辻村深月 「かがみの孤城」読了
およそ僕みたいなおじさんが読む本ではないのだが、今年の本屋大賞受賞作だというので読んでみた。4月に図書館の貸し出し予約をしてやっと今になって借りることできたというのだから相当人気のある作家のようだ。
ストーリーは、いろいろな理由を抱えて学校に行けなくなった中学生たちが突然現れた鏡の向こうの世界で様々なことを語り合いながら成長してゆくという物語だ。
ひととの付き合いが下手になってしまったというのには様々な理由があるのだと思う。それが持って生まれたものなのか、それとも小さい頃の体験がそうさせるのかは僕にはわからないけれども、僕自身も運動会と遠足は楽しみでも何でもなかった。いつも雨が降って中止になってはくれないだろうかといつも思っていた。
新学年のクラス替えというのも苦手だったように思う。
自己分析というほどのものでもないけれども、多分新しいことをすることがきっと嫌いだったのだろうと思う。今がそこそこ楽しければそこから外へは出たくないのだ。
よく言うと、自分のバランスが崩れることを極端に嫌がり、自分の美意識の枠に入りきらないようなことにはしり込みしてしまう。
この前、いつも野菜をもらう叔父さんのところで叔母さんと話をしていると、(この叔母さんは父の兄弟の末っ子でその上の兄とはかなり歳がはなれて生まれてきた。)「私はいつも水軒川の橋の下から拾われてきた。と言われてたんやで。」というようなことを言っていた。どうもわが一族はこういうことを常日頃から言っていたようで僕もまったく同じ事を言われていた。どういう理由でそれを言っていたのかはまったくわからない。まさか、拾われてきた子供は元気に育つなどという江戸時代の迷信を信じていたわけではあるまい。その頻度は覚えていない。たった1回だったかもしれないし、もっと多かったのかもしれないが、僕の記憶の中には鮮明にその言葉が残っているし、叔母さんも70歳を超えてでもそれを覚えているということはやはりそれなりにインパクトがある言葉であったに違いない。
ぼくはお父ちゃんたちの子供ではないかもしれないという不安は少なからずひとから嫌われたらどうしようとか、何か変なことを言ったら嫌われるかもしれないという恐怖につながっていったのであろうか。それがいまの状態をなんとか維持したいと考えてしまう基になっているのかもしれない。
そんな経験とそれからの経験から得たのは、「人は心の中に思っていないことは口に出さない。」ということだ。そういえば新約聖書のマタイ伝の中にも、「口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである。」と書いてある。
だから僕は口数が少なくなる。そして相手の言葉に敏感になってしまう。それならまったく冗談が通じない人間ではないかと言われてしまうだろうが、そこは多少理解しているつもりだ。ただ、相手が言った何気ない言葉(本気で言っている場合もあるだろうが。)が果てしなく気になってしまう。
よほど信頼できる人でないと自分からも心を許すことができなくなってしまう。そこは物語の主人公たちの気持ちに共感できる部分があるのだ。
生きにくい性格に生まれてしまったのか、はたまたそれ以降の環境がそうさせたのかは知らないが、彼らに言ってあげたい。それも自分らしく生きていることの証ではないかと。そして、現代ではSNSという技術がある。どこかで共感しあえる友たちとつながりあうこともあるかもしれない。
著者はきっと、この、鏡の孤城をSNSの空間になぞらえて書いているのだと思うのだ。
そんなことを思い出しながらこの本を読んでいた。
社会人になっても、この歳になってもそれは変わらず、やはり人との交わりは一番の苦手かもしれない。よくぞまあ、30年もやってこられたものだと思ったりもしてしまう。
電車の隣の席で上司と部下と思しき男女が1時間も雑談を続けているのを見ると、うるさいと思う心を通り越してよくそんなにたくさんの話ができるものだと感心する。まあ、魚釣りの話をやれと言われると僕だって2時間20分くらいはしゃべり続けることができると思うが、それでは会話が成り立たない。
しかし、そうやって浮き上がることもなく、幸いに沈み込むこともなく、嫌いな上司にはうまく相手にされないように打っちゃりながら、そして少しの孤独感を感じながらでもそれのほうがよかったのかもしれないと思うこともある。
しかし、この物語の大きなテーマの一つは、“信頼”である。信頼されているという気持ちがどれだけ大きな力を発揮するか。しかし、信頼されるためにはどれだけ大きな力が必要か。それは孤独からは絶対に得ることができないエネルギーである。
塾でアルバイトをしていたころ、そこの生徒から教えられたことがある。九九の7の段の答えの下一桁には0から1の全部の数字が出てくるのだ。
この物語もそんな7の奇跡を利用して書かれている。うまいこと構成していると思う。さすがに本屋大賞だ。
およそ僕みたいなおじさんが読む本ではないのだが、今年の本屋大賞受賞作だというので読んでみた。4月に図書館の貸し出し予約をしてやっと今になって借りることできたというのだから相当人気のある作家のようだ。
