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ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

ヘルマンハープ演奏会

2021年12月22日 17時52分16秒 | 音楽の話
今日の公民館講座はヘルマンハープ演奏会。
えっ?ヘルマンハープ・・・って何だろう?
それは最近ドイツでできた誰でも簡単に演奏できる簡易ハープ。
ハープの形の板に弦が張られている。
板は一見1枚板のように見えるけど、多分中は空洞、音響板になってると思う。
音はハープとオルゴールの中間くらいの音。
手軽さは大正琴なみ。
でも大正琴よりもずっと音域は広く、2オクターブと3オクターブの2種類ある。
原則1本指で弾き、独特の楽譜は弦と板との間に入れて、印のあるところの弦をはじいたらいいだけ。
というわけで障碍のある人でも弾けるバリアフリー楽器と称してる。
原則1本指で弾くのでソロよりも数人で、弦楽四重奏のヴァイオリン2本、ビオラ1本、チェロ1本のように高音部2本、中音部1本、低音部1本くらいがいいのではないだろうか。
あまり楽器が多くなると音が煩わしくなる。
それから歌の伴奏やフルートとの共演もいいと思う。
難しいピアノやギターよりも昔の吟遊詩人のように弾き語りにも向いていると思う。
でもまあ、こんなこと書いてもどんな音かよくわからないよね。
聞いたことのない人、ネットで簡単に検索して聞くことができるので聞いてみてください。
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「新世界」

2021年10月11日 08時46分28秒 | 音楽の話
車の中ではたいていクラシック音楽を聴いている、というか聞きながしている。
昔は、レコード時代はまじめに聞いていたけど、CD時代になってから、かなりいい加減に聞いている。
レコードはきいたらレコード盤も針もすり減る。
これはまじめに聞かねばならぬ。
一方CDは少なくともいくら聞いてもすり減ることはない。
それで聞く方もついついおざなりになる。
それで曲名もなかなか覚えられない。

まあそれはともかく、車の中で久しぶりに「新世界」を聞いた。
いったい何十年ぶりだろう?
昔は交響曲と言うと「運命」「田園」「未完成」「新世界」だった。
レコードもやたらこの組み合わせが多かった。
それですっかり食傷気味になり「田園」はたまに聞くけど、それ以外はずっと避けてきた。
でも久しぶりに聞くと、やっぱりいいと思う。
他の曲に比べると軽さはあるけど、この軽さがドボルザークの魅力でもある。
クラシック音楽は
バッハ ーーー ベートーベン ーーー ブラームス 
という本来の重苦しい流れ以外に
ヘンデル ーーー ハイドン ーーー ドボルザーク
という軽い音楽があるのもクラシックの魅力だ。

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邦楽

2020年09月27日 19時14分48秒 | 音楽の話
いつも車ではモーツアルトとか、時々バッハとか、たまに他の西洋音楽家の曲を聴いてるけど、
この数週間、雅楽とか尺八、琴、琵琶とか、太鼓、笛、三味線・・・とかの邦楽を聞いている。
西洋音楽にどうしても感じる違和感。
それが邦楽ではなくて、聞いてると、とっても落ち着く。
でも西洋音楽になれた耳には物足りなさも感じる。
琴は伝統的な引き方では、強弱をつけないでみな同じ大きさで演奏しているようだ。
それでチェンバロのようになんとも不愛想に聞こえる。
それにメロディーを引かないでもっぱら伴奏に使われるのも不思議だ。
三味線も同じ。
みな同じおおきさで引いている。
どうして強弱をつけないのだろう?
吉田兄弟には強弱をつけて弾くのは例外らしい。
琵琶は不思議な楽器だ。
弦で弾くヴァイオリンなどと違って打楽器的な使い方が魅力でもある。
(三味線でもまあ同じことは言えるけど・・・)
尺八の音はクラリネットよりも親しみやすい。
下手な尺八は聞くに堪えないが名人が吹く尺八の音色はとってもいい!
和太鼓も素晴らしい。
あのリズム感が何とも言えない。
しかも西洋音楽の打楽器と違って、
聞くだけでなく見て楽しむこともできる。

でもまあ、邦楽まだぜんぜん詳しくないので、
そのうち聞いてたら、もっと、なんか、わかってくるだろう



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赤い鳥(2)

