鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

早くもレイムダック症状の安倍内閣

2006-12-20 | Weblog
 安倍晋三首相が19日午後6時から記者会見をした。NHKのいつものニュ-スなのに記者会見の中継なので、改めて朝刊のテレビ欄を見ると確かに記者会見となっている。そういえば、国会が閉会したので、その会見なのだろう、と思ってしばらく見ていると、教育基本法を59年ぶりにだか改正したその思いと趣旨を長々と話した後、郵政民営化反対の造反組復党問題とタウンミーティングの釈明をしていたが、どうもよくわからない。わずかに大手銀行からの自民党への献金についてはご遠慮願うことだけが唯一のプラス材料だったが、このところの減点続きにきっちりと挽回するべくだけの対策をしているか、となるとやや疑問である。
 肝心の北京での6カ国協議は予想されたこととはいえ、成果が上がっているのか、いないのか、そのうちに会議は踊ると同じ意味で”6カ国協議始まる”と慣用句として使われるようになるのではないか、と思われるほどのていたらくである。
 もうひとつ、ここへきて政府・自民党の間で大きな問題となっているのが、政府の税制調査会の会長を務める本間正明大阪大学教授がこともあろうに愛人と官舎に格安の賃貸料で住んでいたことが発覚し、進退問題が浮上している。安倍首相・塩崎官房長官は「すでに官舎を退出したのだし、ここは職責を果たしてもらう」と不問に付す構えのようであるが、多くの関係者は納得していない。国民の生活に大きく関係する税のことを決める最高責任者が後ろ指を指されるようなことを行って平然としているのはいかがなものか、と任命責任者の責を問う声が大きい。以前にも福井日銀総裁が同じような状況に追い込まれ、結局居座ったが、2度目の本間教授の場合はそうはいかないだろう。
 この本間教授の居座りもそうだが、造反派の復党といい、タウンミーティングといい、いずれも安倍首相の見識、ガバナビリティが問われている。一国の総理大臣としてのどうかと思われるような裁き方である。17日のサンデープロジェクトで田中秀征氏が安倍首相を見放すような発言をしていた。政権発足してまだ3カ月も経っていないのに政治のプロからこうした発言が飛び出すのは異例なこととはいえ、明白な事実である。安倍首相は成蹊大学出身であるが、あの年で早稲田でなく、慶應でなく、成蹊大学へ行くというのは一体どういうレベルの人なのだろう、と首をかしげたくなる。成蹊大学の悪口でなく、冷静に考えて、東大は無理だとして、行く大学は他にもいくらでもあるだろうに、と思う。このことから、安倍首相の知能のレベルを問題にする向きさえある。
 さきに武部勤前幹事長がエロ拓の山崎拓氏率いる山崎派を出て、小泉チルドレンを従え武部派を立ち上げを表明したのに続き、宏池会の後継者として古賀誠議員が名乗りを揚げ、19日には新たに麻生太郎外相が15人で麻生派を立ち上げたのは早くも安倍政権危うし、と見て後継をアピールしよう、というものに他ならない。
 そう思って、テレビを通して、記者会見に臨んでいる安倍首相の表情をよく見ていると、どことなく元気もないし、精彩がない。なにやら政権末期の会見の雰囲気すら漂っていた。
20日付けの朝刊をみると、日経だけが記者会見の内容を発言の詳細大きく掲載しているのに対し、一般紙の朝日、読売はほとんど無視、毎日だけが記者の質問を2つだけに絞り、封じた、と批判的に取り上げていた(産経は取ってないので、不明)。日経は逆に異常である、と感じた。

追記 追って20日付けの産経新聞をチェックしたら、安倍首相の会見の発言要旨のみを掲載していた。日経ほどではないにしても産経も基本的には政府・自民党寄りの新聞であることがはっきりした。
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安らかに眠れ!S君

