よく行くこの町の図書館のそばに弥生時代の新宮宮内遺跡がある。
たまたま早く着いたので図書館の開館前に隣の遺跡を散歩した。
初めてこの弥生の遺跡を見たころから大して変わりはないけど、広くなっている。
最初に見たときは竪穴復元住宅は一つしかなかったけど今では3棟ある。
この町、大して自慢するものはないけど・・・
(いえ、これは謙遜です。本当は自慢するものはいっぱい!
いっぱい?
まあ・・・そこそこはあるのですよ)
正直、昔たまたま仕事で来て新宮駅に降りて、ほんと、がっかりした。
そして不思議に思った。
何が楽しくてこんな町にみんな住んでるの?
まったくうらぶれた活気のない田舎町。
何の興味も引かなかった。
ところがその後、なんとこんな町に住むことになるとは・・・まったく思いも及ばなかった。
そう、きっとよほど前世の行いが悪かったのだろう。
そしてなんと住むことになってしまったのだ。
その後、平成のい大合併で隣の龍野市に吸収されてしまった。
龍野は小京都と言われる観光地。
とっても魅力的な古い町並みがある。
それで今ではどこに住んでるの?と言われたら、
「新宮」と言わないで、「龍野」という。
新宮というと和歌山と間違われるから。
でも住んでみるといろいろ面白いことはある。
播磨というと播磨風土記の時代から、古い古い時代から、源平時代や太平記、そして戦国時代、歴史の脇役どころか主役でもあったのだ。
ここもそう、歴史が好きな人にはとっても興味ある土地なのだよ。
というわけで新宮宮内遺跡、わざわざ来ることはないけど、
何かのついでがあったら、来てみませんか?
この遺跡の詳細について興味のある方は次の写真を見てください。
(説明するのが面倒なので・・・そろそろ酔っぱらってきたので・・・)
どう?なんか来てみたいなと思いません?
それに、ここだけでなく、ここには古墳とかもいっぱいありますよ。
あの室町時代の重大事件、嘉吉の乱の最後の舞台、赤松が滅亡した城山城もあるし、
太平記の舞台でもあるし、司馬遼太郎の播磨灘物語の舞台でもあるし、
そしてなにより、このぐうたら百姓が今日も酔いどれている、このこの農園の舞台でもあるし・・・
うむ、いかん!今日も酔っぱらっています!!
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