2020年05月17日 18時38分42秒 | 音楽の話
昔々サラリーマンをしてた頃、
あるとき大正時代にタイムスリップした。
そこは「赤い鳥」というココア専門の喫茶店、たまたま入った店。
そこには「赤い鳥」という雑誌がたくさん置いてあった。
「赤い鳥」~雑誌の名前は知っていたけど見るのは初めて、読むのも初めて。
川のそばのレトロな店でざらざらした紙にプリントされた粗末な小雑誌「赤い鳥」を読んだ。
「赤い鳥」は大正6年、鈴木三重吉が創刊した童話と童謡の児童雑誌。
鈴木三重吉は作家で教育者でもあった。
それで児童文学に情熱を持ったのだろう。
それまでの政府が進めてきた唱歌や説話を愚劣で低級だとして、
新たに童話と童謡の児童雑誌を創刊したのだった。
今の立場で見ると明治・大正の唱歌を愚劣で低級だとは少しも思わないけど、
まあいつの時代でも若者は時の権力者や政権に反対するもの。
逆に権力者や政権にべったりの若者がいたら、これはとっても気持ち悪い。
というわけで大正6年に児童雑誌を創刊して多くの若者が集まった。
そうそうたるメンバーが。
鈴木三重吉は漱石門下でもあったので、きっとまず同じ漱石門下の芥川龍之介に話を持ち込み、渋る芥川を無理やり引きずり込んだ・・・と勝手に想像する。
さらに鈴木三重吉はとってもリーダーシップがあったのか、
有島武郎、泉鏡花、北原白秋、高浜虚子、徳田秋声などを巻き込んで「赤い鳥」を立ち上げ創刊する。
その後、小山内薫、久保田万太郎、菊池寛、西條八十、谷崎潤一郎、三木露風・・・らも作品を寄稿したり編集に携わった。
そう、日本の文壇の大御所たちが集い集まり児童雑誌「赤い鳥」を立ち上げた・・・
すごい!これってすごいことじゃない?!・・・なんて今では思うけど、
当時ほとんどの人は駆け出しのあるいは無名の作家たちだった。
ちなみに大正6年創刊の時の年齢は、鈴木三重吉 35歳、芥川龍之介 25歳、有島武郎 39歳、泉鏡花 44歳、北原白秋 32歳、
徳田秋声 45歳、菊池寛 29歳、西條八十 25歳、谷崎潤一郎 31歳、三木露風 28歳、小山内薫 34歳、久保田万太郎 28歳
そして 夏目漱石 50歳。
作曲家では山田耕作 31歳、成田為三 24歳。
この時、今NHKの朝ドラのモデルの古関雄二は 8歳、そして(ドラマでは同じくらいの年齢の)古賀 政男は13歳。
そんな時代だ。
(この年齢は、誕生日を無視して生年だけで調べた年齢、前後1年くらいの誤差はあります)
ほとんどの人は今では大御所、でも当時は駆け出し、新進気鋭、あるいは売れない作家たちだった。
でもこの雑誌から芥川龍之介は「蜘蛛の糸」「杜子春」などが、
有島武郎は「一房の葡萄」などが、
新美南吉は「ごん狐」などが、生まれた。
童謡は最初は詩だけだったけど、創刊の翌年から、楽譜も掲載された。
その最初が西條八十作詞・成田為三作曲の「(歌を忘れた)カナリヤ」
このほかにも北原白秋作詞・山田耕作作曲の「からたちの花」もこの雑誌に掲載された。
しかしどちらも単純な有節歌曲ではない。
子どもたちが簡単に歌える歌ではない。
本当の童謡はきっとこの雑誌の表題にもなっている、「赤い鳥」なのだろう。
北原白秋作詞・成田為三作曲の「赤い鳥」。
とっても単純な詩と曲、一度聴いたら誰でも覚える、誰でも歌える。
これこそ童謡の原点に違いない。

赤い鳥 小鳥 なぜなぜ 赤い
赤い実を食べた 
白い鳥 小鳥 なぜなぜ 白い
白い実を食べた 
青い鳥 小鳥 なぜなぜ 青い
青い実を食べた 

「赤い鳥」の話まだ続きます。
(続く)
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田園

2019年07月12日 17時48分48秒 | 音楽の話
梅雨の晴れ間、とっても暑かった!
対向車はみんな窓を閉めきって走っている。
軟弱な!
普通車ならいざ知らず、軽トラや軽4輪は夏は窓をいっぱいに開けて、冬は窓を閉め切って、寒さに震えながら走るのが、正しい走り方ではないか。
それが何と、軽トラでさえ窓を閉め切って走っている。
まったくプロの自覚のない奴だ。
これはぜったい「日本の明るい農村」のあるべき姿ではない。
恥を知れ恥を!

