鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

日本名タイトルで違って見える洋画

2006-12-03 | Weblog
 数日前にWOWOWで放映したリチャード・フライシャー監督の1968年制作の洋画「絞殺魔」をビデオに録って、観賞した。タイトルからすると、ピンク映画を思わせるがどうしてどうして米国の実話に基づく極めてまともな映画であった。先週の日経の土曜日の別刷りのウィークエンド日経の「今週の1本」で取り上げていたので、見てみようかな、という気になったのだが、新聞・雑誌のお薦めにありがちな期待はずれでなく、推薦通りの傑作だった。
 米国ボストンの街で60年代に女性13人が絞殺された事件をマーキュリー計画成功パレードやケネディ大統領暗殺事件のテレビ画像が流れるのを映し出し、当時といsては珍しいマルチ画像を駆使して、ストーリーを進めていく斬新な手法を採っていて、見る者を惹きつける。前半は検事補から急遽州あげての捜査本部長に抜擢された捜査側の主人公をへんりー・フォンダが演じ、後半は犯人役のトニー・カーチスが場を盛り上げる。
 犯人は女性を襲おうとしてこそ泥的な仕草を見つけられ、男性に追いかけられ、捕まってしまうが、意外と犯人自身が意識しない二重人格であることが判明する。捜査本部長直々に医者の許し水を得て、犯人を尋問していくが、なかなか犯行時の記憶にまでたどりつかない。最後にちょっとしたきっかっけで面会に来た妻の首に手をかけたのをとらえ、自白に追い込んだところで幕となる。が、犯人は裁判にかけられないままとなっているとの字幕が出て、映画は終わる。
 果たして罪はどこにあるのか、犯人の生い立ちや環境まで描いていないので、何ともいえないが、社会派監督リチャード・フライシャーらしい問題提起作品であった。原名は「The Boston Stranger」、さしずめボストンの異邦人となっており、日本名の絞殺魔はいかにもそぐわない。日本で公開されたのかどうかわからにが。このタイトルでは客は呼べなかったことだろう。よく、タイトル名がよくて内容が伴わない洋画もあるが、この絞殺魔は逆のケースの典型である。

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