店長のケズウィックが英国領事のエイベル・ガワーに話を持っていったと考えるほうが、話の流れが自然です。
(*3):このあたりは、映画「長州ファイブ」がわかりやすく描いています。
(*4):この項は、全体に犬塚孝明著『密航留学生たちの明治維新』(NHKブックス)によるところが大きいです。記して感謝いたします。

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廉価万年筆のインクフローが使っているうちに良くなる理由

2014年07月08日 06時04分03秒 | 手帳文具書斎
プラチナ社の超廉価万年筆プレッピーのインクの出方は、細字(0.3)も中字(0.5)も、購入直後はお世辞にも良いとはいえず、使っているうちに、具体的に言うと最初のインクカートリッジを使い切って新しいものに交換したあたりから次第に改善しはじめ、再び別のインクカートリッジに交換した頃に、急速に本来のインクフローになっていくようです。この理由はどこにあるのか。

思うに、ペン先以外はみなプラスチック部品で、インクの通り道は水をはじく性質が強いようです。これらプラスチック部品から浸出する物質がほぼ出尽くして、水が主体のインクに、まずまずなじんで来たということなのかも。紙に接するペン先までのインクの通り道が、親水性の雰囲気になってくることがインクフロー改善の要因と考える次第ですが、さて真相はいかに?

写真は、胴軸のひび割れ防止のためのマスキングテープが千鳥格子のものになっていませんので、だいぶ前のものですね(^o^;)>poripori
スクラップ記事が小沢征爾さんのニュースのようですので、2014年1月でしょう。

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新たにバリウム世代に入る人のための胃検診対処法入門

2014年07月07日 06時03分32秒 | 健康
今年、職場関係の知人に、初めてバリウムを飲むという人がいました。すでにいろんな人からいろんな風に脅かされて、しばらく前からドキドキしているのだそうです。純情~(^o^)/

当方は、健康診断時にバリウムを飲み、胃部透視をするようになってから、すでに20年以上になります。そういえば、初めてバリウムを飲んだ後、「コップ三杯の水で飲んでください」と渡された下剤の意味がわからず、お昼に飲むのかな、などとぼんやりしていたら、職場の先輩に「今すぐに飲むんだよ」と教えられて助かったことがありました。健診の担当者が機械的・事務的に早口で説明する内容をよく理解しないでいることはありえます。そこで、新たにバリウム世代に入る人のための健診入門~とくに胃部透視の後の対策(^o^;)について、ワタクシの流儀をご紹介します。

X線は体を通過してフィルムやセンサーに透過像を結びます。そこで、発泡剤とX線を通しにくい硫酸バリウムを主成分とする白いどろりとした液体を飲み、体を回転させて胃壁に薄くまんべんなく付着させることで、胃壁の外形を影として観察するのが、胃部レントゲンの原理(*1)です。もし、胃壁に傷があれば、いろんな角度から撮影した中に、欠損部が見出されることから、精密検査の必要性を判断するということなのでしょう。昔はもっと多量に飲まされたものですが、最近はほんとうに少ない量で撮影できるようになったものです。硫酸バリウムなどというと、いかにもおっかなそうな名前ですが、実は水に不溶性の白色沈殿で、胃液に含まれる塩酸とも反応しないという優れものです。ただし、お腹の中で固まってしまうと、ちょいと厄介です。そこで、胃検診が終わったら、すぐに体外に出してしまわなければなりません。

下剤の量に頼ると、後々の体調に響きますので、できるだけ下剤の量は標準におさえ、スムーズに出て下痢状態にならないようにすることがポイントです。胃検診が朝から行われる場合は、

(1) 胃検診が終わったらすぐに下剤を飲みますが、このとき「コップ三杯の水で飲む」という指示どおり、しっかり水を飲みます。
(2) 近くのコンビニかスーパーに立ち寄り、バナナ1本とヨーグルト(中型容器)を購入(^o^)/
(3) 朝食がわりにパンやおにぎり等を食べ、バナナとヨーグルトもしっかりと食べます。
(4) もちろん、昼食も抜かずに普通に食べます(^o^)/
(5) 水分はどんどん補給するようにします。お茶やコーヒー等も、普通に摂取します。
(6) 便意を感じなくても、お昼と午後の休憩時と夕方と夜と、数時間おきに定期的にトイレに行きます。たぶん、夜までには出てくれるでしょう(^o^)/
(7) もし翌朝になっても白いのが混じることがあったら、それはたぶん最後の残りカス(^o^)/

という具合で、私の場合は、たいていいつも順調です(^o^)/

今年も「異常無し」だといいなあ(^o^)/

写真は、レントゲンがX線を発見した研究室。Wikimedia より

(*1):正確には、空気とバリウム造影剤による二重造影法というそうです。

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鈴木明『維新前夜~スフィンクスと34人のサムライ』を読む