そう思いながらも、さすがに今日は窓を閉め切りクーラーをして走った。
「えっ~~!あの人窓を開けて走ってる・・・クーラーないんだ・・・可哀そう・・・」
なんて、可哀そう人間、と思われるのもなんか癪だし、
たまにはこちらだって「人並にクーラーすることだってあるんだぞ!ざまぁ~みろ!」と言いたい気もして、
もちろん窓を閉め切り、クーラーをかけてるふりをして汗まみれになって走るという手もないこともないけど、
さすがにそこまでする気力もなく、
今日はすっかり軟弱人間になったのだった。

ところで車の中ではたいていクラシック音楽を聴いている。
そして今頃の季節は、日ごろ聴くことのない「田園」や「モルダウ」を聴きたくなる。
小川のせせらぎ、木陰のやすらぎ、
「田園」にはそんな描写がいっぱいだ。
でも梅雨が明けると、「田園」ですらオーケストラの音がとっても暑苦しく感じられて聴く気にはならなくなる。
いつも聴くのはカラヤンの「田園」とグレン・グールドのピアノによる「田園」。
この典型的なオーケストラの曲をピアノで聞くととっても新鮮だ。
暑苦しくない、とっても涼しい!
これだったら梅雨が明けても聴ける。
なんか物足りないような、まどろっこしいような気がしないでもないけど、
とっても身近に気楽に聞くことができる。
同じグレン・グールドのピアノによる「運命」もとってもいい!
「田園」はモノラル録音だったと思うけど、「運命」はステレオ録音。
音の幅が格段に広がっている。
これもとっても楽しめる。

でもまあそんなことは置いといて・・・
たまには窓を閉め切り、クーラーをいっぱいかけて、ボリュームをいっぱい上げて、「田園」を聴くのはとっても楽しい!
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たまにはベートーベンを

2019年06月05日 17時59分30秒 | 音楽の話
趣味はいろいろあるけど、中学時代からずっと続いている趣味はというと、読書とクラシック音楽鑑賞。
読書は今でも昔のままに続いているけど、音楽鑑賞はずいぶん変わってきた。
昔はレコードの時代。
聞けば聞くほどレコード盤もすり減る針もすり減る。
レコードにはほこりもたまるので、しょっちゅうクリーナーでレコード盤を掃除をしないといけない。
そんな手間がかかるのでレコードを聴くとき、慎重に真剣に聞いたものだった。
真面目に聞かねば損する!とばかり、真剣に聞いたものだった。
人に寿命があるように、それ以上にレコードには寿命がある。
それでレコードは真剣に聞いたものだった。

ところがCDになってすっかり堕落した。
アナログは劣化するけどデジタルは劣化することはない。
というわけで聞き流しの楽しみを味わった。
そして一度でもこんな楽しみに、きっと悪魔の楽しみに染まると、これはすっかり癖になる。
昔はヨーロッパの上流貴族はバッハやヘンデルやハイドンやモーッアルトの演奏する音楽をきっと食事のつまに、酒のつまに、
適当に聞いたのだろうね。
でも今では聞きたいと思ったらいつでもネットを通して聞くことができる。
レコードはもちろんCDさえも持つことはない。
ただ配信サービスで聞くだけでいい。

こう考えると情報っていったい何なのだろう?
与えられるのではなく、選ぶ時代になったのではないだろうか?
本やレコードやCDという旧媒体を通してではなく、今では直接情報が視聴者のもとにすぐに届く、

ねぇ、ねぇ~、こんなこと、本当に考えたことある?
正直、今では朝日や毎日なんかの反日新聞がなくなってもみんな少しも困らないよ。
こんなことわかっている?
情報は「与えてやる」のではなく、視聴者が選ぶ時代にとっくになってるんだよ。
朝日・毎日・NHK、地上波テレビ、こんなことわかってる?
もうとっくにあんたたちの時代は終わってるんだよ。