2006-12-19 | Weblog
 大学時代のゼミの友人、S君が死んだ。先日、喪中のハガキを奥さんからいただき、その事実を知った。ゼミの友人であるとともに大学1、2年の語学クラスの友人でもあった。S君はサ行の苗字なのに大学事務局にM姓と勝手に判断され、我々ハ行、マ行のクラスに組み入れられた。みんなで「可笑しいな」と言いながら、笑い合っていた。顔立ちは彫りの深い、外人の血が混じっているのではないか、と思わせる二枚目だった。それが3年になり、ゼミを選択したら、同じゼミとなり、お互いマスコミを志望している、とわかり、ゼミで同じ志を持つ5人で仲間を作って、就職活動をともにした。ゼミの研究室に集まり、論文の勉強だ、と言って、「自由」とか、「個人主義」とかテーマをその都度決めて1時間くらいで、一斉に原稿用紙4枚くらいを書いて、書き終わったらお互いに批評しあうようなことをよくやった。S君はいつも合評でも辛辣で手厳しい意見を述べていた記憶がある。
 S君は親父さんの関係からか、当時、毎日新聞編集局でアルバイトをしていた。外報部で学生さんとして雑用をしていたので、当時の外報部長で、後に社長になった山内大介氏を紹介してもらい、2人で東京・竹橋の毎日新聞本社へ会いに行った。S君からは「忙しい人だし、30分以上話したら合格だ」と言われていた。詳細は忘れたが、当時毎日新聞が主催した催しについて議論をしたりして結局1時間くらい話をした。終わって、S君からは「お前ら、合格だよ」と誉められたことを覚えている。これが効いたのか、一緒に行ったゼミのA君は毎日新聞社に見事、合格した。
 S君も当然、毎日新聞を受験するのか、と思ったが、受験せずに最終的にはダイヤモンド社へ入社した。社会人になってからはお互い任地が違ったこともあって、それほど親しくも付き合ってはこなかった。それでもたまにゼミ生のOB会がある時には顔を合わせてお酒を酌み交わしたりした。一度、大手町ですれ違い、いま何を担当しているか、を聞いたら同じ分野だったので、「レクチャーするからいつか、来いよ」と言ってやったことがあるが、本来シャイなS君がレクチャーを聞きに来ることはなかった。
 奥さんからは「今年4月7日に肝不全で永眠しました。満60歳でした」としか書いてなかった。同じハガキをもらったゼミ生から「お墓の所在地くらい聞いてもらってくれ」との要請を受け、奥さんにTELして聞いたところ、多磨霊園のS家先祖代々之墓に埋葬した、とのことだった。ついでに死んだ状況を聞いたところ、定年で会社を退いたのは昨年の4月で、以来これといった事もせずに毎日、お酒(ウイスキー)を浴びるほど飲んでいた、という。亡くなった前日も一杯飲んで、翌朝起こしに行ったら、布団の中ですでに死んでいた。それまで医者に罹ることもなく、特にお腹が痛いと訴えたこともなく、あっけなく逝ってしまった、という。
 学生時代からそんなにお酒をガブガブ飲んでいた印象はなかった。何がs君をそんなに深酒をするようにさせたのか、わからない。肝硬変は発見が早ければ、完治しなくとも快方に向かわせるようなことはできるはずである。本人には自覚症状はあったはずで、それを黙って死に至るまで放置したのは覚悟があってのこととも考えられる。電話で聞く限り、奥さんは淡々と話してくれた。一度も会ったこともない奥さんにそんなことを電話で聞くわけにはいかない。
 そういえば、S君からは退任時によく見かける退任挨拶のハガキをもらった記憶がない。学生時代の友人にすら消息を伝えてくれなかったわけで、S君がなぜ、手遅れになる前に一言でも知らせてくれなかったのか、心の中の闇の一端でも打ち明けてくれれば、との悔いは残る。
 いまとなっては安らかに眠って下さい、というしかない。
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感動の名作「私の頭の中の消しゴム」

