イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「科学者の目、科学の芽」読了

2021年09月01日 | 2021読書
岩波書店編集部/編 「科学者の目、科学の芽」読了

“科学者”という言葉には憧れがある。小さい頃から空想科学ヒーローものが大好きだったもので、そこに出てくる科学者、例えばガッチャマンの南部博士やキャプテンハーロックのトチローなどの面々に、ヒーロー以上に惹かれたのだ。彼らはひとりで何でも作る。戦闘機も宇宙戦艦も、バトルスーツも。組織も。その知識はきっと幅広い、材料工学、放射線学、エネルギー工学なんでも知っている。政治力、リーダーシップもある。南部博士は科学技術庁長官だから予算は国が持ってくれるのだろうが、トチローは一個人だ。資金も自分で準備しなければならない。となると投資家としても一流なのかもしれない。まあ、どちらもかなり未来の物語なので、この時代、すべての機械はユニット式で、秋葉原みたいなところで部品を買えば戦闘機でも宇宙戦艦でもパソコンを作るみたいに組み立てだけみたいな世界になっているのかもしれない。
それでも、科学者という言葉には何でも知っていてなんでもできる人というイメージはその頃から強烈に印象付けられた。共通するのは、”水軒のおいやん”達だ。さすがに科学者という洗練されたイメージはないけれどもなんでも知っていてなんでもできる人たちだった。だからいまでも水軒のおいやんにも憧れを持っているのだろうと思う。
化学者や物理学者、生物学者ではなく、”科学者”というのがいいのである。

この本は、様々な分野の科学者が書いたエッセイ集だ。岩波書店の「科学」という雑誌に掲載されたものを集めている。
やはり対象を見る目というのは一般の人たちとは違うし、理詰めな文章もちょっと普通の作家の書く文章とは異なる。悪く言えば少し硬い。よく言えば簡潔で無駄がない。おそらく1冊まるまるひとりの人が書いたものを読めと言われればかなりつらいだろうが、幸いにして1編ずつは4ページ分ほどなので大丈夫だ。中には、もう終わっちゃうのと思ったものもあったのでそこは文章力と取り上げてられている題材にもよるのも確かだ。
科学者が論文を書くとき、「論証という厳密な議論形態のもと、誤読を排する。」ということが最も求められるそうだ。まあ、当たり前といえば当たり前だが、だから、こういった文体になるのも仕方がないといえば仕方がない。だからこれを書いた人がそのままそんな堅物だと思うのは間違いなのかもしれないのだ。ただ、ぼくが自分自身の文章を考えてみると、そこには性格というのもが多分ににじみ出ていると思う。だから、科学者と言われる皆さんも研究対象がディープなほどディープな性格をしているのかもしれない。

中には自由気ままに研究生活を送っているように見える科学者もいるが、実情は厳しく、研究費用の獲得やその使い道も厳しく制限されているそうだ。日本は基礎研究にはおカネを出さない国だというが、本当にそうらしく、短期間に何かの成果が出せるという研究でないと資金が出ないらしい。素人目にもそれでは新しいことなんて生み出せっこないと思う。だから優秀な人は海外に研究拠点を移すのだろう。日本は技術立国と言われて久しいが、ワクチンひとつ自前で作れないというのは、こういう事情があるに違いない。
なんだか悲しい。

いくつか気になったものを最後に書いておく。
プライミングによる知覚の流動性 
これは、特に意識もしていないのに、昔入った食堂にまた行ってしまうというよくある人間の行動だが、それは過去の経験が心の潜在意識レベルでいつも同じ考えにいきつくのだということらしいが、確かにそんな経験が僕にもある。科学的な言葉で書くとこんな形になるらしい。