いえいえこんな話じゃなかった。
クラシック音楽の話。
今では車の中でしか聞くことはなくなったけど、
クラシック音楽鑑賞も楽しみの一つ。

でも、もう、今では、重い音楽ではなく軽い音楽がいい。
バッハやベートーベンでなくヘンデルやハイドンやモーツァルトがいい。
気楽に楽しく聞けるのがいい。

でもね、ベートーベンは今ではちょと苦手・・・だと思っていたけど、たまに聞くととっても楽しい!
いま2番と4番を車で聞いてるけど、これがとってもいいね、とっても楽しいね。
あと6番と8番。
偶数番号の交響曲、とってもいいね。
やっぱりベートーベンもいいね。
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音故館コンサート~長谷川萌子リサイタル

2019年01月28日 18時25分26秒 | 音楽の話
昨日、昼前には雪も溶け、どうにかスノータイヤからノーマルタイヤ日和になったので、
よし、これなら行ける!と「音故館コンサート~長谷川萌子リサイタル」に行ってきた。

このコンサートの主催者・福島さんはSPレコード蒐集から始まって、
とっても高価な蓄音機2台を買い、地元の図書館や公民館などでSPレコードコンサートをボランティアで行い、
その上とうとう(悪乗りして?!)自宅に「音故館」という専用ホールを作った。
ここまでくるとまさにプロのアマチュア!ここに極まれり!
こんな生き方、いいね!
こんな生き方、してみたい!

というわけで今回は今までと違って、
前半は今までのSPレコードコンサート。
後半は地元出身のソプラノ歌手の長谷川萌子リサイタルだった。

前半のSPレコードコンサート・・・
SPレコードというと音が悪い!というイメージが強いけど、
高級な蓄音機で聞くととってもいい音が出る。
SPレコード特有の雨音も、雨の日に聞いてるように感じとっても落ち着き心地よい。
SPレコードの復刻版で聞くLPの雨音~単なる雑音!とはまったく違う。

今回のプログラムは後半のクラシックコンサートに合わせてクラシック曲がメーンだったけど、
その前に福島さんは、歌謡曲・三橋美智也をぜひ聴いてほしい、ということで2曲かけてくれたのだけどそれが実にいい!
とっても臨場感がある、とっても素晴らしい!
まるで三橋美智也がこのステージで歌っているようだった。

ついでながら、よけいながら、歌謡曲を聞くと、ついつい伴奏がなんとも気になる。
歌詞とはまったく関係ない、いかにもおざなりな、ただうるさいだけの伴奏。
きっと当時の歌謡曲の作曲者は安い手当で量産したんだろうなぁ~なんて思う。
でもそれもまた、時代を感じさせて面白かった。

・・・なんてことではなく曲目のこと。
印象に残ったのは・・・

・庭の千草(アデリーナ・パッティ)~今でも十分通用する。

・ファウストの「宝石の歌」(ジェラルディン・ファーラー)~テクニックを駆使した楽しい歌。
 これまた今でも十分に通用するだろう。

・この道(奥田良三)~しっかりとした歌・・・でも時代を感じさせる歌だった。
 今ではどうかなぁ~?

そして2部。

長谷川萌子さんはイタリアオペラやイタリア歌曲で育った人。
日本ではなぜかイタリアオペラとドイツオペラの対立というか派閥というか、そんなものがあるらしい・・・そんな気がする。
でもそんなこと聴く側にとってはどうでもいい。
実はSPレコードコンサート、今までも何度か行ったので、今度はまあいいかぁ~パス!
・・・と思ったけど、チラシにシューベルトの「春の信仰」があったので、とっても聞きたくなって、参加したのだった。
この歌はドイツの重苦しい「冬の旅」から喜び溢れる「美しき水車小屋の娘」の世界に移る、春の喜びを歌った歌。
どう歌うのだろう?
これはぜひ聴かねば!と思ったのだった。

曲目は。ヘンデル「リナルド」から「私を泣かせてください」、シューベルト「春の信仰」、シューマン「献呈」、山田耕筰「鐘が鳴ります」、「月の砂漠」、最後に「椿姫から」から「そはかの人か」
みなとっても良かった。
とりわけ「春の信仰」と「献呈」が。
「献呈」は去年のコンサートで聞いたので、「春の信仰」が特にいいと思った。
なんせシューベルト好きな人間なので・・・
これからもドイツ歌曲を期待しています。
それから岩崎さんのピアン独奏2曲、シューベルトの「楽興の時・3番」とアルベニスの「アストゥリアス」。
初めて聴いた「アストゥリアス」。
もう一度聞きたい!
岩崎さんはいつも聞いたことない曲を聴かせてくれるのでとっても楽しい!