2006-12-18 | Weblog
 いまにも雨の降り出しそうな昨17日、年賀状を書きながら時間を過ごし、一段落したところで、映画でも見に行こうかな、と思って新聞の映画興行広告をひとわたりみたが、これといって見たい映画がなかったので、前日の夜テレビ放映した韓国映画「私の頭の中の消しゴム」をビデオ観賞した。映画館で封切上映中も新聞の映画批評などでは評判のいい映画だったが、評判通り感動の名作であった。
 主人公の資産家の娘はある日、コンビニで買い物をした後に忘れ物をしてレジに戻ろうとして父親の会社の現場監督の青年と遭遇し、青年が持っていたコーヒー缶を思わず飲んでしまう。その後、偶然の会う機会があり、最初はぶっきら棒だった青年が実は心の優しい人だとわかり、急速に恋に落ちていく。あとはお決まりの多少のゴタゴタがあるものの、結婚へゴールインする。
 そしてしばらくは幸せなハネムーン生活が続く。夫が建築士の国家試験に通り、念願の事務所を構え、貯めたお金で新居を造ることを決める。断絶状態だった夫の母親とも和解することにし、幸せの絶頂に登りつめる。ところが、ある日、主人公が家への帰り道がわからんかうなり、医者に罹ると不治のアルツハイマー病だ、と宣告される。
 悲観した主人公は会社を辞めて、専業主婦となり、夫に離婚を迫る。そこで、私の頭の中に消しゴムが広がっていく、と病状を訴える。タイトルの「頭の中の消しゴム」はもっとロマンチックな意味か、と思ったら、アルツハイマー病の進行状況を表す言葉だったとは思いもしなかった。原題はわからないが、記憶が消えていくことを消しゴムで消すことと表現する感性が素晴らしい。
 主人公はどうしても離婚に応じない夫のもとを去り、「もう探さないで」と書き置き手紙を残して、自ら施設に赴く。ある日、夫が施設から住所も記さずに届いた手紙をもとに探しあてた施設で、主人公に再会する。が、主人公の記憶は戻らない。夫を夫とも認知しない姿に夫は涙を流す。で、看護婦に頼んで、外出の許可をもらい、思い出のコンビニに行き、そこで初めての出会いを再現する。レジには医者が、店内の掃除婦には夫の母親と夫の先生、そして店内の客として主人公の家族が佇む。それを見た主人公は「ここは天国?」と夫に問いかけるところで、ジ・エンドとなる。
 韓流映画の傑作といっていいかもしれない。典型的な純愛映画で、こうなるだろう、とわかっていても見ていて、涙が出てくる。設定が丁度日本の昭和40年代の高度成長期にさしかかるような時代で、郷愁を感じるのかもしれない。日本映画が通り過ぎ、いまや忘れている純愛路線の正道をいく作品でもある。
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後半盛り上がった「ブルックリン・ボーイ」

2006-12-17 | Weblog
 16日は東京・新宿の紀伊国屋サザンシアターで兵庫県立芸術文化センターの公演「ブルックリン・ボーイ」を観賞した。浅野和之主演でそうビッグな出演者ではなく、出だしから地味な感じで最初は一体どうなることやら、と不安になっていたが、2幕目からは味のある内容で最後は感動させてくれた。ニューヨークの下町のユダヤ人の街から抜け出そうと試みる主人公が最後は自らを取り戻すといったいささか宗教かかった劇でその辺のニュアンスがわかりにくい点はあるが、原作が米国の翻訳物でしっかりしていることがよかったのかもしれない。
 「ブルックリン・ボーイ」はブルックリン育ちの作家エリック・ワイスが故郷で1人暮らしの父が入院している病院を見舞うシーンから始まる。3作目でやっとベストセラー入りした小説「ブルックリン・ボーイ」を持ってきて読むように進めるが、父親は相変わらず頑なに息子のしていることを認めようとしない。2人はすれ違いの会話を交わして、最後は父親が「今度ばかりはだめだ」と弱音を吐く。帰りがけに30年ぶりに幼な馴染みの友人にバッタリと出会うが、妻との離婚話が持ち上がっているエリックにはすんなりと会話に入っていけない。
 妻との復縁もままならぬまま、ロスアンゼルスでの「ブルックリン・ボーイ」のサイン会、映画化の打ち合わせに出かけるが、華やかなはずのファンとの交流や、映画プロヂューサーとの打ち合わせにも心が弾まない。で、父は病院で息を引き取ってしまう。
 遺品を整理していると、幼な馴染みが慰めにきて、一緒にお祈りを捧げよう、と言ってくれるが、お祈りの飾り放り出し、友人は帰ってしまう。そこへ、死んだはずの父親の亡霊が現れ、これまでどんな考えで息子と接してきたか、その思いを語り、自らの生い立ちを綴った息子の著作「ブルックリン・ボーイ」を涙を流してよんで、感動した、と告白する。それを聞いたエリックは父親の真の愛情を知り、ブルックリンこそが自分の故郷であることを思い知る。で、さっき捨てたお祈りの飾りを拾い、ユダヤ教の祈りを捧げる。
 席は最前列だったので、最後は浅野和之が本物の涙を流していたのがよく見えた。カーテンコールでは出演者が観客の拍手に心底から嬉しそうに応えていたのが印象的だった。ただ、パンフレットに写っている顔と実際の出演者とが一致しないような感があるのは衣装合わせの問題なのだろうか、ちょっと気になった。
 それと、父親役の織田順吉がいつもテレビで見ると、色の黒い地味な感じののに、実際は色白で見栄えのする顔であることがよくわかった。脇役というのは主演者より目だってはいけないので、そういう作りをしているのだろう。
 この「ブルックリン・ボーイ」は原作も演出も米国人で、ユダヤ人のことが背景にある米国人向きの演劇何かもしれないが、それでも結構楽しめた演劇であった。
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一挙に121億円余を稼いだ松坂大輔

