吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2006年12月14日/〈今月・来月の行楽・催事案内〉012

2006-12-14 13:17:40 | 行楽催事
〈12月・07年1月の行楽・催事案内〉追加2:新泉岳寺で「義士祭」開く

●写真①:四十七士討ち入りの日に当たる12月14日、万松山新泉岳寺で催された「義士祭」
      =福津市津屋崎天神町で、2006年12月12日午前11時32分撮影

 きょう12月14日は、旧暦の元禄15年(1702年)に大石内蔵助ら赤穂浪士が吉良上野介の屋敷に討ち入った日。福津市津屋崎天神町の万松山新泉岳寺境内では、約300年前の赤穂浪士討ち入りの義挙をたたえる「義士祭」が催され、約70人が参列しました。

 新泉岳寺は、津屋崎の観光開発を手がけた実業家、児玉恒次郎氏が桃中軒雲右衛門の義士を扱った浪曲に感動し、四十七士を祭っている東京・高輪の泉岳寺の寺号と墓砂を分霊として譲り受けて、大正2年(1913年)に建立しました。

 以前の「義士祭」は、地元の郷土史家らで組織した「四十七士をしのぶ会(古野卯平会長)」が昭和50年(1975年)から主催し、記念塔前で、羽織に鉢巻姿の討ち入り装束の会員と市民らが参加しての法要や、仏教婦人会、吟詠グループによるご詠歌や詩吟を披露。このあと、同会から墓参者に義士が討ち入り前に食べたという〝討ち入りそば〟約千杯や、縁起ものの目刺しが振る舞われていましたが、会結成10年を経た昭和60年(1985年)、会員の高齢化や、「地域の人たちへの義士の心の理解も深まった」として会を解散。翌61年以降の法要は、児玉家にバトンタッチされています。


写真②:四十七士の墓前で披露された剣舞
     =新泉岳寺で、06年12月14日午前11時50分撮影

 この日の義士祭は、曇り空の下、午前11時から四十七士の各墓に線香が立てられた境内で法要が行われ、吉原泰祐・海心寺(福津市宮司)住職らが記念塔前で読経し、参列者が次々と焼香しました。児玉家を代表して京塚萬次郎さん(同市津屋崎)が「皆様のご協力で、義士祭を毎年続けていきたい」と挨拶。このあと、「刃傷松の廊下」などの詩吟や剣舞=写真②=が披露され、正午から境内に張られたテントの席で、参列者に〝討ち入りそば〟が振る舞われました=写真③=。


写真③:境内に張られたテントの席で、参列者に振る舞われた〝討ち入りそば〟
     =新泉岳寺で、06年12月14日午後0時11分撮影
 

万松山新泉岳寺(福岡県福津市津屋崎天神町):◆交通アクセス=〔電車・バスで〕西鉄宮地岳線津屋崎駅下車、徒歩5分。JR鹿児島本線福間駅下車、西鉄バス津屋崎橋行きに乗って「津屋崎駅前」で下車し、徒歩5分〔車で〕九州自動車道古賀インターから約25分。

福津市・「新泉岳寺」位置図
福津市津屋崎天神町の「新泉岳寺」位置図
       (ピンが立っている所)
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