日本のコンサート、日本のクラシック・ファン今でも200年も前の昔の曲を聴いて有難がってるけど、
もういい加減もっと新しい曲を聴いたらどう?
モッーツアルトやバートーベンやショッパンやブラームスや・・・
ねえねえ、毎回毎回、同じような曲を聞かされて退屈しない?
・・・とついつい思ってしまう。

まあすべて知らない曲だと客は入らないし、面白くないだろうけど、
せめてプログラムの半分は20世紀以降の作品にしたら?
とっても変な(?)ピアニスト、岩崎さんに毒されて、現代音楽へのチャレンジももっともっと期待しています。
それかからもちろんドイツ歌曲も。
リクエストいっぱいです!!!
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久しぶりに「運命」

2019年01月24日 20時17分36秒 | 音楽の話
とっても久しぶりに車の中でベートーベンの5番と8番を聴いた。
昔はベートーベンの交響曲はよく聞いたけど、
さすがに車の中では重く、やっぱりモーツアルトのような軽い曲がいい。
でも久しぶりに聞く「運命」やっぱりベートーベンって天才だなと思う。
8番も楽しい曲で好きだ。
今ではやっぱり3番や5番や9番のようなおどろおどろしい曲でなく、
もっと気楽に聞ける6番や8番がいい。
せもまあこれからもあまり聞くことはないだろうな。
初夏の「田園」、年末の「第9」以外は・・・
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ビートルズ

2019年01月12日 18時27分41秒 | 音楽の話
車の中ではたいていクラシック音楽を聴いているけど、
この数日、ふとビートルズを聴いている。
ビートルズは今でも新しい。

ビートルズはもちろん後期の歌が好きだけど、
後期の歌を聴いた後で初期の曲を聴くと、
とっても元気がいいし、とっても新鮮に感じられる。

ビートルズ以後、カーペンターズとかサイモンとガーファンクルとか、
あるいは学園紛争世代になって、ボブディランとかジョーン・バエズとか、
日本でもたくさんグループサウンズができた。
でも時代の壁を通して今自分の中で生き残っているのは、
ビートルズとサイモンとガーファンクルだけ。
あとはみな霧の向こうに消えていった。

ビートルズを聴いている。
懐かしく悲しく聞いている。
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町のイスキア4周年記念コンサート

2018年12月09日 18時46分59秒 | 音楽の話
昨日は初雪。
今年は早い!
でも積もることなくすぐに消えた。
こんな日にわざわざコンサートなんかに行くことないよね。
予約しなきゃよかったなぁ~~
でも申し込んでたから、しかたない。
というわけで寒い中、渋々行ったのだった。
ここから車で30分くらいの所、
町のイスキア4周年記念コンサート」に。

「町のイスキア」は小京都・龍野の古い街並にある町家。
ここで不定期にコンサートなど各種イベントをしている。
「町のイスキアコンサート」ももう4回目。
たいてい参加してる。
全部!と言いたいけど、1回くらいは行かなかったかなぁ~(よくわからん)
その中でも今回は一番楽しかった。

今回はプログラムもバラエティー。
ラフマニノフのピアノ協奏曲2番やショパンのノクターン2番のアレンジ、
タンゴやドビュッシーのピアノ曲。
カッチーニのアベマリア。
月の砂漠。
シューマンの歌曲・献呈。
ヴェルディの乾杯の歌。
などなど・・・

