行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2023年6月24日(土)の日記

2023年06月24日 | 日記

今日は散髪。社会人1年目に住んだ葛西で馴染みになった床屋へ約40年行っていたが、そこが閉店したので家から近い範囲で探した店に変え、今回が2回目。

前回は葛西へ行って閉店を知り、大急ぎで近くを探して行った。なので、散髪をするときの週末の”通常パターン”は今日が初めてになる。これまでとのリズムの違いに、どうも戸惑う。

わざわざ葛西へ散髪に行っていても、負担に感じたことはなかった。都内への通勤定期の範囲内で余分な交通費はかからない。むしろ、何週間かに1回、ふだん降りない駅で降りることが気分転換になっていた。コロナ禍になってからは、全般に運動不足気味になったので、その緩和にも役立った。

昼飯は電車に乗る前に行徳駅あたり(南行徳にいたころは南行徳駅あたり)か、葛西で降りてから食べていた。今日はどうしたかというと近くのコンビニで買ってきたものを食べ、午後の早めの時間に予約が取れたので行ってくる。

時間に余裕ができたが、長年馴染んできたリズムが急に変わったのだから、何回か経たないと新しいほうには馴染めないだろう。とりあえず今日は余裕ができた午後の時間に、昨日ケーブルテレビで録画したおいた「スタートレック・ディスカバリー」を見る。

 

今日は6月最終土曜日で、湊・水神宮の祭礼の日。これまで自分が行っていたのとだいたい同じ時間帯で、午後6時を過ぎてから出かける。

午後6時半ごろ、行徳街道に設けられた参道入口に着く。

テント内で展示されている湊の町神輿と獅子頭。

参道を抜け、旧江戸川堤防沿いの道に出る。賑わいはコロナ禍前と変わらなかった。

水神宮の手前。

お参り待ちの列は長くなかったのでお参りしてくる。

参拝者に配られるお菓子。帰ってから写したもの。

諸事情があると思うが、過去に貰ったことがあるものより小ぶりだった。

水神宮そばのお守り売り場。

さて、このあと堤防上の屋台(露店)の並びを歩いて湊新田方向へ向かおうと思っていた。そして、今回は水神宮から湊新田方向への一方通行ということになっている。押切水門そばでは入場待ちの列の最後に並ぶように案内していた。

ところが、列の最後に並ぼうと堤防上を上流側へ歩いて行くが、行けども行けども最後部が現れない。湊の隣の押切の範囲を超え、その隣の伊勢宿に達してもまだ最後部にならない。伊勢宿とその隣の関ヶ島の境界付近まで来て、ようやく列の最後部となった。

湊のエリアから歩いてきた人たちだけでなく、反対側(妙典エリア)からも人が次々来て列が伸びていた。

この列に並んでも屋台エリアに入れるのはいつになるか分からない。堤防に上がるのは諦め、堤防下を湊のエリアへ戻る。

あとは堤防下から屋台の並びなどを写していく。

さっきの行徳街道からの参道を抜けたところに、湊囃子連が演奏する舞台が設けられていたが、自分がいた時間には演奏はなかった。

さらに湊新田側へ歩き、振り返って写したもの。

それにしても、過去に来たときの”体感”と比べても今回は人の多さが凄まじいと思えた。

堤防上の屋台の並びは湊のエリアで終わる。このあたりは堤防が低いので上ることができる。

その先、鴨場みちの入口のところから交通規制が始まっている。ここまで来ると、多少は人が少ないというイメージを持っていたが、南行徳エリアのほうからも次々に人が来る。この祭りではこれまで経験したことがない人の多さと思えた。コロナ禍でたまっていたものが吹き出したようにも感じた。

自分の推測だが、堤防上の屋台の並びが一方通行になったのは警察の指導が入ったためではないかと思う。コロナ禍での行動制限が解かれて一気に人が繰り出すことを予想したとも考えられる。それに去年、韓国の群衆事故で100人超の死者が出る惨事があったので、日本の警察も人が集まる行事に対してこれまでになく神経質になっているのではないかと思える。

でも、今日の人の多さを見たら、そうした一方通行や入場制限を行って正解だったのだろうと思えた。

 

行徳駅前へ戻り、日高屋で晩飯。

週末だし、軽く飲む。生ビールとおつまみメニューからネギチャーシュー

いっしょに注文したが焼く時間が必要な3個餃子は遅れてくる。

追加で注文したレモンサワーとそら豆

締めに半チャーハン

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