吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2006年8月24日〈津屋崎学〉001:地名「津屋崎」の謂われ

2006-08-24 18:46:58 | 郷土史
●写真は一説に地名「津屋崎」の由来となった〈河原崎〉の地とされる国道495号線宮ノ元交差点付近=06年8月22日午後1時35分撮影

・琢二と清の郷土史談義
『津屋崎学』
 
 この連載は、津屋崎に生まれ育った郷土史家・津崎琢二(つざき・たくじ)と、甥の大学生清(きよし)の対話で書き進めます。

第1回:2006.08.24
 地名「津屋崎」の謂われ

清  「こんにちは。叔父さん、元気?」
琢二 「おお、元気たい。夏休みで帰って来たか。東京での1年目の大学生暮らしはどうや」
清  「東京は空気が汚れていて、息苦しいよ。春は花粉症も出て、大変やった」
琢二 「そりゃ、気の毒だったな。友達はできたか」
清  「中尊寺で有名な岩手県平泉町から入学した安倍義彦という男と親しくなったよ」
琢二 「ほう、平安時代末期に、あの奥州藤原氏で栄えた平泉町の出身か」
清  「それで、安倍にお前の生まれた福岡県の津屋崎とはどんな町か、と聞かれて弱ったよ。津屋崎の謂われも知らんし……」
琢二 「なんや、情けないな。江戸時代の福岡藩の国学者・青柳種信(あおやぎ・たねのぶ)が編集責任者となった『筑前国続風土記拾遺(ちくぜんのくにぞくふどきしゅうい)』には、〈この村を津屋崎というは、昔、産土神の鎮座時、村の西方河原崎という所に堂を建て、村民たち多く集いて通夜せしより、此所を通夜崎という、遂に村名になるといえり〉とある。津屋崎村が町制を施行したのは明治30年、つまり1897年のことや」
清  「へー、そうなんだ」
琢二 「産土神というのは、津屋崎古小路にある波折神社のことで、河原崎は今の津屋崎郵便局前の国道495号線と福津市役所津屋崎庁舎前の〈つばき通り〉が交差する宮ノ元交差点付近のことだな。もっとも、津屋崎の由来については、『波折神社縁起』によれば神功(じんぐう)皇后が河原崎で杖をさされた辺りを〝杖さし〟と言い、それが〝津恵崎〟、後世に〝津屋崎〟と称するようになったとする伝説などが語源とも伝えられる。このほか、平成13年に東京堂出版が再版した『市町村名語源辞典』改訂版では〈ツエ(崩壊地形)・サキ(崎)の転で『断崖の岬』のことか〉と見る説もあるよ」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2006年8月24日〈エッセー〉001:「津屋崎千軒考え隊」を考える

2006-08-24 10:20:41 | エッセー


●写真上:藍染の紺屋・上妻(こうづま)家が明治34年(1901年)に建てた住居を利用する「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」=福津市の「津屋崎千軒」通りで、06年3月30日午後1時40分撮影

●写真下:津屋崎のイラスト=05年7月14日作成。吉村青春第一詩集『鵲声―津屋崎センゲン』にも掲載


・連載エッセー『一木一草』
第1回:2006.08.24
 「津屋崎千軒考え隊」を考える


 福津市企画政策課長の荻原益美さんから19日、「津屋崎千軒考え隊のみなさま」と題する葉書が私に届きました。第2回「津屋崎千軒考え隊」の会議を29日(火)午後7時から福津市文化会館2階大会議室で開催するとの案内でした。会議では、町並みを活かして地域の活性化を図っている事例をスライドで紹介したあと、意見交換を行うそうです。

 「津屋崎千軒考え隊」は、同課が市民有志に「元気がなくなった津屋崎千軒通りの整備計画を、地域住民が参加したワークショップで出してもらう意見を反映して今年度策定したい」と呼びかけ、7月21日に福津市津屋崎の展示施設「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」で開いた第1回会議で発足。私も含め隊員に応募した市民男女約20人が出席し、街づくりへの想いを語り合いました。

