写真①:応神天皇らを祀る「富岡八幡宮」本殿
=東京都江東区富岡1丁目20-3で、2013年1月16日午後2時15分撮影
〈東京・町歩きスポット〉 12
:富岡八幡宮
江東区富岡1丁目の「深川不不動尊」にお参りした1月16日午後、お次はすぐ隣の「富岡八幡宮」=写真①=へ。江戸時代初期の寛永4年(1627年)創建で、ご祭神は応神天皇ほか8柱です。
石畳の参道には、「江戸最大の八幡さま(深川八幡宮)」と書かれた横断幕が掲げられていました=写真②=。
写真②:「江戸最大の八幡さま(深川八幡宮)」の横断幕が掲げられた参道
「富岡八幡宮」は、江戸初期の貞享元年(1684年)、幕府から春と秋の2場所の勧進相撲が許され、以後約百年間も境内で本場所が開催され、江戸勧進相撲発祥の地として有名です。本殿わきの境内に明治33年、第12代横綱陣幕久五郎がを発起人にして、初代明石志賀之助から歴代横綱の四股名を石碑に刻んで顕彰する「横綱力士碑」(高さ3.5㍍、幅3㍍、重さ20㌧)が建てられています=写真③=。
写真③:歴代横綱を顕彰する堂々たる「横綱力士碑」
石碑には、柏鵬時代を築いた柏戸剛、大鵬幸喜両横綱の四股名も刻まれていました=写真④=。新横綱誕生の際には、相撲協会の立ち会いで刻名式が行われ、新横綱の土俵入りが境内で奉納されるという。
写真④:柏戸剛、大鵬幸喜両横綱の四股名も刻まれている石碑
最後に、正面参道の永代通り入口の「富岡八幡宮」大鳥居そばにある「伊能忠敬銅像」=写真⑤=を見ました。江戸時代後期の測量家・忠敬は深川黒江町(現門前仲町1丁目)に住み、全国各地へ測量旅行に出る際には同八幡宮に参拝し、成功を祈念していました。
銅像は、寛政12年(1800年)の蝦夷地(北海道)測量開始から2百年が経過したのを機に、平成13年(2001年)に建立。黒御影石に刻まれた伊能日本図を後にして、忠敬が杖の先に磁石で方位を測る「杖先方位盤」を手に、力強く測量の旅へ足を踏み出す姿が彫刻されています。当時67歳だった文化9年(1812年)、忠敬が九州測量の旅で私の古里・津屋崎を訪れた際も、「富岡八幡宮」に参拝したのだなと思うと、歴史上の人物である偉大な忠敬翁が身近に感じられました。
写真⑤:黒御影石に刻まれた伊能日本図を後に測量の旅の第一歩を踏み出す「伊能忠敬銅像」