2014年07月06日 06時04分26秒 | -ノンフィクション
表紙の写真を見て、思わず驚きました。スフィンクスの前に、羽織袴に両刀を差し、陣笠姿のサムライが勢ぞろいして写っているのです。上手な合成写真だなあと思ったら、どうも著者が発見した歴史的写真らしい。

鈴木明著『維新前夜~スフィンクスと34人のサムライ』(小学館ライブラリー)は、1992年に初版刊行された文庫版で、もともとの単行本は1988年に刊行されているようです。ふーむ、当時そんなニュースに接した記憶はなく、たぶん職場のOA化・情報化に追われていて、見逃してしまっていたのでしょう。

本書の構成は次のとおりです。
第1章:「スフィンクス写真」の謎
第2章:元治元年二月二十八日カイロの朝
第3章:「洋銀の相場が下がると、大損をするのだ。わかるか?」
第4章:アメリカ公使館に勤めた三人の若きサムライ
第5章:上海「アスター・ハウス」のチョンキナ
第6章:独立国とは何か?
第7章:トルコ風呂と「民族独立」
第8章:巴黎斯サイトー・ケンの登場
第9章:「これが、製鉄というものだ」
第10章:パンタルーンに穿きかえたサムライ
第11章:祭りのあとに
終章:百二十二年後「真珠湾攻撃」五十周年の夜

文久三年の暮に、幕府が横浜鎖港交渉のため派遣した池田使節団一行34名が、インド洋を経て紅海に入り、エジプトを経由してヨーロッパに向かいますが、この途中にスフィンクスを見学に行き、撮影したものが、この記念写真というわけです。



ひょんなことから著者が発見し、登場する人物を特定して、パリでの交渉の経過とその後を描いたもので、いわば維新前夜の幕府側の遣欧使節団の行動を追体験するルポルタージュです。

実は、1998年の10月に購入して以来、なんと16年も積ん読していたことになります。このたびの「歴史技術科学」カテゴリーの記事ネタの一つとして読んでいる文献の関連で、「そういえば」と思い出した、というのが真相(^o^;)>
なかなか興味深い本でありました。

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イザイ「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番」を聴く

2014年07月05日 06時02分25秒 | -独奏曲
昨年の今頃、山響モーツァルト定期で購入したCDで、イザイの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」を聴いています。演奏は、松田理奈さん。作品27の6曲から、第2番イ短調を取り上げます。ちょうど、演奏会当日のアンコールで披露したのが、この曲の第1楽章でした。

あれ、どこかで聴いたことがあるなあと思いましたが、それもそのはず、J.S.バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番」の第1曲(前奏曲)の旋律が使われ、それが見事に尖鋭なイザイの音楽になっています。添付のリーフレットによれば、曲はジャック・ティボーに献呈され、それぞれの楽章には次のような表題が付けられているそうです。

第1楽章:「幻影または執念」、前奏曲。ポコ・ヴィヴァーチェ。
第2楽章:「憂鬱」、ポコ・レント。
第3楽章:「亡霊たちの踊り」、サラバンド、レント。
第4楽章:「復讐の女神たち」、アレグロ・フリオーソ。

次の第2楽章からは、ベルリオーズやサン=サーンスが用いた「怒りの日」の旋律が登場、ゆっくりとした緩徐楽章です。そして、舞曲ふうと言うにはずいぶん風変わりですが、リズムはたしかに舞曲風ではあります。エネルギーは次第に蓄積され、フィナーレは尖ったイザイの音楽が変奏されていきます。

松田理奈さんの演奏は、内向的な集中力だけではない、外に向かうエネルギーや、客観的な形をきちんと整える理性的な面も、兼ね備えていると感じます。
2010年にフィリア・ホールで収録されたデジタル録音で、たいへん明瞭に美しく、ヴァイオリンの音色を聞くことができます。型番はビクターのVICC-60758です。

(*1):山響モーツァルト定期第19回でヴァイオリン協奏曲第1番と交響曲第23・28番等を聴く~「電網郊外散歩道」2013年6月

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机の抽出しから出てきた小銭入れ

2014年07月04日 06時04分51秒 | 散歩外出ドライブ
机の抽出しの中から、小銭入れが出てきました。長らく使ったために、内部がいたんで布地に穴があき、硬貨がかくれんぼする状態になっていたものを、後生大事に机の抽出しにしまっていたものです。見つけたのをきっかけに、思い切って処分することにしました。誰からもらったものか、たしか沖縄のお土産だったように記憶していますが、だいぶ昔のものであることは確かです。



あまりにひどい状態になっていたので、実は妻に黒い小銭入れを買ってもらっていたのでした。当ブログの検索ボックスで、試しに「小銭入れ」で検索してみると、2008年にはこの沖縄みやげの小銭入れを使っているようですが、2011年にはすでに黒い小銭入れになっています。すると、三年間も無駄に保存していたことになります。恐るべし「思い出バリアー」! この際とばかり、思い切って処分することにしましたが、その前にまずカメラで写真を。