 江戸時代から昭和初期にかけて海上交易や塩田開発で商家が栄え、「津屋崎千軒」と呼ばれた通りでは、今や空き家や空き地が目立ち、地区の高齢化の問題もあります。周辺では最近、経営不振の民営国民宿舎つやざきが閉鎖して取り壊されたほか、私鉄の西鉄宮地岳線津屋崎―新宮間の07年4月廃止問題を抱え、経営再建を進めている城山観光(本社・鹿児島市)が渡半島に開発したレジャー施設「玄海彫刻の岬・恋の浦」跡地を売却する話も報道され、いわば〈不振3点セット〉に喘いでいます。こうした状況で、なんとか官民一体で「津屋崎千軒」通りの浮上策を図りたいものです。

 九州・山口の歴史的な町並みを活かした街づくりでは、津屋崎と同じように江戸時代から海運で栄え、油屋など細長い町屋の白壁の町並み(国の重要伝統的建造物群保存地区に選定)が残る山口県柳井市が有名です。九州でも、江戸時代から天領(幕府の直轄地)の城下町で賑わい、約300年前の商家が残る大分県日田市豆田町や、江戸時代から宿場町で栄えた福岡県吉井町にある白壁土蔵造りの町家約70棟が連なる町並みなどが知られています。

 私はこれまで上記3か所のほか、秋田県角館(かくのだて)町や鹿児島県知覧町麓(ふもと)の武家屋敷など歴史的な町並みを旅行で訪れる度に、歴史や生活文化に裏打ちされた美しい景観と風情に、なんとも言えない懐かしさと安らぎを感じました。私は「津屋崎千軒」をテーマにした吉村青春第一詩集『鵲声―津屋崎センゲン』を出版したこともあり、自然と歴史・文化、人の情けという三つの津屋崎の良さを活かし、まず地元に住む人が楽しめ、芸術家や商業者が移り住むような〈自然と歴史・文化、人情に触れ合う、活気のある街づくり〉提案に隊員の一人として、ない知恵を絞りたいと思っています。

 福津市企画政策課では、第2回会議の参加者を募集しています。第3回の10月28日には、町の良さを再発見しようと千軒通りを歩きます。第4回の11月19日には、先進地の町を視察し、勉強する予定です。あなたも「津屋崎千軒考え隊」員になりませんか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2006年8月24日〈津屋崎の四季〉004:石臼そば「あずま」

2006-08-24 07:53:39 | 風物
●写真は石臼そば「あずま」=福岡県福津市手光で、2006年8月22日午後1時05分撮影


 福津市手光の旧国道3号線沿いにある石臼そば「あずま」店に22日、細君と初めて行きました。最近、開店したのは知っていましたが、なかなか機会がありませんでした。

 朝から蒸し暑かったので、ちょっと昼食にそばでも、とランチ(ざるそばに小エビのから揚げ、出し巻き卵付き)を注文。2人前で税込み1,700円でしたが、ざるそばは腰が強く、しこしことした味で旨かったです。卓上の説明書によると、高熱を伴う機械挽きではなく石臼で時間をかけて挽いたそば粉なので、風味が落ちないという。そば湯は、甘口でした。

 店内は小奇麗で、4人掛けの椅子席、カウンター席、掘り炬燵式に足を入れて座れる座敷席もあり、1人でも数人でも入りやすい感じ。営業時間は午前11時―午後3時、午後5時―8時。水曜定休。市内には、ほかにこれといったそば屋がないだけに、満足して帰りました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2006年8月24日〈古文書に見る野鳥〉08

2006-08-24 05:07:32 | エッセー
私の野鳥評論『古文書に見る野鳥』の冊子8回目を紹介します。
24日に掲載した写真は、①14-15ページ「付表」――の内容です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする