電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

山内晋次『日宋貿易と「硫黄の道」』を読む

2012年10月28日 06時00分33秒 | -ノンフィクション
山川出版社の日本史リブレットシリーズから、第75巻の、山内晋次著『日宋貿易と「硫黄の道」』を読みました。2009年に発行された本書は、本文が87頁の小著ではありますが、内容はひじょうに興味深いものです。

本書の構成は、次のとおり。

1. 「硫黄」への注目
2. 硫黄輸出の開始とその背景
3. 日本産硫黄の大量買付計画
4. 硫黄輸出と九州南方の島嶼
5. 朝鮮半島、東南・内陸アジアからの硫黄
6. 西アジアの史料にみえる硫黄
7. 海域アジアの「硫黄の道」

日宋貿易の中心的なものとして、金は過大に見積もられている、というのは説得力があります。むしろ、船のバラスト重量に相当する何十トンもの底荷としては、量的にも硫黄があてはまるといいます。そして、十世期末におけるそのような大量の硫黄貿易の背景として、

日本産硫黄が中国に流入するようになった最大の原因は、火薬兵器の発展といってよいであろう(p.20)

と指摘しています。唐代に発明されたと思われる火薬の材料として、西夏と対立していた宋が大量買付を行ったのはなぜか。この点については、

中国における火山分布を参照すると、北宋・南宋を通じて、硫黄を国内で完全に自給することはまったく不可能だったはず

であり、

宋において火薬兵器が発達し、その需要が高まれば高まるほど、主要原料であるにもかかわらず国内で自給できない硫黄が大量に必要になってくる。(p.22)

としています。

なるほど、西夏は硫黄を産出しますが、宋には硫黄の産出地がなく、主要な硫黄の貿易相手としては、火山国・日本があった、ということでしょう。当時の火薬は黒色火薬ですが、原料の炭、硝石、硫黄のうち、炭と硝石は宋が自給でき、硫黄だけが他に依存せざるを得なかった、ということのようです。

宋と西夏の対立を背景とする「硫黄の道」という発想は新鮮で、日本側から見れば、国内で自給が困難な硝石を、戦国時代の日本ははたしてどこから輸入していたものか、こちらも興味深いものがあります。




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