2006-12-16 | Weblog
 松坂大輔の米レッドソックスとの契約交渉がようやくまとまった。契約金は6年間で総額5200万ドル、日本円にして61億3600万円と度肝を抜く金額となった。ポスティングシステムでレッドソックスが西武ライオンズへ払う60億円と合わせると121億円余となる。西武ライオンズの全選手の年俸総額が30億円程度と言われているので、その4倍ということになる。全国100万人以上の野球少年の頂点に立った松坂大輔がさらに夢を大きく実らせることができるか、見ものである。
 松坂大輔が米メジャー入りを表明してから1カ月以上になるが、ポスティングのオッファーの際も今回もいろいろな情報が交錯した。今回も間際に交渉決裂のニュースが流され、松坂は西武ライオンズに戻ってくる、との説がまことしやかに流布された。米国のスポーツジャーナリズムもいい加減な情報が流れ飛ぶ、ということがよくわかった。間に立った交渉代理人ががめつくて金額を下げないからとか、レドソックスはヤンキースの取られないようにポスティングの金額を吊り上げただけ、とか言われた。
 結局、交渉期限ぎりぎりに近い14日になって、松坂の6年間の合計年俸は4900万ドル、交渉代理人の手数料が300万ドル、それにMVPやサイヤング賞などのタイトルを取った場合の出来高払いが800万ドルで決着した。レッドソックスは松坂獲得に1億ドルを用意していた、とも伝えられている。
 日本時間で15日朝に記者会見した松坂は満面に笑みを浮かべ、期待に答えるようローテーション入りをめざしたい、と強気な松坂にしては珍しい殊勝な発言を繰り返した。また、レッドソックス入団の感想を聞かれ、「結婚と子供が生まれたのに次ぐ感激です」と答えていたが、それはないだろう、と思った。結婚や子供が生まれたことは確かに大きな出来事なのはわかるが、だれにでもできることだし、野球で世界のトップクラスになることとは次元の違う話である。米国人が家庭を大事にする、と誰かに吹き込まれて、米国流に答えでもしたのだろう。
 実は高校時代の松坂選手と鈍想愚感子の三男は1度対戦したことがある。忘れもしない、97年7月27日、松坂選手が横浜高校の2年生ながらエースピッチャーで、我が家の三男が高校3年生、保土ヶ谷球場での夏の神奈川県大会の準々決勝で対戦し、4打席とも凡打、もしくは三振(1打席は四球)に打ち取られ、5対10で敗れた、と記憶している。怪物松坂として全国的に注目される前だったが、ネット裏から見ていていいスピードボールを投げるな、と思った。が、ここまで凄い選手になる、とは夢にも思わなかった。
 今後6年間の松坂の年俸は約10億円で、米メジャーリーグのトップ選手は30億円弱でまだ開きがある。それでも松井秀喜、イチロー選手をはるかに抜いてしまっただけに、投手と打者との差に時代の流れが加わったとはいえ、つくづく松坂の運の良さを感じる。松井、イチローは内心忸怩たるものがあることだろう。メジャーへの道を先陣を切って切り開いた野茂英雄選手の功績大なものがあるだろう。
 松坂がここまできたのは実力なのか、運なのか、来春に米シーズンが幕開けしてはっきりすることだろう。 
 