昔はよくコンサートに行った。
でもなんとも居心地が悪かった。
コンサートホールで窮屈な椅子に何時間も座って・・・
「教えてやってるんだ!」みたいな高座から見下ろす演奏を、
ただただ黙って「ははぁ~~~!」ときくばかり。
そんな雰囲気とっても嫌だった。
日本の芸能は、歌舞伎や相撲(そう相撲だって芸能だよ!)など、酒を呑み弁当を食べながら見た。
それが本来の芸能のあり方。
西洋だって昔は当時の貴族は音楽を聞きながら酒をのみ食事をした。
ところがクラシック音楽は日本では「教養」として勉強の一つとして聞いてきた。
でも音楽は、「音を楽しむ」、そうしょせん娯楽なんだよ。
酒を呑み肴を食べながら、お菓子やお茶を飲みながら、聞けばいいじゃない。

もちろん「町のイスキア」でも酒を呑みながら、肴を食べながら聞けたわけじゃない。
それどころかぎっしり客が詰まってコンサートホール以上に窮屈な状態だった。
でも昔の芝居小屋はもっと窮屈だっただろう。
そんな懐かしい雰囲気がするのだ。
いっそ椅子をやめてみんな座布団にしたらどうだろう?
座布団に座ってクラシック音楽を聴く。
曲と曲の合間に売り子さんが現れて、酒やビールや焼き鳥や串カツや弁当を売る。
串カツなどを買った客にはたれの器が回ってきて「二度付けあかんでぇ~!」という。
そんな場末のクラシックコンサート。

昔、浅草ではオペラが流行っていたらしい。
そして「ペラごろ」が会場を仕切っていた。
ファンというか、追っかけというか、やくざというか・・・
まあそんなのはお断りだけど、何か懐かしい雰囲気がいいんじゃない?

ただもう少し音響がよかったら、もう少しピアノの音がよかったら・・・
でもそうなると大して面白くもない小ホールでのコンサートということになる。
コンサート会場は演奏者と客の間に距離が、冷たい空間がある。
同じ目線で見、聞くことができない。
それでこんな雰囲気でいいんじゃない?
ただ暖房がなかった。
代わりに渡されたのは使い捨てのカイロ。
客は多かったのでそんなに寒くはなかったけどね・・・

でもやっぱり座布団にこだわるね。
手火鉢をおいて、スルメを焼きながら燗酒を飲み、クラシック音楽を聴くなんて、いいと思わない?
ただこれには大きな問題がある。
それは多くの人が車で来るということ。
酒に車は相性が悪い。
それでこの素晴らしいプランは諦めざるを得ない。
コンサートの最後は「乾杯の歌」で終わっただけに残念だ。

さてコンサートだけど、長谷川萌子さんのソプラノ、諸岡由美子さんのチェロ、岩崎宇綺さんのピアノ。
歌とピアノだけでなくチェロが加わるととても楽しく豊かに感じられる。
とりわけ変わった曲が聞けて楽しい。
ショパンのノクターン2番、この典型的なピアノ曲をチェロとピアノの共演で聞いた。
それが実にぴったり合っていた。
それからラフマニノフのピアノ協奏曲2番。
これも典型的なピアノとオーケストラの曲なのだけど、これをチェロとピアノで聞く、不思議な体験だった。
それから長谷川萌子さん最初から気合が入っていた。
そしてコンサートが進むとますます乗ってきた。

でもまあ、書きだしたらきりがないのでここらへんでやめよう。
今までの中で昨日のコンサートが一番楽しかった。
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コーラス

2018年07月23日 18時11分19秒 | 音楽の話
(無理やり?)誘われて地域のコーラス部の見学に行った。
歌は好きだけどコーラスはあまり好きじゃない。
自分を抑えて人に合わせるのが嫌なのだ。
でもたまたま近くに用があったこともあり何とか決心して西播磨文化会館までいった。

参加者は30人位だったか・・・
このうち男は6人。
発声練習の後、モーツアルトの子守歌とサライという曲の練習。
みんなで歌うのには慣れてないので、つい主旋律を歌うソプラノに引きずられて、うむ!声が出ない!
キーを合わせるのに苦労した。
みんなもう何度も練習しているのだろうね。
こちらは楽譜見っぱなし。
特にサライは初めてなので難しかった。
でもあと2~3度やったらすぐになれるだろう、追いつけるだろう。

