電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

モーツァルト「ピアノ協奏曲第13番ハ長調」を聴く

2012年12月09日 06時04分30秒 | -協奏曲
通勤の音楽として、このところモーツァルトのピアノ協奏曲を聴いています。ウィーン定住開始の頃の三部作(第11~13番)のラスト、第13番ハ長調、K.415 です。演奏は、アンネローゼ・シュミット(Pf)とクルト・マズア指揮のドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団で、DENON の紙箱全集からの1枚。

海老沢敏氏が執筆した、添付のリーフレットによれば、この曲の作曲年代は正確にはわかっていないのだそうで、次のような理由から、1782~83年の初頭と考えられているそうです。

いずれにしても、1783年1月15日の《ヴィーン新聞》には、アルターリア社から出版される3曲の協奏曲の予約募集広告が掲載されている。また、同年3月22日に行われたモーツァルト自身の演奏会で、このハ長調の作品と、もう1曲、ヘ長調かイ長調の曲が取り上げられている。この演奏会は、たいへんな成功であったらしい。彼はまたこの協奏曲を、3月30日に行われた歌手テレーゼ・タイバーの音楽会でも演奏している。この音楽会には、皇帝ヨーゼフ2世も列席していた。とくにハ長調の作品のロンド楽章が喝采を浴び、アンコールされたという。(p.20)

簡単に要約すると、
(1) 1783年1月15日付けウィーン新聞に、楽譜出版の予約広告が掲載されている。
(2) 1783年3月22日の自身の演奏会で演奏されており、大変な成功だったらしい。
(3) 3月30日の別の演奏会でも再演されている。
などの理由から、判断できる、というわけです。

ところで、皇帝ヨーゼフ2世が列席した音楽会は、3月22日だったのか、それとも3月30日だったのか?文面から判断する限り、「この」という指示代名詞は、直前の30日の演奏会を指すと解釈できますが、事実はどうだったのか。新潮文庫の田辺秀樹著『モーツァルト』には、このあたりの記述はありません。ネット上の記載をみると、22日のモーツァルト自身の演奏会に皇帝が列席したというものもあるようです。

ハ長調の協奏曲の楽器編成は、Ob(2),Fg(2),Hrn(2),Tp(2),Timp. および弦5部となっています。弦楽四重奏に管楽器を加えても演奏できる第11番や第12番とは異なり、編成の点でも充実した、魅力的で堂々たる音楽となっています。

第1楽章:アレグロ、ハ長調、4分の4拍子。協奏曲の書式によるソナタ形式。期待感を高めるオーケストラに続き、独奏ピアノが入ります。速いテンポでめまぐるしく指が動き回る様子に、聴衆は固唾を飲んで聴き入ったことでしょう。いきなりの見せ場です。
第2楽章:アンダンテ、ヘ長調、4分の3拍子、小ソナタ形式あるいは三部形式。トランペットやティンパニはお休み。実にみずみずしい情感をたたえた楽章で、カデンツァのところなどは本当に聴き惚れます。スタッドレスタイヤによる通勤の音楽ではわかりにくく、自宅のステレオ装置で静かな環境で聴いて、このことを実感します。
第3楽章:アレグロ、ハ長調、8分の6拍子、ロンド形式あるいはロンド・ソナタ形式。はじめはピアノ独奏で主題を提示し、オーケストラが続きますが、途中でハ短調のアダージョに変わります。この表情の転換は、短いですが実に印象的。そして一回だけに終わらず、様々な形で翳りの表情を見せながら、最後は見事に平安のフィナーレに持っていきます。

アンネローゼ・シュミットが、見事なピアノを聴かせます。クルト・マズア指揮ドレスデン・フィルも充実した演奏です。第13番の協奏曲は、ウィーン定住開始の頃の三曲の中でもお気に入りの一つなだけに、このコンビによる全集の中でもとくに見事な演奏の一つなのではと感じます。

■アンネローゼ・シュミット(Pf)、マズア指揮ドレスデン・フィル盤
I=9'52" II=6'59" III=8'03" total=24'54"

ハ長調のピアノ協奏曲といえば、第25番K.503 を思い出しますが、こちらは若さと魅力をいっぱいに押し出した、ヴォルフガング君のチャームを聴かせる協奏曲と言えそうです。

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