 
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どうするタウンミーティング

2006-12-15 | Weblog
 タウンミーティング調査委員会の調査結果が報告された。が、すでに民主党の議員らが国会での質問で明らかにした範囲内を出ず、安倍晋三首相が当時官房長官だったとして、いまの給与から3カ月間34万円返納することで責任をとる、という玉虫色の解決策を打ち出してきた。本当の責任者、小泉純一郎前首相、および広告代理店の電通には一切触れずで、怒りの持って行き場のない煮え切らない感じだけが残った。
 調査委員会の報告書は15回のやらせ質問、71回の動員、過剰経費などを指摘しているが、いずれもこれまで部分的に公表されてきた事実を文書にしてまとめただけのもので、政府が大きく見えを切った割には期待はずれの内容であった。なによりも驚いたのは安倍首相が先頭を切って、3カ月間、34万円づつ給与を国家に返納する、と発表したことだ。すでに就任時に財政再建の意欲を示すため、給与のうち70万円を返納しているので、安倍首相は議員歳費の130万円のみを受け取ることになる、という。タウンミーティングの開催当時、官房長官だったので、先陣を切って責任をとる、ということなのだろうが、肝心の責任者、小泉前首相をかばったとしか見えない。
 これについては民主党の神本美恵子議員が14日開かれた衆院教育基本法特別委員会で、「お金で済ませる問題ではない。美しいやり方ではない」と追及したところ、安倍首相は「失礼ではないか」と気色ばんだ、という。小泉前首相の謝罪会見は必要だろうし、不当に高い経費分については事務局を務めた電通に返還請求することもあってもいい、と思う。
 そして、今後タウンミーティングをどうするのか、はっきりと政府の見解を明らかにしてもらいたい。
 小泉首相がテレビでの記者団のタウンミーティングや復党問題などでの追及に対して、「今後一切、こうしたぶら下がり会見には発言しない」と明言した。あれだけ、ぶら下がり会見を効果的に使いまくってきた当の本人がそう言うのだから、世間の逆風を感じているのだろう。
 それにしても、このところの安倍首相の言動には疑問符がつく。先日も今年の流行語に関して、記者団が「今年を一語で象徴する語は」と聞かれ、「責任ですかね」と”二語”で答え、記者団の失笑を買った、という。健康問題に加えて知能指数にまで疑問符がつき出した。安倍内閣の支持率低下が問題視されているが、今回のタウンミーティング調査結果への対応を見ていても、それにますます拍車をあっける一夫で、自民党筋では早くも次ぎの首相候補選びが始まったようだ。
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政務調査費という名目の給与

2006-12-14 | Weblog
 東京都の荒川区議会が来年度から区会議員の政務調査費の交付に関する条例の改正案を可決し、政務調査費から飲食代などを原則除外し、さらに議員1人当たり月額16万円だった政務調査費を半額にすることとした。目黒区議会の議長が国内出張の折に腰枕を購入して政務調査費として処理したり、タクシー代をデタラメに使って批判を浴びたことから、政務調査費なるものに大きな関心が寄せられ、自粛の方向を打ち出している。政務調査費なるものの実態を解明するのはもちろんだが、そもそも議員報酬そのものが議員の活動に比して妥当な水準であるか、に議論が及ばないと意味がないだろう。
 政務調査費に世論の関心が向かうきっかけとなった目黒区の政務調査費は年間7344万円も支給されている。使用に際しては領収書の添付が義務付けられているが、東京都のように領収書の添付を必要としないところもある。となると、形を変えた議員報酬である、といってもいいだろう。
 荒川区議会は不透明な使用実態に鑑みて、自主的に改正案をまとめた。それによると、従来領収書の添付を義務付けていなかったのを義務付けるようにし、飲食代、それに携帯電話の使用料、アルバイトなどの雇用経費の使用を認めないこととした。また、使用基準について第3者機関を設置して、外部の意見を反映させるようにする、という。
 一般に国会議員がいて、東京都の場合は都議会議員、そしてそのまた下の区議会に区議会議員がいることなんて知らない人が多いだろう。知っていても区議会議員て一体、何をしているのだろう、と思っている人が大半だろう。区ごとに条例があるので、その立法を担ってはいるのだろうが、そもそも議員を置いていっぱしの議員活動をしてもらうような必要があるのだろうか。
 小さな政府というが、その小さな政府の下にまた小さな小亀みたいなものを階層的に作って、政務調査費と称して税金の無駄遣いを勝手気ままにさせているような構図はどこか狂っているのではないだろうか。
 東京都あたりが音頭をとって行政立法機関の統合撤廃を大いに進めてもらいたいものだ。
 政務調査費なんて名前を借りた議員報酬そのものなのだから、撤廃して議員活動にメスを入れて、議員を無くすのが無理なら、せめて議員定数の見直し、報酬の水準の妥当性から議論を始めてもらいたいものだ。