でも・・・慣れたくないのだ。
最近ますます偏屈人間になっている。
陶芸のように一人でしこしこやるのが好きだ。
コーラスの場合にはそんなわけにはいかない。
和気あいあいとした雰囲気がどうにも苦手・・・
竹細工教室も一人でしこしこやる作業なのだけど、
和気あいあいとした雰囲気があり、なんとなく居心地が悪かった。

その点陶芸教室は人も少なく侘しく暗い。
そこが実にいい、とっても落ち着く。

最近ますます偏屈人間になっている。
そして偏屈の心の旅を楽しんでいる。
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アメリカの・・・古い曲を・・・

2018年03月24日 19時59分21秒 | 音楽の話
朝は寒かったけど、昼間はとっても暖かい長閑な日だった。
いつも車の中ではクラシック音楽をかけている。
家の中ではもう聞けない。
だってステレオが故障してもうなくなったから。
聞きたいレコードはいっぱい持ってるけどレコードプレーヤもなくなったから、
今では車の中でCDを聞くのだけが唯一の楽しみ。
それで退屈な運転中CDでクラシックを聞くのが楽しみ。

でも近頃、ちょっと変な気分、
アメリカの古い曲を聴いている。
プラターズ、パティ・ページ、ブラザーズ・ホア、アンディ・ウィリアムズ、グレン・ミラー、ハリーべラフォンテ・・・
古いアメリカの良き時代。
それはきっとアメリカの白人にとって良き時代だったのだろう。
当時人種差別は酷かった。
今では法的には白人も有色人種も平等だけど、当時は法律からさえ差別されていた。
アメリカ映画はインディアンを殺しまくる西部劇。
弓矢で襲うインディアンを侵略者の白人が銃で殺しまくる、そんなシーンをみんな喜んで見ていた。
そんな昔懐かしい白人社会の古き良き時代。

そんな良き時代の音楽を今きくと、
テンポが今の時間にそぐわない、いかにものろく、すっかり眠むたくなるような、
昔懐かしいとってもいい気分になれる。

でも・・・フロンティア精神、
別の言葉で言えば侵略者精神。
そしてそれに勝ってよき時代を迎えた時代。
そんな時代の音楽。
しかしもうすでに退廃の時を迎えた時代の音楽。
そんな音楽を狭い車の中で心地よく聞いている。
複雑な気持ちで聞いている。




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音楽

2017年10月16日 18時22分30秒 | 音楽の話
中学のころから続いている趣味というと読書とクラシック音楽鑑賞。
どちらも体をあまり動かさないでいい。
寝転んでてもできる。
ここらへんがとってもこのぐうたら百姓と気が合う。

読書はたいてい手持ちの本か図書館の本。
本は買わなくなった。
本箱にたまるのがなんとも面倒になったから。
昔ほど本を大事にしなくなったから。
ほとんどの本は一度読めばそれで終わり、再読することはない。
それなら大切に取っておくことはない。
本箱に並べられたたくさんの本、だいぶ処分したのだけどまだまだたくさんあって、出るのはため息ばかり。

クラシック音楽はステレオが壊れてから家で聞くことはなくなった。
聞くのはもっぱら車の中。
いつもつけっぱなしにして、聞き流しする。
こんな聞き方をするとなかなか曲名が覚えられない。
これ何番だったかな?まあどうでもいいか・・・
そして飽きたらCDを入れ替える。

今聞いているのはヘンデルの「オルガン協奏曲」とバッハの「無伴奏チェロ組曲」
オルガン曲というと重々しくてついつい敬遠してしまうけどヘンデルの「オルガン協奏曲」は軽い楽しい曲だ。
まあヘンデルの曲ってたいていそうだけど。
当時はバッハよりもヘンデルの方が人気が高かったというのもわかるような気がする。
バッハの「無伴奏チェロ組曲」は一見愛想のない曲。
カザルスの演奏で聞いているけど、SPの音とカザルスの荒い引き方がますます不愛想に聞こえる。
でも今車の中で何度も何度も聞いていると、だんだん好きになってきた。
とりわけ雨の日に聞くのがいい。
今4番と5番と6番を聞いている。
この中で4番と5番はチェロの曲では難曲中の難曲らしい。
この「無伴奏チェロ組曲」だけではない。
無伴奏バイオリンソナタとパルティータ。
無伴奏フルートソナタ。
いずれも難曲。
バッハはどうしてこんな曲を作ったのだろう?
当時でもあまり一般受けしなかったのではないだろうか?
名人技の演奏家だけでなく聞く側のレベルも求められただろう。
そのような時代がとても不思議に思われる。
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第九

