鳥取砂丘からの帰り、万葉集終焉の地に寄った。
そこは因幡の国の役所があったところ。
というよりも今では家持が万葉集最後の歌を歌ったところで知られている。
あらたしき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけよごと
ここの国主だった家持はその後政治的には恵まれた生涯をおくっていないし、歌も残していない。それだけにこの歌は正月の祝いの歌というよりも万葉時代の終わりを象徴する歌としての意味が強い。
「籠もよ み籠持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子家聞かな 告らさね そらみつ大和の国は おしなべて 我れこそ居れしきなべて 我れこそ座せ 我れこそば 告らめ 家をも名をも」
この雄略天皇の歌とされる歌で明るく始まった万葉集もこの終焉の地でひっそり幕を閉じる。
国富はどこも似たような地形で想像通りだった。
周りを山で囲まれた平地で海や大きな川には面していない、今ではたいてい田園地帯。
現代の都市の立地とは随分違うのでいつも奇妙に思う。
これは治水の難しさ・・・というよりも日本人の、少なくとも弥生人の原風景が海ではなく大陸ではなかったからではないかと思えてくる。
ところで山上憶良の貧乏臭い歌を見るにつけ国主の給料がどの程度であったか気になっていた。国主というと今の県知事。昔は貧富の差がもっと激しかっただろうからそんなに貧乏なわけはない。因幡万葉歴史観の展示では国主の給料は今の価格で1500万くらいだと書かれていた。やっぱりね。山上憶良は金持ちだったんだよね。・・・としょうもないことに納得した。
それに展示品を見ると国主はとてもいい食事はしていたようだ。
そして当時の庶民の食事と我が家の食事がたいして変わりないことにも納得した。
やっぱりね、そうだよね。
山上憶良が歌っている食事と山上憶良が食べてた食事とは随分違うんだよね。
やっぱりね、そうだよね。
山上憶良が食べてた食事と我が家で食べてる食事とは随分違うんだよね。
そこは因幡の国の役所があったところ。
というよりも今では家持が万葉集最後の歌を歌ったところで知られている。
あらたしき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけよごと
ここの国主だった家持はその後政治的には恵まれた生涯をおくっていないし、歌も残していない。それだけにこの歌は正月の祝いの歌というよりも万葉時代の終わりを象徴する歌としての意味が強い。
「籠もよ み籠持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子家聞かな 告らさね そらみつ大和の国は おしなべて 我れこそ居れしきなべて 我れこそ座せ 我れこそば 告らめ 家をも名をも」
この雄略天皇の歌とされる歌で明るく始まった万葉集もこの終焉の地でひっそり幕を閉じる。
国富はどこも似たような地形で想像通りだった。
周りを山で囲まれた平地で海や大きな川には面していない、今ではたいてい田園地帯。
現代の都市の立地とは随分違うのでいつも奇妙に思う。
これは治水の難しさ・・・というよりも日本人の、少なくとも弥生人の原風景が海ではなく大陸ではなかったからではないかと思えてくる。
ところで山上憶良の貧乏臭い歌を見るにつけ国主の給料がどの程度であったか気になっていた。国主というと今の県知事。昔は貧富の差がもっと激しかっただろうからそんなに貧乏なわけはない。因幡万葉歴史観の展示では国主の給料は今の価格で1500万くらいだと書かれていた。やっぱりね。山上憶良は金持ちだったんだよね。・・・としょうもないことに納得した。
それに展示品を見ると国主はとてもいい食事はしていたようだ。
そして当時の庶民の食事と我が家の食事がたいして変わりないことにも納得した。
やっぱりね、そうだよね。
山上憶良が歌っている食事と山上憶良が食べてた食事とは随分違うんだよね。
やっぱりね、そうだよね。
山上憶良が食べてた食事と我が家で食べてる食事とは随分違うんだよね。