追記 年が明けて、2月18日の読売新聞に自民党品川区議団の政務調査費の領収書に漫画や推理小説、ポルノ小説などの領収書が含まれていることが判明した、との記事が掲載された。須藤安通同団幹事長は「会派としてのチェックが甘かった。精査のうえ、政務調査費になじまない書籍代は返還したい」としているが、杜撰に使われてきたのは否定できない。政務調査費などやめて、議員手当てに一本化すれば、そのなかでポルノ小説を買おうが、どう使おうが問題にされないだろう。
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夫婦連名の年賀状の怪

2006-12-13 | Weblog
 年の瀬を迎えると毎年、年賀状書きが始まる。11月上旬に売り出される年賀状の頃になると、来年の年賀状のデザインをどうしようか、と考える。以前はプリントゴッコで自家印刷していたが、最近はすべて印刷屋に頼んでいる。早めに頼むと、早期割引というのがあって、ちょっぴり安い。11月中旬には刷り上ってくるので、11月下旬には宛名書きから始める。でもあまり早くから書き始めると、12月になってから喪中のハガキが舞い込んできて、書いた年賀状がおしゃかになる。昨日も2通喪中のハガキが届いた。1通はつい最近父親を亡くしたばかりの人で、これは仕方ないが、もう1通は大学時代のゼミの友人の奥さんからで、なんと今年4月に肝不全で亡くなったとのことだ。御年60歳と若い。それほど親しくもなかったのでか、亡くなった時には連絡もなかったし、訃報が新聞に載るような有名人でもないので、知らなかった。それでも同期の人が死んでしまうのはショックだ。この年になると、毎年身近な人の訃報が必ず数件届く。年賀状というのは年に1回交際範囲の人の消息を知る上で、便利な習慣でもある。
 今年は珍しくかみさんが「年賀状を夫婦別々のものにしたい」と言い出した。以前は子供の名前、年齢もカッコに入れた家族全員の名前を列記していたが、10年くらい前から夫婦連名にして、なんの不思議も感じていなかった。夫婦共通の知り合いであるが、どちらかといえばかみさんの知り合いが旦那相手に年賀状を書いてくるのも考えてみれば、こちらが夫婦連名で年賀状を出しているからであった。かみさんにしてみれば、かみさんの友達はみんな自前の年賀状を作成している、という。かみさんだけの友達に夫婦連名の年賀状は出しにくいだろう。普段は夫唱婦随のかみさんも結婚30年弱にしてようやく自己主張した、ということなのだろう。
 といっても、かみさんの出す年賀状の数はそんなに多くないので、今年は印刷は夫だけの名前にし、かみさん分は別途郵便局で絵入りの年賀状を買うことで、対応した。
 これまでそんなことも考えもしなかったのだから、迂闊といえば迂闊なことであった。もらう方にしてみれば、どちらからもらったのだろうか、といぶかることになる。当たり前のことなのにそうしたことを全く考えなかったのだから、面白いといえば面白い。
 そう思って今年は年賀状を書くのに、夫婦連名のところに対してはどちらかの名前だけを書くようにした。
 永年やっていることでも案外、気のつかないことがあるものだ。
 でも、これまでずっと夫婦連名で出していて、来年から夫だけの名前にすると、事情を知らない人はいま流行の熟年離婚か、とでも思われることもあるのかもしれない。そこまで注意深く年賀状を見ている人が果たしてどのくらいいりものなのか、新年のお楽しみだ。
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3選危うし、石原慎太郎

