晴れ。
今日も暑い。
昨日、皆で「日光」へ行ってきました。「日光東照宮」を拝観して、「中禅寺湖」で昼食を摂り、「華厳の滝」を見て、それから一路行徳へ。
集合時間は6時15分で、最初に来ていたのは、例年通り、スリランカの学生。毎年、スリランカの学生がいるときには、バスの席取りの関係でしょう、いつも「一番」は、スリランカ人で、後ろの五人掛けを狙うのです(早い者勝ちということで、「一番」先にきていれば、好きな席をとることができます)。
ところが、今年、スリランカの学生は、「三人」プラス「卒業生ひとり」ということで、五人に満たない…。で、後ろは後ろですが、最後列の一つ前の列を狙っていたようです。
ネパール人学生とスリランカ人学生は、ノリノリで、ガイドさんの話にも、質問にも、「は~い」や「いいえ」は言うに及ばず、何でも、大きな声で答えてくれます、後ろから。ところが、ベトナム人はこれが苦手で、我関せずと無視している。「皆に問いかけている」ということは、「誰も答えなくていい」ということになると理解しているのでしょう。今回はバスの半分より前に、ベトナム人が集まって座っていたので、そこだけが、し~んとしている。後ろの賑やかさとは全く異次元の静けさ。
見ると、スマホで友だちと連絡していたり、音楽を聴いていたりしている。同国人だけと、笑い合ったり、何か言い合ったりして、学校という世界に存在しているにもかかわらず、幕を張り巡らしたベトナムという小世界で生きているかのよう。垣根を越えて、いろいろな国の人たちと、一緒に遊ぶということが、出来ないのでしょう。毎年、この図は変わりません。
皆(他の国の人たち)でやるというのが、本当にだめなのです。同じベトナム人とだけであったら、和気藹々とすぐに助け合い、うまく行くのですが、この「根性」は、なかなか変わりません。この学校から同じ大学に行った学生達が、「ベトナム人はすぐ固まって他の国の人たちを排斥する。だから、こっちも無視する」などと言っていましたし。
教室で一斉授業のときには、仲良くしているように見えても、いざ、教師がいなくなると、途端に、ベトナムでガチガチに固まってしまい、他国者を排斥してしまう。この傾向は変わりません。どうしてでしょうねえ。
ベトナム人の、この習性を見ていると、日本人の島国根性とか、すぐ、「村を作る」とか言うのが、かわいらしく見えてくるほどなのです。
日本人も「群れる」る傾向にあるのは確かなのですが、(多国籍の)集団の中に、だれか、独りぼっちの人がいると、すぐに、手を差し伸べて、輪に入れると思うのですが、それもない。知らん顔です。見て見ぬふりと言うよりも、もとからその意識がない。…ベトナム人が他国で仲良く暮らしていくというのは、本当に大変だと思います。
これは、彼等にとって、不幸だと思えるのです。
ネパールも、スリランカも、小国である点では、ベトナムや日本と同じなのですが、グッと開放的で、「頼むね」と一言言っておくと、どの国の人であれ、すぐに仲間に入れてくれ、昼食などのグループですることに何ら支障が生じないのです。
今年は、ベトナム人の中に一人だけ、他の国の人たちと親しくしてくれる学生がいるのですが、同国人がきわめて閉鎖的だと、一人だけ浮いてしまい、時々、かわいそうになることさえあるのです。
日本政府は、ベトナム人に関しては、あまり厳しく見ていないようですが、日本で、このような人々はどうやって折り合いをつけていくのでしょうね。もっとも、彼等は日本人に対しては、そういう態度を取らないようですが。日本にも、ベトナム以外から来ている人は多いのです。自分たちもその中の一人であるという意識がないのかしらん。
日々是好日