これで、昔の記憶にひたりたい時には、「ネクタイ」「小銭入れ」等で検索すれば、処分される前の勇姿(^o^)/ を見ることができます。実はうんちくも何もない、身辺雑記でした(^o^;)>poripori

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黒船来航とその反応

2014年07月03日 06時03分51秒 | 歴史技術科学
嘉永六(1853)年、ペリー率いるアメリカ合衆国の東インド艦隊の黒船四隻が、日本に来航しました。東京湾一帯の村々や江戸幕府が大騒ぎしたことは想像に難くありませんが、ペリーが突きつけた開国と和親条約締結の要求は、鎖国日本の国是を揺るがす大問題でした。



時の老中阿部正弘は、現代風に言えば情報封鎖ではなく情報公開の立場を選択します。大名だけでなく一般庶民にまで、黒船来航の事実を知らせ、あるいはこれに対処する方策を問うたのだそうです。このため、全国各地に様々な黒船絵図やペリーの肖像画が残っているそうです。

中央から遠く離れた出羽の国、今で言えば山形県天童市にも、黒船来航の絵図が伝えられました。残念ながらこの年の「御用書留帖」に記載はない(*1)ものの、嘉永六年当時に名主をつとめた旧家に「嘉永六丑年 浦賀図入」と表書きのある古文書が伝えられております。この中身は、表記を現代風に変えれば、

(1) 三本マストの外輪船の彩色絵図。旗艦サスケハナ号か。

(2) ペルリ立像。彩色絵図。「当節北アメリカ国より使節、役人 名は水師提督ベルリ」

(3) 江戸湾大縮尺絵図。「嘉永六癸丑年六月三日 アメリカ船渡来の場所」
(4) 浦賀潟小縮尺絵図。台場の配置、担当の藩名などを記載。


というものです。おそらく、写を取って次の村に伝えるなどのやり方で村々の名主のもとに伝えられ、そこから一般庶民に伝えられたと考えられ、当時の情報伝達のスタイルがうかがえます。御用書留帖への記載がないところを見ると、臨時的な伝達ルートだったのかもしれません。

当時の庶民の反応は不明ですが、結果的に幕府の権威の低下につながり、大きくは後の明治維新の伏線になったのではないかと思われます。少なくとも、「夷狄討つべし」という攘夷論が大きく盛り上がったという形跡は、当地には見られないようです。

しかしながら、日本国内の一部には、過激な攘夷論が一定の影響力を持ち始めていました。要するに権力争いの旗印に過ぎないのに、本気で攘夷を叫ぶ者、若者を煽動する者、テロルによって反対意見を封殺する者、それらの動きを苦々しく見守る者など様々なレベルはありましたが、「尊皇攘夷か開国か」は、時代の先鋭な対立点になっていきます。その激動の中心の一つが、今の山口県にあたる長州藩でした。


(*1):『天童市史編集史料第7号』には、嘉永七年の「御触書(外国船取扱)」(p.82)として、現代表記に直せば「豆州下田湊に滞留のアメリカ船、今般残らず帰帆いたし候。この段、心得の為に向々(それぞれ)へ達せらるべく候」とあり、アメリカ船が来航した事実は確かに伝えられているようです。同じ御触書では、下田と函館の両港にアメリカ船が船繋ぎを差し許された件も、淡々と知らせています。

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「Bun2」2014年6月号を読む

2014年07月02日 06時08分17秒 | 手帳文具書斎
某文具店に行き、マルマンのメモパッド(*1)を購入してきたついでに、ステーショナリー・フリーマガジン「Bun2」の通巻第54号(2014/6月号)をもらってきました。うっかり今号を入手するのを忘れていて、もうないかなと思っていましたが、まだ少しだけ残っていました。これだから、某文具店の存在はありがたい(^o^)/

今号の特集タイトルは「ペンで書く・描く愉しみ」というもので、筆ペンで「ゆる文字」を書いたり、極細ペンで超細密画を描いたり、あるいは手紙の楽しみ方を教えたりしながら、最新筆記具も紹介しています。ほかに「懐かしのエリート万年筆」としてパイロット・エリートを紹介しています。
最新ステーショナリーでは、残念ながらあまり興味をひかれるものはなし。「ニューヨーク文具レポート」(外海君子さん)の「心に残るノートブック」では、米国製の三穴ノートや三穴の開いたルーズリーフなどを思い出してしまいいました。



うーむ、ハイテック-Cで描かれた超細密画というのは、老眼の身にはなにやら白黒のまだら模様にしか見えません。なんだか、楽しさから排除されているようで、寂しい限りです(^o^;)>poripori
おそらく、担当されている若い女性の方々は、「ワーすごい!」と盛り上がったのだろうと思いますが(^o^;)>poripori
次号に期待しましょう。

(*1):マルマンのメモパッドは万年筆にも適する~「電網郊外散歩道」2013年4月

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