電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

吉村昭『間宮林蔵』を読む

2007年11月04日 07時17分45秒 | -吉村昭
野暮用で出かけた東京往復の車中、講談社文庫で吉村昭著『間宮林蔵』を読みました。間宮林蔵というと、樺太と大陸との間に間宮海峡を発見した、江戸時代の北方探険家というほかに、幕府の隠密としてシーボルト事件では悪役となっていることくらいしか知りませんでした。でも、吉村昭氏が取り上げているのだから、きっと面白いだろうと信じて読み始め、その期待は今回も裏切られませんでした!

物語は、文化四年、エトロフ島でロシア軍艦の襲撃に遭遇するところから始まります。激しい砲撃の中、戦闘らしい戦闘もせずに、恐怖にかられて退却する武士たちの弱腰を批判する間宮林蔵は、百姓の子ながら測量助手を経て下級武士となっていました。林蔵は、責任を問う幕府の取り調べに対しても、撤退に反対したことを主張し、責任を問われることなく、かろうじてお構いなしとされました。この一件は、後々まで彼の自己防衛的な姿勢のもとになったようです。

さて、北方の防衛には地図が必要となることから、林蔵は北方探検の必要性を訴え、認められます。アイヌの生活を研究し、彼らの言葉を知り、厳しい冬を乗り切る食生活にも慣れて、樺太北部の調査に向かい、成功するまでが第一部です。これは、ただ単に樺太北部を踏査しただけではなく、海峡を越えてギリヤーク人や山丹人の住む東韃靼に渡り、清朝に貢納する状況も詳細に報告しています。

その後、伊能忠敬に師事して北海道の地図を完成し、伊能の日本地図とあわせて日本全図を完成します。北方の専門家として重用されるようになったことに加えて、幕府の隠密として働くようになります。シーボルト事件は、一面識もないシーボルトからの贈り物を上司に報告したことが発端となり、幕府がひそかに内偵を進めていたところへ、折からの台風で座礁した外国船内から、国禁の物品や日本地図等が発見されたことから、大きな事件へと発展したものでした。このあたりは、間宮林蔵側からの見方を知ることができます。

はじめは外国船打ち払いを主張する強硬派だった間宮林蔵も、経験と認識を深めるにつれて柔軟になり、江川太郎左衛門や渡辺華山らと交わり、開明的な理解を示すようになります。蛮社の獄を推進した鳥居耀蔵の走狗のような理解は、どうも誤りのようです。

伊能忠敬にしろ間宮林蔵にしろ、家庭的に恵まれない晩年を送ります。長い年月をかけて歩いて地図を作るという仕事の性格上、家庭的な役割を期待することはできません。地域に定着し、ローカルな域内で暮らす私には考えられないような生活。本書により、間宮林蔵のイメージがだいぶ変わりました。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
« 飯森範親+山響のブルックナ... | トップ | ドヴォルザークの『弦楽セレ... »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
外れなし (こに)
2013-05-17 19:30:21
吉村さんならば、というのは全くその通りですね。
最近、歴史上あまり評価されていない人に光を当てるというのが流行っているようですが、どの人もそれなりに「光るもの」を持っているんですよね。
間宮林蔵もですが、伊能忠敬の晩年が寂しいものだったのは知りませんでした。
読書の愉悦+歴史のお勉強が出来ました!
返信する
こに さん、 (narkejp)
2013-05-18 05:44:01
コメントありがとうございます。吉村昭作品は、どれも読み応えのあるもので、ほんとに「外れ」がないですね。幕末から明治の医家ものや日本近現代の海や技術に関するものなど、歴史を掘り起こしつつ人間ドラマとしてもいい作品ばかりです。エッセイがまた淡々としていて味があります。また読みたいものです。
返信する

コメントを投稿

-吉村昭」カテゴリの最新記事