アゲハチョウは葉っぱを叩いてその種類を識別している。
チョウチョというのは、幼虫が食べる葉というものがそれぞれの種類で決まっている。チョウチョはそれをどうやって見分けているかというと、足で葉っぱを叩くのだそうだ。その時の感触でこれは卵を産むべき葉っぱかどうかと決めているらしい。これをドラミングという。
個体が浮くのは水だけ
水の中で氷が浮くというのは当たり前のように思えるが、普通、物質というものは、同じ組成で液体と固体の状態であれば、個体は必ず液体の中に沈んでしまうそうだ。
そういうものが水以外でどんなシチュエーションで存在するのかは知らないが、そうらしい。そういえば、ターミネーターはサラ・コナー親子を救ったあと、溶鉱炉の中に沈んでいった。シュワルツェネッガーが浮かんだままだと物語に締まりがなくなるのは確かだ。

サフィリナという名前のプランクトン。
このプランクトン、光学迷彩を使うらしい。ネットの動画を見ると感激する。

そして、まったくこの本の本筋とは関係ないがアフガニスタンのことについて書いておきたいと思う。20年の戦争の末、ふたたびイスラム原理主義に近い国に戻ろうとしているこの国だが、子供の頃にアメリカやイギリス以外の国では初めて名前を知った国であった。
調べてみると、僕が小学5、6年生の頃だったようだが、朝のワイドショーの草分けのようなテレビ番組で、「おはよう720」という番組があった。この中の企画で、車に乗ってヨーロッパ大陸とユーラシア大陸を横断するというものがあり、通過国としてアフガニスタンという国が紹介されていた。このコーナーでは、「ビューティフルサンデー」という歌とレポーターの見城美枝子という人が有名になったが、そのなかで、これも調べてみるとわずか1週間の紹介期間だったようだがなぜだか名前だけが頭の中に残り続けていた。見城美枝子が参議院選挙に立候補したときも、アフガニスタンに行ってた人だと真っ先に思ったくらいだ。
そこでどんなことが紹介されていたのかということなど、まったく記憶にはない(レポーターも見城美枝子だったと思ったのだが、これもこの国へはまったく違ったひとが行っていた。しかし、そんな記録も調べることができるインターネットというは凄い、一面ではこれも科学の勝利か・・?)のだが、きっとエキゾチックな顔立ちをした人たちと中央アジア独特の異国の風景が頭のどこかにひっかかり、「アフガニスタン」という言葉の響きとも相まって何か遠い彼方にある桃源郷のようなものを想像していたのかもしれない。
そんな国が現実では人の自由を制限し、平気で人を殺す国になってしまっていたというのはなんとも残念に思ったのだ。
この番組が放送された当時、1976年ごろは、アフガニスタンでは共和制が布かれ、経済的にはともかく、政治的には民主的な国家であったあったらしい。
僕はひとつの幻想として、腐った民主主義よりも、公正な独裁者の元の専制政治のほうがはるかに健全だという考えを抱いているが、はたして新しい為政者は公正な独裁者なのだろうか、それとも、そこに宗教というものが絡むとなにやら別の方向に向かってしまうものなのだろうか。子供と女性の権利は守るとは言っているが、それはイスラムの教えの範囲であると言っていることが気になる。

ギリシャ時代の科学、たとえばユークリッドの幾何学やピタゴラスの定理、アリストテレスの天文学などであるが、アラビア諸国、それはアフガニスタン同様、イスラム圏の国々、その人たちがアラビア語に翻訳し、後世に伝えた。当のギリシャは国力が衰え、学問どころではなくなってしまったので、アラビア語で残されたものがヨーロッパにUターンしてルネッサンスの始まりをもたらすことができたのだ。
一説では、後発の宗教であったイスラム教を正当化するための根拠(我々は科学的なのだといいたかったらしい。)として当時それらは使われたということだが、それでもアラビア語圏の人々も、合理的で理論的な考えを持っているからこういう科学になじむことができたはずなのである。それがどうして原理主義のようなまったく非科学的な考えに支配されてしまったのか。

アフガニスタンは永遠に桃源郷であってほしいと思っているのは僕だけだろうか・・。
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