ストーリーは、いろいろな理由を抱えて学校に行けなくなった中学生たちが突然現れた鏡の向こうの世界で様々なことを語り合いながら成長してゆくという物語だ。
ひととの付き合いが下手になってしまったというのには様々な理由があるのだと思う。それが持って生まれたものなのか、それとも小さい頃の体験がそうさせるのかは僕にはわからないけれども、僕自身も運動会と遠足は楽しみでも何でもなかった。いつも雨が降って中止になってはくれないだろうかといつも思っていた。
新学年のクラス替えというのも苦手だったように思う。
自己分析というほどのものでもないけれども、多分新しいことをすることがきっと嫌いだったのだろうと思う。今がそこそこ楽しければそこから外へは出たくないのだ。
よく言うと、自分のバランスが崩れることを極端に嫌がり、自分の美意識の枠に入りきらないようなことにはしり込みしてしまう。
この前、いつも野菜をもらう叔父さんのところで叔母さんと話をしていると、(この叔母さんは父の兄弟の末っ子でその上の兄とはかなり歳がはなれて生まれてきた。)「私はいつも水軒川の橋の下から拾われてきた。と言われてたんやで。」というようなことを言っていた。どうもわが一族はこういうことを常日頃から言っていたようで僕もまったく同じ事を言われていた。どういう理由でそれを言っていたのかはまったくわからない。まさか、拾われてきた子供は元気に育つなどという江戸時代の迷信を信じていたわけではあるまい。その頻度は覚えていない。たった1回だったかもしれないし、もっと多かったのかもしれないが、僕の記憶の中には鮮明にその言葉が残っているし、叔母さんも70歳を超えてでもそれを覚えているということはやはりそれなりにインパクトがある言葉であったに違いない。
ぼくはお父ちゃんたちの子供ではないかもしれないという不安は少なからずひとから嫌われたらどうしようとか、何か変なことを言ったら嫌われるかもしれないという恐怖につながっていったのであろうか。それがいまの状態をなんとか維持したいと考えてしまう基になっているのかもしれない。
そんな経験とそれからの経験から得たのは、「人は心の中に思っていないことは口に出さない。」ということだ。そういえば新約聖書のマタイ伝の中にも、「口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである。」と書いてある。
だから僕は口数が少なくなる。そして相手の言葉に敏感になってしまう。それならまったく冗談が通じない人間ではないかと言われてしまうだろうが、そこは多少理解しているつもりだ。ただ、相手が言った何気ない言葉(本気で言っている場合もあるだろうが。)が果てしなく気になってしまう。
よほど信頼できる人でないと自分からも心を許すことができなくなってしまう。そこは物語の主人公たちの気持ちに共感できる部分があるのだ。
生きにくい性格に生まれてしまったのか、はたまたそれ以降の環境がそうさせたのかは知らないが、彼らに言ってあげたい。それも自分らしく生きていることの証ではないかと。そして、現代ではSNSという技術がある。どこかで共感しあえる友たちとつながりあうこともあるかもしれない。
著者はきっと、この、鏡の孤城をSNSの空間になぞらえて書いているのだと思うのだ。
そんなことを思い出しながらこの本を読んでいた。
社会人になっても、この歳になってもそれは変わらず、やはり人との交わりは一番の苦手かもしれない。よくぞまあ、30年もやってこられたものだと思ったりもしてしまう。
電車の隣の席で上司と部下と思しき男女が1時間も雑談を続けているのを見ると、うるさいと思う心を通り越してよくそんなにたくさんの話ができるものだと感心する。まあ、魚釣りの話をやれと言われると僕だって2時間20分くらいはしゃべり続けることができると思うが、それでは会話が成り立たない。
しかし、そうやって浮き上がることもなく、幸いに沈み込むこともなく、嫌いな上司にはうまく相手にされないように打っちゃりながら、そして少しの孤独感を感じながらでもそれのほうがよかったのかもしれないと思うこともある。
しかし、この物語の大きなテーマの一つは、“信頼”である。信頼されているという気持ちがどれだけ大きな力を発揮するか。しかし、信頼されるためにはどれだけ大きな力が必要か。それは孤独からは絶対に得ることができないエネルギーである。
塾でアルバイトをしていたころ、そこの生徒から教えられたことがある。九九の7の段の答えの下一桁には0から1の全部の数字が出てくるのだ。
この物語もそんな7の奇跡を利用して書かれている。うまいこと構成していると思う。さすがに本屋大賞だ。
自分も「かがみの孤城」読みましたよ。
すべてが回収されるところが印象的でした。
そのうえラストを素晴らしいと思いましたよ。
コメントありがとうございます。
僕もラスト100ページはわくわくしながら読みました。
人生の第4コーナーを曲がりかけているオッサンの読む本ではないのかもしれませんが、それでもいいものはいいと思いました。