吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2010年9月7日/〈日記〉407・月刊誌『嘉麻の里』

2010-09-07 08:00:32 | 日記
写真①:月刊誌『嘉麻の里』9月号の表紙
    =拙宅で、2010年9月6日撮影

 飯塚市の作家、宮嶋玲子さんから9月5日、月刊誌『嘉麻の里』9月号(同市・株式会社プランニングエン刊、103㌻)=写真①=が福津市の拙宅に送られてきました。 宮嶋さんは、飯塚市の「旧伊藤伝右衛門邸の保存を願う会」実行委員で、〝筑豊の炭鉱王〟・傳右衛門の妻の才媛歌人・柳原白蓮(1885-1966、本名子=あきこ=)の長女宮崎蕗苳(ふき)さんから聞き書きした著書、『白蓮 娘が語る母子』(同保存を願う会発行)を出版されています。

 4月17日、私も事務局長として参加した実行委員会が主催した「津屋崎千軒 うみがめ祭・町家まつり」に宮嶋さんにお越しいただき、福津市まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」で〈塩と炭鉱王が支えた津屋崎〉のテーマで展示した「伊藤伝右衛門ゆかりの津屋崎写真展」をご覧いただきました。その際、伝右衛門が〈津屋崎千軒〉の町興しに貢献した歴史をガイドで説明させていただいた縁で、宮嶋さんが『嘉麻の里』に連載中の「私の白蓮だより」の21回目記事=写真②=として伝右衛門と津屋崎との繋がりを掲載されたのでした。

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写真②:「私の白蓮だより」の21回目記事
     =拙宅で、6日撮影

 「私の白蓮だより 21」の記事は「津屋崎から鮮魚、農園から果物・野菜」の見出し付きで、『伊藤伝右衛門翁伝』(中野紫葉著)の中に「ある時、魚問屋を思い立ち、幸袋(飯塚市)に魚問屋を開業します。魚は宗像郡勝浦、神湊、鐘崎、福間、津屋崎、遠賀郡葦屋及び博多の七浦から集めました」とあるのを紹介。続いて、私がガイドで説明した伝右衛門や麻生太吉など筑豊の炭鉱主らが大株主となって明治40年(1907年)に創立した「津屋崎活洲会社」と、同社が津屋崎渡半島・曽根の鼻に開設、活魚料理の賞味客で賑わった「活洲場」の様子や会社解散の経緯に触れてあります。
 
 伝右衛門が津屋崎から鮮魚を仕入れていたことや、炭鉱華やかりしころ伝右衛門ら筑豊の炭鉱主らが津屋崎の繁栄を支えてくれたことが『嘉麻の里』に掲載されたことは、町興しボランティア活動をしている私たちには大変励みになります。宮嶋さんに感謝申し上げます。
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