吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

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2016年4月23日/〈東京・町歩き〉019・喜多院

2016-04-23 04:17:14 | 東京・町歩き

 

写真①:〈川越大師〉として信仰を集める「喜多院」の本堂(慈恵堂)

     =埼玉県川越市小仙波町で、2016年4月10日午後2時25分撮影


〈東京・町歩きスポット〉 19 

:喜多院

  埼玉県川越市郭町の「川越城本丸御殿」を訪れた4月10日午後、次に〈川越大師〉として信仰を集めている同市小仙波町の「喜多院」=写真①=に参拝しました。もとは平安時代の天長7年(830年)、淳和(じゅんな)天皇の勅(みことのり)により慈覚大師円仁が創建した勅願所で、本尊阿弥陀如来をはじめ不動明王、毘沙門天などを祀り、無量寿寺と名付けられた天台宗の寺院です。

  鎌倉時代の元久2年(1205年)、兵火で無量寿寺の建物が炎上後、永仁4年(1296年)に伏見天皇が尊海僧正に再興させた際に慈恵大師(元三大師)をお祀りし、関東天台の中心となりました。その後、室町時代の天門6年(1537年)に兵火で炎上しましたが、江戸時代初期の慶長16年(1611年)に徳川家康公が第27世住職・天海僧正(慈眼大師=1536~1643)=写真②=の意見により酒井備後守忠利に工事を命じ、仏蔵院北院を喜多院と改めたという。

 

写真②:「喜多院」境内にある天海大僧正の銅像

  寛永15年(1638年)の川越大火で、現存の山門(寛永9年建立)を除き喜多院の建物はすべて焼失。このため、3代将軍徳川家光公が、江戸城紅葉山(もみじやま=皇居)の別殿を移築して、客殿、書院などに充てました。「家光公誕生の間」や「春日局化粧の間」などが移築された客殿、書院が、国指定重要文化財として保存公開されているのはこのためです。客殿、書院へ通じる庫裏・寺務所の玄関=写真③=から入り、「家光公誕生の間」を見学しましたが、撮影禁止で写真をお見せできないのが残念です。

 
写真③:客殿、書院へ通じる庫裏・寺務所の玄関

  このほか、「慈恵堂」(埼玉県指定文化財)、釈迦・多宝如来の二仏を祀る仏塔の「多宝塔」(同)=写真④=、「鐘楼門」(国指定重要文化財)など現存の建物を数年間で再建、現在まで文化財として大切に守られているという。

 

写真④:埼玉県指定文化財の仏塔・「多宝塔」

  境内には、「五百羅漢」(川越市指定文化財)=写真⑤=も祀られています。釈迦の弟子の高僧ら悟りを開いた533尊者の石像が鎮座しており、江戸時代中期の天明2年(1782年)から江戸後期・文政8年(1825年)まで約50年間にわたって建立されました。

 

写真⑤:533尊者が鎮座する「五百羅漢」

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