2017年06月25日 02時51分54秒 | 音楽の話
年とともに声は衰えてくる・・・はず。
でもそんなに衰えてるとは思わない。
それどころか高音は今まで以上に出るようになった。
今までは自分の声をバリトンだと思ってきた。
そしてシューベルトの歌曲が好きで、フイッシャー・ディスカフ風に「楽に寄す」を歌えたらいいなぁ・・・
この難しい歌をただ一度でいいから、心から満足して歌えたら、もうそれで充分!
でも最近、心から満足して歌えるわけではないけど、楽しく歌えるようにはなった。
とってもいい声だと、(自分だけは)思っている。
ところでバリトンだとばかり思っていた自分の声、テノールだといわれてびっくりした。
ふ~~~ん、そうか・・・
そして重厚なドイツ歌曲と違って軽薄な(?)イタリア民謡や歌曲もいいかなぁ~なんて。
なんせのせられたらすぐにその気になる軽薄な人間なのだ。
そしてふと思った。
どこでもきっとそうだろうけどこの市でも年末第九の演奏会がある。
その合唱団に応募してみようかと・・・
コーラスは好きじゃないけど、
好きなように歌えない、自分の声を抑えてみんなに合わせないといけない、そんなのが嫌でコーラス避けて通ってきたけど、
自分の声域で第九を歌えるのか興味が持ったから・・・
そしてホームページを見たらもうとっくに、5月に応募は締め切っていた。
やれやれ、これは良かったかもしれない。
だって参加するのに5000円もかかるんだよ。
5000円だったら焼酎が何本も呑める。
合唱と焼酎を天秤にかけたら誰だって焼酎の方を選ぶよね。
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長谷川萌子ソプラノリサイタル

2017年03月11日 22時29分11秒 | 音楽の話
揖保川のアクア・ホールに「長谷川萌子ソプラノリサイタル」行ってきた。
とってもいいコンサートだった。
アクアホールにはときどき行く。
大ホールは収容人員500人くらいのちょうどいい規模のホール。

今までは何人かの歌手との共演だったけど、今回は初の単独でのリサイタル。
大ホールでこんなリサイタルをするのはかなり勇気がいること。
下手すると大赤字!
でも会場は満席だった!!
すごいなぁ~

地元の個人的なつながりで、日頃クラシック音楽に縁のない人たちも来たんじゃないかなぁ~なんて思われる人もいたけど、
でも他の人がこのぐうたら百姓を見たら・・・きっと同じことを思ったかもしれない。
でもこちらは学生時代からずっとクラシック音楽ファンだよ。
(見かけによらないけど・・・)

今までのコンサートでは長谷川萌子さんは声量、その存在感でほかの人を圧倒していた。
でも今回のコンサートでは長谷川萌子さんの恩師、バリトン歌手の翁長剛さんがゲスト出演していた。
そしてその声量は長谷川萌子さんをはるかに圧倒していた。
すごいなぁ~とただただ感心。
でもこれが世界的なオペラ歌手だったらどうだろう?
ただただ圧倒されるだろうなぁ~~~

ところでこのコンサート、この右田農園もちょっぴりちょっぴりかかわっているんだよ。
実は嫁が裏方にいて長谷川萌子さんの髪のセットをしていた。
実は嫁は本職は美容師。
今でもときどき結婚式などで髪のセットやメークに行く。
その縁で当日の髪のセットとメークに裏方として参加したのだった。
というわけでこのコンサートの成功の何百分の1くらいはかかわっていたかもしれない、と密かに思っている。

コンサートは晩の6時から8時くらいまで、
そして満足して帰ってきたのだった。
でも・・・来週の同じ土曜日、同じころの時間、またこのすぐ近く、この町の公民館に来ないと行けない。
「あいあい塾」という講座で講演しないといけない。
晩の7時から2時間。
でも2時間なんてとうていしゃべれないから、こちらは1時間、嫁が1時間。
でも、まだしゃべる内容は何にも考えていない。
あと1週間!
そろそろまじめに考えようね。
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