ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

田舎暮らし16年

2018年04月13日 17時03分49秒 | 田舎暮らし
昨日で田舎暮らしも16年になった。
ここに来た頃小学生だった近所の子も、もう結婚して子供までいる。
16年・・・いったい何をしてきたんだろうね?
すっかりススキが原になってた農地を開墾して、
鹿や猪避けの電気柵を張り巡らし、
3年間でようやく形になってきた。

不安たらたら無謀な決断で始めた田舎暮らし。
素人が作った野菜を買ってくれる人いるのかな~
なんて不安たらたら始めた野菜作り。
でも普通の野菜を作ったんではプロの野菜にかなうわけはない。
そこで無農薬・無化学肥料の野菜作りをした。
最初は土づくりに市販の牛糞や鶏糞を買ったけど、
2年目に山羊を飼い、3年目に鶏を飼って、糞で堆肥やぼかしを作って、肥料も自前でまかなった。
農薬はいっさい使わなかった、自然農薬もニンニクや酢さえも。
そのためさんざん虫にやられた。
とりわけ参ったのがヨトウムシ。
米は作らなかったのでせめてその代用に大豆を作ったけど、芽が伸びたころつぎつぎに倒されていく。
いったい誰の仕業だろう?!
それはヨトウムシ。
夜になると出てきて芽をかじる。
それで夜中、懐中電灯を片手にヨトウムシ退治をしたこともある。
でもそのうち気づいた。
ヨトウムシがまず狙うのは弱い野菜。
次に狙うのはきれいに草を抜いて所の大豆。
最後まで残ったのが草ぼうぼうの大豆。
害虫もきっと草ぼうぼうの所は怖いのだろう。
天敵が潜んでいるかもしれないから・・・
それでまず草を抜いたところの野菜を食べる。
そうかそうだったのか、
これは我が意を得たり!
あまり手をかけないでほったらかしにしてたらいいのだ。
と思ってうれしくなった。

田舎暮らしを始めて16年。
一番楽しかったのは最初の1年。
古い耕運機で何度も何度も畑を耕し、
野菜作りでなく土作りをした。
最初の1か月で5キロ痩せ、1年で10キロ痩せた。
毎日汗びっしょりになり、一日3回着替えをしてシャワーを浴びて、昼寝をして、夕方また汗びっしょりになって畑を耕した。
でもそして流した汗の分だけ目に見えて成果が上がる。
そんな暮らしがとっても新鮮だった。

最初の1年間は車も買わなかった。
買い物は近くのJRの駅から、2時間に1本、1週間に1度、
1両編成のディーゼル車にのって本を読みながら街に出かけた。
帰りうっかり乗り過ごすと2時間待ち。
駅でビールを飲みながらゆったりまったり本を読みながら時間を過ごした。
そんなゆったりした時間は車が来てからはもうない。
あわただしく用を巣褪せてあわただしく帰る。
途中本も読めない。

そして2年目から始めた野菜作り。
最初は都会にいたころのつてやネットで知り合った人たちを頼りにまず野菜の宅配を始めた。
田舎暮らし派の強みは都会との距離が近いこと。
田舎の人はそうはいかない。
軽トラに米や野菜を積み込んで見知らぬ都会に売りに行っても誰も買ってくれない。
そこでどうしても農協や道の駅や生産者直販店で売らないといけない。
そして買いたたかれる。
道の駅や生産者直販店では他の人より多く売ろうと値引きしたら、すぐに他の人も値引きする。
そして値引き合戦が始まりお互いに首を絞めあう。
それで道の駅や生産者直販店に出荷するのはやめた。
そして野菜はほそぼそと宅配だけをしてたまにイベントなどに出店して売った。

しかし・・・今ではもうこんなゆったりした時間はない。
車がきて逆にとっても忙しくなった。
それから数年後に息子が合流して規模が数倍大きくなった。
三反弱で始めた畑も今では1町くらいある。
農業のやり方もすっかり変わった。

 せこく貧しくみみっちく
 金は使うな手を使え

と思って始めた農業。
パーマカルチャ・・・と言ったら聞こえはいいけど、昔ながらの自給自足的な農から、
真面目な農業に変わった。
農は楽しい、でもそれに業がつくと・・・
「業」は「ごう」、途端に苦しくなる。
でも「農」を楽しめるのは所詮、年金暮らしだから。
でも若い世代はそんなこと言っていられない。
こちらはもはや隠居の身、毎日のほほんと酒を飲んで暮らしているけど、
息子夫婦はとっても蟻のように独楽鼠のように働いている。
昔も今も変わらないのは無農薬・無化学肥料の野菜作りだけ。
でもまあそれは、それでいいのだと自分だけ納得して暮らしている。
コメント
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