ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

健診

2018年03月24日 20時47分09秒 | 酒の話
昨日医院に行った。
そして先日の健診の結果を聞いた。
それが何とも不思議な話。
血圧以外はなんの異常もない!
すべて正常人間!
酔っぱらい度の、γ-gtpも異常なし。
これってウィスキーを2日で空ける人間に、
焼酎を3日で空ける人間に、
もっと反省して、もっと飲めということか?

正直最近の自分をとっても異常だと思っていた。
ちょっと飲みすぎ、かなり飲みすぎ、大いに反省せねば!と思っていた。
ところが健診結果はそれを打ち消す。
「もっと飲め!さらに飲め!!」
と悪魔がささやく。

 もっと飲め!さらに飲め!!

今日もまた飲んでいる。
たらふくたらふく飲んでいる。


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アメリカの・・・古い曲を・・・

2018年03月24日 19時59分21秒 | 音楽の話
朝は寒かったけど、昼間はとっても暖かい長閑な日だった。
いつも車の中ではクラシック音楽をかけている。
家の中ではもう聞けない。
だってステレオが故障してもうなくなったから。
聞きたいレコードはいっぱい持ってるけどレコードプレーヤもなくなったから、
今では車の中でCDを聞くのだけが唯一の楽しみ。
それで退屈な運転中CDでクラシックを聞くのが楽しみ。

でも近頃、ちょっと変な気分、
アメリカの古い曲を聴いている。
プラターズ、パティ・ページ、ブラザーズ・ホア、アンディ・ウィリアムズ、グレン・ミラー、ハリーべラフォンテ・・・
古いアメリカの良き時代。
それはきっとアメリカの白人にとって良き時代だったのだろう。
当時人種差別は酷かった。
今では法的には白人も有色人種も平等だけど、当時は法律からさえ差別されていた。
アメリカ映画はインディアンを殺しまくる西部劇。
弓矢で襲うインディアンを侵略者の白人が銃で殺しまくる、そんなシーンをみんな喜んで見ていた。
そんな昔懐かしい白人社会の古き良き時代。

そんな良き時代の音楽を今きくと、
テンポが今の時間にそぐわない、いかにものろく、すっかり眠むたくなるような、
昔懐かしいとってもいい気分になれる。

でも・・・フロンティア精神、
別の言葉で言えば侵略者精神。
そしてそれに勝ってよき時代を迎えた時代。
そんな時代の音楽。
しかしもうすでに退廃の時を迎えた時代の音楽。
そんな音楽を狭い車の中で心地よく聞いている。
複雑な気持ちで聞いている。




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桃の摘蕾

2018年03月24日 17時44分29秒 | 田舎暮らし
桃のつぼみを摘みに行った。
隣の町の桃園で桃の木2本のオーナーになっているので時々作業に行っている。

しかし摘蕾・・・
これからせっかくきれいな桃の花が咲くのに、摘み取るなんて!
・・・と、内心思いつつも、いっぱい摘み取ってきた。

摘み取るのは枝の先端と上向きになってるつぼみ、
それから下向きでも複数なってるつぼみは一つにする。
この目的は大きな果実を作るということだけでなく、
袋掛けしやすくするため。
所詮人間のつごうなのだ。

去年吉備路に行ったとき見かけた桃農園では花が咲いた後に摘み取っていた。
多分これは観光を意識してたのかもしれない。
でも桃の立場に立ったら、どうせ摘み取られるなら、
せめて花を咲かせ後にしてほしい、ときっと思っているだろう。
花を咲かせる前に摘み取られるのは残念でならないだろう。

ともあれ大きな実をならせるためにいっぱい摘み取ってきた。
そして家に帰ってきて復習。
2本の桃の木のつぼみを摘んだ。
実は我が家の根性なしの桃の木。
もう植えて15年になるのに、実は毎年わずかにつけるけど、途中でみんな落果してしまう。
それで大いに反省して技術を学ぼうと去年から隣の町の桃園のオーナーになったのだった。
そして去年、なんか行けそうな雰囲気だったのだけど・・・
やっぱり駄目だった!
ちゃんと剪定もし、摘蕾・摘果・摘芯もしたのに・・・
あと違いは農薬。
オーナーになってる桃の木は時々薬を蒔いてくれている。
薬をまかないと育たないらしい。
でも我が家の桃の木は薬はまかない。
薬を撒くか撒かないか・・・あとはこの違いしかなくなる。
薬をまかないと果実はできない、ということになるとこれは悲しい。

この農園では無農薬・無化学肥料の野菜を作り続けている。
我が家のような零細農園で普通の野菜作りをしていては、
そんじょそこらのプロにかなうわけはない。
それで始めた農園。
普通の野菜だったら誰だってスーパーの野菜を買う。
でもなんでこの素人の手作り野菜を買ってくれたの?
それは無農薬・無化学肥料で作ってきたから。

それで果樹は売り物にはしてないけど、だからといって農薬を使ったら、この農園「無農薬」なんて言われなくなる。
実がならなくてもいい、木が枯れてもいい。
ここは意地だよ、こだわりだよ。
去年は果樹にとって最悪の年。
木が5本枯れた。
梅、洋梨、リンゴ2本、ブルーベリー。
でもしゃぁ~ないね、とあきらめることにした。
でもね子供のころ我が家に桃の木があった。
そして毎年立派な実がなっていた。
もちろん農薬も肥料さえもやってない、
ろくに剪定さえもしてない。
袋さえもかけてない。
でも毎年立派な実がなっていた。
あんな桃を作りたくて植えた桃。
でもきっと品種改造された桃だろうね、
昔の桃のようにたくましくない。
でも毎年今の時期、とっても期待する。
きっと今年こそうまい桃が食べれるだろう、と。
思っていると・・・
摘果・・・袋掛け・・・
だんだん寂しくなる。
この世が、人生が・・・とってもはかなくなってくる。
いったい何のために生まれて、何のために生きてきたのだろうね・・・
自分の人生って余分・・・
単なるおまけ・・・

そして一つも桃がなることもなく、今年もまた終わる。
そんな年、そんな人生。

でも今年こそうまい桃の実がなってほしい!
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