山形市には、藤沢周平が山形大学(当時は師範学校)の学生時代に通った映画館が何館もありました。私が十代のころには、岩淵茶舗のわきにスカラ座(宝塚小劇場)という小さな映画館があり、数百円でいい映画を見ることができました。ときどき映画関係で名前を見かけるライターの佐藤友紀さんも、この小劇場で育った同世代のはずです。しかし、時代の波は確実に押し寄せ、駐車場を持たない映画館は流行らず、映画は斜陽産業になっていました。そもそも人口が二十万程度の地方都市で、旭座、シネマ旭、山形大映、山形宝塚、千歳座など、映画館が何館もあるのがおかしい、とさえ言われた時代です。しかも、商業ベースで封切られる映画は、仁侠やくざ映画にピンク路線。商業ベースに乗りにくい「蜜蜂の囁き」などの映画は、地方ではそもそも見ることさえかなわなかったのでした。
そんな頃に、1980年代の中ごろだったでしょうか、山形市内に「フォーラム」という小さな映画館ができました。わざわざ東京まで出かけなければ、良い映画を見ることができないという現状に不満を持つ映画好きが集まり、出資金を出し合って自分達の映画館を作ったのです。運営委員会方式の映画館経営は、経営的な難しさもあったでしょうが、当初の冷たい見方をくつがえし、着実に成長(*1)していきます。近年は、山形だけでなく秋田を除く東北各県に「◯◯フォーラム」等の映画館ができるまでになりました(*2)。現在の「山形フォーラム」は、駅前の市民会館の近隣にある建物に移転し、専用駐車場も備え、ずいぶん便利になりました。それでも、写真のように内部に映画ファンの声が掲示され、あいかわらず手作り風の雰囲気が残っています。
こちらは、現在の山形フォーラムの入口。
山形市で隔年開催されている、「山形国際ドキュメンタリー映画祭」(*3)も、山形のこのフォーラムを支えた映画好きの存在を抜きにしては語れないものでしょう。地方都市における映画館経営のあり方に一石を投じた「フォーラム」のあり方は、1970年代に産声を上げた東北最初のプロ・オーケストラである山形交響楽団の成長とともに、地方在住の人たちの独立心のあらわれなのかもしれません。
(*1):山形フォーラム~Forum Movie Net
(*2):福島フォーラムの設立と成長を紹介した新聞記事~アサヒコム福島版~
(*3):山形国際ドキュメンタリー音楽祭の由来
そんな頃に、1980年代の中ごろだったでしょうか、山形市内に「フォーラム」という小さな映画館ができました。わざわざ東京まで出かけなければ、良い映画を見ることができないという現状に不満を持つ映画好きが集まり、出資金を出し合って自分達の映画館を作ったのです。運営委員会方式の映画館経営は、経営的な難しさもあったでしょうが、当初の冷たい見方をくつがえし、着実に成長(*1)していきます。近年は、山形だけでなく秋田を除く東北各県に「◯◯フォーラム」等の映画館ができるまでになりました(*2)。現在の「山形フォーラム」は、駅前の市民会館の近隣にある建物に移転し、専用駐車場も備え、ずいぶん便利になりました。それでも、写真のように内部に映画ファンの声が掲示され、あいかわらず手作り風の雰囲気が残っています。
こちらは、現在の山形フォーラムの入口。
山形市で隔年開催されている、「山形国際ドキュメンタリー映画祭」(*3)も、山形のこのフォーラムを支えた映画好きの存在を抜きにしては語れないものでしょう。地方都市における映画館経営のあり方に一石を投じた「フォーラム」のあり方は、1970年代に産声を上げた東北最初のプロ・オーケストラである山形交響楽団の成長とともに、地方在住の人たちの独立心のあらわれなのかもしれません。
(*1):山形フォーラム~Forum Movie Net
(*2):福島フォーラムの設立と成長を紹介した新聞記事~アサヒコム福島版~
(*3):山形国際ドキュメンタリー音楽祭の由来
こちらの記事はあえて読まずに行ったのですが、観終わって読むと、ほんとに、なるほど、でした。
「敬愛なるベートーヴェン」、お楽しみに。
今日は別の作品を観てきてしまいましたが「敬愛なるベートーヴェン」は19日まで、是が非でも滑り込まなくては!