鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

安らかに眠れ!S君

2006-12-19 | Weblog
 大学時代のゼミの友人、S君が死んだ。先日、喪中のハガキを奥さんからいただき、その事実を知った。ゼミの友人であるとともに大学1、2年の語学クラスの友人でもあった。S君はサ行の苗字なのに大学事務局にM姓と勝手に判断され、我々ハ行、マ行のクラスに組み入れられた。みんなで「可笑しいな」と言いながら、笑い合っていた。顔立ちは彫りの深い、外人の血が混じっているのではないか、と思わせる二枚目だった。それが3年になり、ゼミを選択したら、同じゼミとなり、お互いマスコミを志望している、とわかり、ゼミで同じ志を持つ5人で仲間を作って、就職活動をともにした。ゼミの研究室に集まり、論文の勉強だ、と言って、「自由」とか、「個人主義」とかテーマをその都度決めて1時間くらいで、一斉に原稿用紙4枚くらいを書いて、書き終わったらお互いに批評しあうようなことをよくやった。S君はいつも合評でも辛辣で手厳しい意見を述べていた記憶がある。
 S君は親父さんの関係からか、当時、毎日新聞編集局でアルバイトをしていた。外報部で学生さんとして雑用をしていたので、当時の外報部長で、後に社長になった山内大介氏を紹介してもらい、2人で東京・竹橋の毎日新聞本社へ会いに行った。S君からは「忙しい人だし、30分以上話したら合格だ」と言われていた。詳細は忘れたが、当時毎日新聞が主催した催しについて議論をしたりして結局1時間くらい話をした。終わって、S君からは「お前ら、合格だよ」と誉められたことを覚えている。これが効いたのか、一緒に行ったゼミのA君は毎日新聞社に見事、合格した。
 S君も当然、毎日新聞を受験するのか、と思ったが、受験せずに最終的にはダイヤモンド社へ入社した。社会人になってからはお互い任地が違ったこともあって、それほど親しくも付き合ってはこなかった。それでもたまにゼミ生のOB会がある時には顔を合わせてお酒を酌み交わしたりした。一度、大手町ですれ違い、いま何を担当しているか、を聞いたら同じ分野だったので、「レクチャーするからいつか、来いよ」と言ってやったことがあるが、本来シャイなS君がレクチャーを聞きに来ることはなかった。
 奥さんからは「今年4月7日に肝不全で永眠しました。満60歳でした」としか書いてなかった。同じハガキをもらったゼミ生から「お墓の所在地くらい聞いてもらってくれ」との要請を受け、奥さんにTELして聞いたところ、多磨霊園のS家先祖代々之墓に埋葬した、とのことだった。ついでに死んだ状況を聞いたところ、定年で会社を退いたのは昨年の4月で、以来これといった事もせずに毎日、お酒(ウイスキー)を浴びるほど飲んでいた、という。亡くなった前日も一杯飲んで、翌朝起こしに行ったら、布団の中ですでに死んでいた。それまで医者に罹ることもなく、特にお腹が痛いと訴えたこともなく、あっけなく逝ってしまった、という。
 学生時代からそんなにお酒をガブガブ飲んでいた印象はなかった。何がs君をそんなに深酒をするようにさせたのか、わからない。肝硬変は発見が早ければ、完治しなくとも快方に向かわせるようなことはできるはずである。本人には自覚症状はあったはずで、それを黙って死に至るまで放置したのは覚悟があってのこととも考えられる。電話で聞く限り、奥さんは淡々と話してくれた。一度も会ったこともない奥さんにそんなことを電話で聞くわけにはいかない。
 そういえば、S君からは退任時によく見かける退任挨拶のハガキをもらった記憶がない。学生時代の友人にすら消息を伝えてくれなかったわけで、S君がなぜ、手遅れになる前に一言でも知らせてくれなかったのか、心の中の闇の一端でも打ち明けてくれれば、との悔いは残る。
 いまとなっては安らかに眠って下さい、というしかない。
コメント
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