2006-12-12 | Weblog
 東京都知事の石原慎太郎の周辺がきな臭くなってきた。直接のきっかけは四男の石原延啓氏を公務と称して海外出張に派遣したことで、税金の私的流用にあたる、と批判の声が起き、芋づる式に知事自身の海外出張で経費の無駄遣いがみられるとの指摘が相次いでいる。このところの都道府県知事の不祥事の続発が東京都にも及んだ感じであり、こんな間の悪い時に石原慎太郎知事は来春の東京都知事選に3選の出馬を表明した。身の潔白を証明してからのがよかったと思われ、今度ばかりは3選も危うくなってきたようだ。
 石原知事の四男はそれほど世間に知られていない画家で、04年1月にスイスのダボスで開かれた「世界経済フォーラム(通称ダボス会議)」で日本の太鼓が演奏された背景の絵を制作し、その状況を見るために欧州に公費で出張したのが公私混同ではないか、と批判を浴びている。これに対し、石原知事は「余人をもって変え難い人物であれば、誰だって使う」と半ば開き直って抗弁した。延啓氏が余人をもって変え難い人物であるとは誰も認めないだろうし、単に太鼓演奏の背景の絵なんかに誰も関心を払わないだろう。
 テレビに映る石原知事の表情はいつもの矢でも鉄砲でも持って来い、の強気なものではなく、どこかおどおどとした表情で、なによりも目が宙に浮いて、口では強気なことを言ってはいたが、心の動揺は隠せず、これがあの石原知事か、と見まがうほどであった。
 しかも。ここへきて過去2年間の石原知事の海外出張は9回におよび、その合計随行員は94人にもなり、あわせて1億6000万円もの公費を遣っていることが明らかとなり、しかも泊まった部屋のスイートルームが1泊26万円もすることが判明した。四男に対してはさらに公私混同的な利便を計っているようなことがあり、これを石原知事がおかしいと思わないうえ、東京都当局も問題なし、としているのが理解できない。東京都のオンブズマンは一体、何をやっているのだろうか。
 こんな体質の知事、東京都当局である限り、さらに同じような公私混同、および公費の無駄遣いをしているのは間違いないだろう。
 こんな状態で、石原知事は来春の3選出馬を表明した。選挙民をなめきった振る舞い、と言わざるを得ない。鈍想愚感子はもともと石原慎太郎は小気味いい切れ味の発言をするサムライとして買っていたが、ここまで醜い人間性が出てくるともう応援してやろう、という気がなくなる。息子が次々と国会議員になるところも”日本のケネディ家”気取りで嫌味だ。
 民主党はまだ、都知事選の対立候補を決めていないようだが、ぜひ清新で実力もある候補を早く選定し、石原知事を葬ってもらいたいものだ。
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泣かせる「三丁目の夕日」

2006-12-11 | Weblog
 一週間くらい前にテレビ放映した映画「三丁目の夕日」をビデオに録っていたのを、遅ればせながら観賞した。今年の日本アカデミー賞の作品賞以下ほとんどの賞を総ナメにした映画で、原作はビッグコミックかなんかの漫画雑誌に掲載されていたのを映画化した。漫画から映画にするなんて策がないと思っていたし、主演の吉岡秀隆も好きではないので、見に行かなかったが、そんなに評判がいいのならとビデオに録って見てみる気になった。それほど期待しなかったが、ストーリーが読めてしまうけどなにかほのぼのとした心暖まるいい映画であった。
 東京タワーが建設されている時代だから昭和30年代の東京のとある街の商店街にある自動車修理工場と駄菓子屋うを中心に話は展開する。売れない小説を書いている青年のところに事情があって捨てられた男の子が転がり込んでうる。一方、向かいの自動車修理工場には集団就職の女の子がやってくる。
 画面はセピアカラーの時代がかったくすんだ色で物語が展開していく。お馴染みの美人ママの一杯飲み屋に商店街の旦那衆が集まり、あれやこれやの噂話に興じる。テレビが初めて登場し、町じゅうが力道山に熱狂したことや、みなし子が友人と電車に乗って、お母さんのところに会いに行き、騒動になったり、自動車修理工場の女の子が生まれて初めて見たシュークリームを食べてお腹を壊したり、クリスマスプレゼントに一喜一憂する話などいかにもありそうな話がエピソード風に綴られていく。
 クライマックスはみなし子のところへ父親と称するお金持ちが現れ、強引に子供を連れ去っていくが、置手紙を見た青年が思わず感激して下駄を履いたまま商店街を駆け抜け、転んで先にその男の子がランドセルをしょったまま立っていて、2人は抱き合う。が、青年は「なんで帰って来たんだ。赤の他人なんだから」と一度は男の子を突き放すが。結局は受け入れてしまう。こうなるとわかっていても涙が出てきてしまうシーンであった。
 それと自動車修理工場へ来た女の子が母親から一度の手紙が来ないので捨てられたと思い込んでいたら、実は心配した母親は自動車修理工場の主人へは毎月「よろしく頼む」と愛情あふれる手紙を出していたことを知り、大晦日に帰省していくシーンも泣かせた。
 最後は完成した東京タワーが夕日に映えるシーンで終わる、全くいい映画であった。昭和30年代は確かに生活は苦しかったけれど、人々の心は暖かかったいい時代であるとのノスタルジアを感じさせる映画であった。最近、洋画より日本映画の方が興行成績がいい、といわれているが、それを納得させるものだった。
 
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