吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2007年3月17日/〈福間・町歩き〉001・「小烏神社」

2007-03-17 07:27:59 | 福間・町歩き

写真①:「小烏神社」の石の鳥居
     =福津市中央6丁目で、2007年2月3日午後0時10分撮影

 きょう3月17日から、旧宗像郡福間町(現福津市)の〈福間・町歩きスポット〉シリーズを随時掲載します。14日、カテゴリー〈海とまちなみの会〉でスタートしました津屋崎千軒・町歩きスポットシリーズの姉妹編です。

〈福間・町歩きスポット〉 1 

 :昭和町一区の「小烏神社」

 福津市中央6丁目(旧福間町浜崎)のメーンストリートから北側に入ってすぐの所に、「小烏神社」があります=写真①=。

 石の鳥居を潜って境内に入ると、拝殿前に「小烏神社再建記念 平成七年三月吉日」と彫られた記念の石碑が建てられています=写真②=。碑文は、次の通りです。

 〈安政四年(一八五四年)の昔 神明造りの社殿は百三十八年の星霜を経て老朽荒廃化し その窮状は放置し難く 神社再建の声おこり 区内はもとより 近郊篤志の浄財を以って 小烏神社 念願の再建ここになる〉

 この碑文の〈安政四年(一八五四年)〉の西暦記載は〈安政四年(一八五七年)〉の誤りです。記念碑建立の平成七年(1995年)から計算すると、〈百三十八年の星霜を経て〉の年数〈百三十八年〉は正しい記載になっています。


写真②:境内に建てられた「小烏神社再建記念」の石碑
     =福津市中央6丁目で、07年2月3日午後0時09分撮影

 旧福間町が平成12年に発行した『福間町史 通史編』(同町史編集委員会編集)では、同町の〈神社建築〉の節で〈小烏神社(昭和町一区)〉について触れ、〈小烏神社は綿津見(わたつみ)命、高神(たかおかみのかみ)、闇神(くらおかみのかみ)を祀る〉と記載。本殿については、〈建立年代は棟札に記す安政四年(一八五七)が妥当である〉としています。つまり、江戸時代後期に建てられたというわけです。



 拝殿=写真③=右手には、小烏神社の由緒書が掲げられており、祭神について〈綿津見神、高神、闇龗神〉3神の前に、主祭神として〈少名彦神〉をあげ、〈少名彦神は薬師神とも称号し現世医療の神にて往古よりの祭祠なり。綿津見神は海上諸事を司る守護神なり。高神・闇神は降雨を司る雨神なり〉などと説明しています。

 小烏神社の伝説によると、昔、祭礼で御神饌(御飯)をお供えしたところ、一羽の白いカラスが舞い降りて啄ばんだ。氏子たちは、神の使いの白いカラスがお供えを食べたものと崇め、以後は拝殿東側の楠の下に神飯をお供えした。昔は八龍様とか八大竜王と呼んでいた神社名を、明治25年(1892年)に小烏神社と改称したという。

 白いカラスは、野鳥やウサギ、ヘビなどに見られるメラニンの欠乏による体毛が白化した個体(アルビノ)と思われます。劣性遺伝や突然変異でまれに現われ、自然界での生存が珍しく、しばしば神聖視されます。大化6年(650年)、白いキジが穴戸(長門)の国司から朝廷に献上されたことから、吉祥(きっしょう)として白雉と改元した故事は有名です。


写真③:「小烏神社」拝殿
     =福津市中央6丁目で、2月3日午後0時09分撮影

 拝殿左手には「小烏神社年間行事」の表示板も掲げてあり、〈一月一日 元旦祭り 四月十五日 春祭り 五月二十七日 夏祭り 八月二十八日 風止め 十二月二日 大祭り〉と書かれています。

小烏神社
     福津市・「小烏神社」位置図
       (ピンが立っている所)
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