死を怖がって
死に慣れて
最後は死とお友達になる
さすがに死とはお友達にはなりたくないけど、
でも死には慣れて来た。
年上の人たちだけでなく
同じ年代の人も
もっと若い人も
年ごとに死を身近に接することが多くなってきた。
今年に入って毎月のように身近な人が亡くなった。
今日は隣保の人のお通夜と葬式の打ち合わせ。
ここに来た当時は家や公民館で隣保の人総出で葬式するのが普通だった。
当日の食事も隣保の女性たちでみんなで作り、
死亡届も隣保の人がだし、
その上実印さえもあずかって銀行から必要な金を引き出し、
葬式費用をすべてその範囲内で納めて、
そんな面倒なことはみな集落の人がやり、
とっても安上がりに葬式をあげる。
残された家族の人はただ、亡くなった人を弔う。
そんな昔ながらの葬式に立会いすっかりカルチャーショックを受けたし、逆にとっても斬新に思えた。
でもそれが残された家族の精神的な負担になる。
それでいつしかみんな葬祭場でするようになり、さらには今では葬祭場での家族葬が普通になった。
そうなると村八分の残り2分、火事と葬式、葬式を隣保でする意味がなくなった。
葬祭場ですると隣保の人もみな出るけど、やることがほとんどなくなり手持無沙汰。
葬式を助けるのでなく、逆に残された家族の精神的な負担になっている。
そのため家族葬が普通になった。
そして久しぶりの自宅葬。
集まった集落の人、ここに来たころに比べると滅茶苦茶少なくなった。
う~~~ん、みんな家族葬になってきたのもわかるような気がする。
死に慣れて
最後は死とお友達になる
さすがに死とはお友達にはなりたくないけど、
でも死には慣れて来た。
年上の人たちだけでなく
同じ年代の人も
もっと若い人も
年ごとに死を身近に接することが多くなってきた。
今年に入って毎月のように身近な人が亡くなった。
今日は隣保の人のお通夜と葬式の打ち合わせ。
ここに来た当時は家や公民館で隣保の人総出で葬式するのが普通だった。
当日の食事も隣保の女性たちでみんなで作り、
死亡届も隣保の人がだし、
その上実印さえもあずかって銀行から必要な金を引き出し、
葬式費用をすべてその範囲内で納めて、
そんな面倒なことはみな集落の人がやり、
とっても安上がりに葬式をあげる。
残された家族の人はただ、亡くなった人を弔う。
そんな昔ながらの葬式に立会いすっかりカルチャーショックを受けたし、逆にとっても斬新に思えた。
でもそれが残された家族の精神的な負担になる。
それでいつしかみんな葬祭場でするようになり、さらには今では葬祭場での家族葬が普通になった。
そうなると村八分の残り2分、火事と葬式、葬式を隣保でする意味がなくなった。
葬祭場ですると隣保の人もみな出るけど、やることがほとんどなくなり手持無沙汰。
葬式を助けるのでなく、逆に残された家族の精神的な負担になっている。
そのため家族葬が普通になった。
そして久しぶりの自宅葬。
集まった集落の人、ここに来たころに比べると滅茶苦茶少なくなった。
う~~~ん、みんな家族葬になってきたのもわかるような気がする。