根が出不精人間、引きこもり人間。
遠出するのも疲れるし、人に会うのも疲れる。
一昨日久々にほんのちょっぴり遠出して、
昨日はなんか疲れて一日ぐったりしていた。
ところでそんな話じゃなく「生」の話。
一昨日行った「日生」。
これを「ひなせ」と読む。
なんで、どうして「生」が「なせ」なんかなぁとついつい思ってしまう。
でも実は「生」という字、とっても読み方が多い。
確か100種類くらいの読み方があるとか・・・
きっと漢字の中では読み方が一番多いのではないだろうか?
い~生きる
なま~生木
しょう~生涯
せい~生活
じょう~誕生
は~生える
き~生酒
ここまでは普通、これからだんだん難しくなる。
よい~弥生
にゅう~埴生・羽生
ふ~芝生
せ~早生(わせ)
て~晩生(おくて)
あい~生憎(あいにく)
なり~生業(なりわい)
いく~生玉(いくたま)
ぎ~蓬生(よもぎ)
うぶ~生
ちょっと思いついただけでこれくらい出てくる。
これに地名や人名を入れたらもっともっと出てくるだろう。
日生を「ひなせ」と読むように。
100くらい読み方があるというのもあながち間違いではないだろう。
このように一つの漢字に読み方を色々つけることによって日本語をとってもややこしくしている。
こんな読み方を覚えるのは日本人でも大変なのに日本語を学ぶ外国人はとってもやりきれないだろう。
もう少し日本語を簡単にしたらどうだろう?
このようにややこしい読み方が万葉時代ころから、万葉仮名としてすでにあった。
まだ文字がないとき漢字が入ってきて、その漢字に大和言葉をむりやり当てはめた。
東の雲と書いてしののめ。
長い谷(長谷)とかいてはせ。
長谷寺、長谷川の語源。
もとは長谷寺があるところは初瀬(はつせ)と呼ばれていた。
そこは長い谷が続いている。
それで長谷と書いて「はせ」
今の長谷川という名前の語源だ。
これは一例で今でもこの読み方、はて?
というものに万葉起源は意外と多い。
それ以外にも中国の王朝が変わるたびに新しい読み方が入ってきた。
それが日本語を滅茶苦茶ややこしくしている。
幸い文字の分野ではもう中国から新しい読み方は入ってこなくなった。
ここでもういい加減過去の遺物を切り捨てて、
もっとすっきりした日本語を作るべきではないだろうか?
遠出するのも疲れるし、人に会うのも疲れる。
一昨日久々にほんのちょっぴり遠出して、
昨日はなんか疲れて一日ぐったりしていた。
ところでそんな話じゃなく「生」の話。
一昨日行った「日生」。
これを「ひなせ」と読む。
なんで、どうして「生」が「なせ」なんかなぁとついつい思ってしまう。
でも実は「生」という字、とっても読み方が多い。
確か100種類くらいの読み方があるとか・・・
きっと漢字の中では読み方が一番多いのではないだろうか?
い~生きる
なま~生木
しょう~生涯
せい~生活
じょう~誕生
は~生える
き~生酒
ここまでは普通、これからだんだん難しくなる。
よい~弥生
にゅう~埴生・羽生
ふ~芝生
せ~早生(わせ)
て~晩生(おくて)
あい~生憎(あいにく)
なり~生業(なりわい)
いく~生玉(いくたま)
ぎ~蓬生(よもぎ)
うぶ~生
ちょっと思いついただけでこれくらい出てくる。
これに地名や人名を入れたらもっともっと出てくるだろう。
日生を「ひなせ」と読むように。
100くらい読み方があるというのもあながち間違いではないだろう。
このように一つの漢字に読み方を色々つけることによって日本語をとってもややこしくしている。
こんな読み方を覚えるのは日本人でも大変なのに日本語を学ぶ外国人はとってもやりきれないだろう。
もう少し日本語を簡単にしたらどうだろう?
このようにややこしい読み方が万葉時代ころから、万葉仮名としてすでにあった。
まだ文字がないとき漢字が入ってきて、その漢字に大和言葉をむりやり当てはめた。
東の雲と書いてしののめ。
長い谷(長谷)とかいてはせ。
長谷寺、長谷川の語源。
もとは長谷寺があるところは初瀬(はつせ)と呼ばれていた。
そこは長い谷が続いている。
それで長谷と書いて「はせ」
今の長谷川という名前の語源だ。
これは一例で今でもこの読み方、はて?
というものに万葉起源は意外と多い。
それ以外にも中国の王朝が変わるたびに新しい読み方が入ってきた。
それが日本語を滅茶苦茶ややこしくしている。
幸い文字の分野ではもう中国から新しい読み方は入ってこなくなった。
ここでもういい加減過去の遺物を切り捨てて、
もっとすっきりした日本語を作るべきではないだろうか?