イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「CRISPR (クリスパー) 究極の遺伝子編集技術の発見」読了

2019年05月21日 | 2019読書
ジェニファー・ダウドナ、サミュエル・スターンバーグ/著 櫻井 祐子/訳 「CRISPR (クリスパー) 究極の遺伝子編集技術の発見」読了


前に読んだ、「合成生物学の衝撃」という本に載っていたその合成生物を創りだすきっかけになった技術が、「CRISPRcas9」という遺伝子を編集するための技術だ。この本は、その技術を開発した科学者のひとりが書いたものだ。
僕は「合成生物の衝撃」を読みながら、一体、目に見えないような小さな分子をどうやって自由自在に入れ替えたり、組み立てたりしているのだろうという興味をもって読み始めたのだが、そんな研究室の風景が描かれているのではなく、この画期的な技術が社会にどれほどのインパクトを与えるか。そういったことを期待と危機感を込めて書いている。

「CRISPRcas9」という技術だが、アホな頭で理解できるところまでで書くとこうなる。
細菌のDNAにはCRISPRという回文のように塩基が並んだ場所がたくさんある。かつて細菌が取り込んだウイルスのDNAの配列の一部を取り込んだものである。ウイルスが侵入するとこのCRISPRからcrRNAというものに塩基の配列が転写され、それとDNAの配列を切ることができるタンパク質、cas9がセットになって、ウイルスのDNA配列の中でcrRNAとぴったり合う場所にくっついてその場所でDNAの鎖を切ってしまうことでウイルスをやっつける。それは細菌がもつ免疫の働きをするもののひとつなのである。
この技術はそれを使って、回文に当たるところを人工的に作り出し、cas9とセットにして細胞核に送り込み任意の場所で切り取る。ベクターというウイルスに乗せた新たな遺伝子をその切れたところに挿入することで染色体の中に新しい遺伝子を埋め込むことができるというものだ。
人間を含めて、DNAの配列=ゲノムは解読されているので狙った場所のDNA配列を作り出せればその場所を正確に切り取れるというものだ。2012年に発表されたこの技術はそれまでにあった遺伝子組み換え技術に比べてはるかに正確で安価にできるというものである。
たぶんかなり間違っているので信用しないでほしい。

今でも遺伝子組み換え作物というものは作られているけれども、ピンポイントで遺伝子を組み換えることができる技術によってさらに精度が高いものが作られるようになるはずだ。2010年代の終わりまでには市場に出回るということなのでもう間もなくだ。マッスル真鯛というのも和歌山で作られているらしいが、それももうすぐ商品化されるのだろうか。あれはちょっと食べたくない。と、いうように、著者たちは、すでにこの新しい技術に対しての批判や嫌悪が始まっているという。遺伝子を操作するということに関してはそれまでの遺伝子組み換え作物と何ら変わりがないというのに、その先に垣間見える行き過ぎた世界がそうさせるのだと考えている。だからこそきちんとした説明と啓蒙が必要であると考えているのだ。
これからはさらに医療の現場にも使われてゆく。様々な遺伝病では、体の中にCRISPRcas9を投入することでその疾患部分を治すことが簡単にできるようになる。究極は、人間の遺伝子を持ったブタを作り、移植できる臓器を作りだそうというのだから恐ろしくもなる。医療もどこまで許されるのかというところだろう。
そして、さらに人間の受精卵のDNA改変に話が及ぶ。デザイナーベイビーというやつだ。人間が生まれる前に希望の遺伝子を入れ替えて望みの体を作る。これが先天的な遺伝病を治療する目的ならば許されると考えることもできるであろうが、一般的な人間の能力を超えるような特質を獲得するための改変ははたしてしてしまっていいものだろうか。ここでは一般人の能力を超えた兵士を生み出すというようなことを例として挙げている。
著者たちはそういうことに非常な危機感を覚え、この本を書き上げた。まずは、ヒト胚に対しての技術の使用を全面的に禁止すべきだと訴えている。
善にも悪にも使われうる技術は一般社会に広く知らしめて社会の力で善の方へ向けた発展をしなければならないと訴えているのだ。原子力技術のようになってはいけないと。

しかし、それを誰が善と決めるのか、悪と決めるのか。ある人はそれを望むしある人はそれを望まない。民主主義というのはそういうものだ。そんななかでじわじわと著者たちがいうあらぬ方向に向いていくに違いない。ついこの前、テレビで、中国がクローン犬を作っているというニュースをやっていたけれども、ものすごく小さな箪笥一個分ほどのスペースでそれがおこなわれていた。ものすごく簡単な設備のように思えた。こんなところでいろいろなことがやれてしまうなら。誰がどんなところで何をするかわからない。
そんななかで人間の尊厳はどう保たれるのか。生物は環境の変化に合わせて進化するというけれども、人間がこの100年間で変えてしまったしまった環境に人間が追いつけているのかどうかというと疑問だ。自然の摂理が追い付けないからこういう技術で自らの進化をうながしているとしたら、それも自然の摂理のひとつと言えるかもしれない。かなりいびつのように思えるが・・。まして、これから本当に宇宙に飛び出していかねばならない時代になれば、放射線に強いとか、小さな重力の中でも耐えられる肉体に変わっていく必要があると言う人もいる。しかし、それが自然の一部である“人間”と言えるのだろうか・・。

簡単にできる技術だとはいえ、それなりにコストはかかる。この前のニュースでは白血病の治療薬が3千万円だそうだ。(この薬も遺伝子組み換えの技術を使っているそうだ。)こういうものを含めて、自分が望む体を得ることができる富裕層とそれを外から眺める貧困層。いまでも二極化ということが言われているけれどもそれがもっと格差となってゆく。そんな中ですべての人が満足のいく答えというものが本当に出てくるのだろうか。

まあ、僕が生きる時代にはそんな答えを出さねばならないという事態にもならずに大きな争いを見ることもないだろう。しかし、願わくば、僕の遺伝子に変更を加えてくれるというのなら、もっと記憶力をよくしてもらって、天陽クンみたいなイケメンにはしてもらえないだろうか・・。ついでに鼻血が出ない血管も欲しいものだ・・。

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