電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

夏川草介『神様のカルテ3』を読む

2012年12月21日 06時04分05秒 | 読書
小学館から刊行されている、夏川草介著『神様のカルテ3』を読みました。この人気シリーズのストーリーを簡単に要約してしまうのは、味も素っ気もなくなるだけでなく、未読の読書家には楽しみも半減かと思いますので、できるだけボケた書き方で、感想を綴ることといたします(^o^)/

もとより不自由の大地に理不尽の柱を立てて、憂鬱と圧迫の屋根をかけたものが、人生という掘立小屋である。わずか三十年の営みでは、まだまだ住み慣れた住居にはなりえないのだろう。せめて不惑に至るころには、この重苦しい屋根くらいは、風通しのよいものに掛け替えたいものである。(p.45)

こんな文章は、いかにも夏目漱石フリークのものと思いますが、栗原先生と榛名さんとの間には、

愛することに疲れたみたい/嫌いになったわけじゃない

などという歌は入り込む余地はないようですね、今のところ(^o^)/

「心を射抜かれたまま一歩も前に進めない」「男運の悪い」美人看護師の東西さん、高校時代の音楽の先生との思いがけない邂逅に、雨中の祈りを捧げます。居酒屋九兵衛で栗原先生に愚痴ったことで、なんとか復活したみたい。ヨカッタヨカッタ。彼女は可哀想だけれど、まずはヨカッタ(^o^)/
しかし、金魚屋に元音楽教師と、アル中の患者が次々に登場します。それが、強烈な小幡奈美先生がからむ波乱の幕開けの伏線となっているところなども、うまいものです。リンゴの丸かじりは、私も時々やっていますので、それほど奇矯な行動だとは思わないのですが、たしかに畑では自然な行為も、医局では不自然に見えるのかもしれません(^o^)/

本書のハイライトは、やはり小幡奈美先生の登場と強烈な言動、そしてその背後にある、夫を救えなかった無念と悔恨でしょう。後をなぞるように誤診をしてしまう栗原先生は、島内老人との信頼感のおかげでセーフでしたが、実際のところは薄氷を踏むような状況でした。

最初にかかったお医者さんに「様子を見ましょう」と言われたけれども納得せず、別のお医者さんで診てもらったら、胆嚢にガンが見つかった例を知っています。医学の限界における誤りならば仕方がないけれど、限界のはるか手前で見逃されるのでは、泣くに泣けない。セカンド・オピニオンの重要性もあります。大学の医局に戻る栗原先生の今後の展開が楽しみです。

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