〈12月・07年1月の行楽・催事案内〉追加2:新泉岳寺で「義士祭」開く
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/b4/15827b8e1828a01b3d7b355d8e12a9e5.jpg)
●写真①:四十七士討ち入りの日に当たる12月14日、万松山新泉岳寺で催された「義士祭」
=福津市津屋崎天神町で、2006年12月12日午前11時32分撮影
きょう12月14日は、旧暦の元禄15年(1702年)に大石内蔵助ら赤穂浪士が吉良上野介の屋敷に討ち入った日。福津市津屋崎天神町の万松山新泉岳寺境内では、約300年前の赤穂浪士討ち入りの義挙をたたえる「義士祭」が催され、約70人が参列しました。
新泉岳寺は、津屋崎の観光開発を手がけた実業家、児玉恒次郎氏が桃中軒雲右衛門の義士を扱った浪曲に感動し、四十七士を祭っている東京・高輪の泉岳寺の寺号と墓砂を分霊として譲り受けて、大正2年(1913年)に建立しました。
以前の「義士祭」は、地元の郷土史家らで組織した「四十七士をしのぶ会(古野卯平会長)」が昭和50年(1975年)から主催し、記念塔前で、羽織に鉢巻姿の討ち入り装束の会員と市民らが参加しての法要や、仏教婦人会、吟詠グループによるご詠歌や詩吟を披露。このあと、同会から墓参者に義士が討ち入り前に食べたという〝討ち入りそば〟約千杯や、縁起ものの目刺しが振る舞われていましたが、会結成10年を経た昭和60年(1985年)、会員の高齢化や、「地域の人たちへの義士の心の理解も深まった」として会を解散。翌61年以降の法要は、児玉家にバトンタッチされています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/00/59b21c486d7412f2c317818355b3f72e.jpg)
写真②:四十七士の墓前で披露された剣舞
=新泉岳寺で、06年12月14日午前11時50分撮影
この日の義士祭は、曇り空の下、午前11時から四十七士の各墓に線香が立てられた境内で法要が行われ、吉原泰祐・海心寺(福津市宮司)住職らが記念塔前で読経し、参列者が次々と焼香しました。児玉家を代表して京塚萬次郎さん(同市津屋崎)が「皆様のご協力で、義士祭を毎年続けていきたい」と挨拶。このあと、「刃傷松の廊下」などの詩吟や剣舞=写真②=が披露され、正午から境内に張られたテントの席で、参列者に〝討ち入りそば〟が振る舞われました=写真③=。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/d9/0019145b2ec151778ab19dab5d669424.jpg)
写真③:境内に張られたテントの席で、参列者に振る舞われた〝討ち入りそば〟
=新泉岳寺で、06年12月14日午後0時11分撮影
万松山新泉岳寺(福岡県福津市津屋崎天神町):◆交通アクセス=〔電車・バスで〕西鉄宮地岳線津屋崎駅下車、徒歩5分。JR鹿児島本線福間駅下車、西鉄バス津屋崎橋行きに乗って「津屋崎駅前」で下車し、徒歩5分〔車で〕九州自動車道古賀インターから約25分。
![福津市・「新泉岳寺」位置図](http://chizumado.jp/RasterMap?position_id=402457)
福津市津屋崎天神町の「新泉岳寺」位置図
(ピンが立っている所)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/b4/15827b8e1828a01b3d7b355d8e12a9e5.jpg)
●写真①:四十七士討ち入りの日に当たる12月14日、万松山新泉岳寺で催された「義士祭」
=福津市津屋崎天神町で、2006年12月12日午前11時32分撮影
きょう12月14日は、旧暦の元禄15年(1702年)に大石内蔵助ら赤穂浪士が吉良上野介の屋敷に討ち入った日。福津市津屋崎天神町の万松山新泉岳寺境内では、約300年前の赤穂浪士討ち入りの義挙をたたえる「義士祭」が催され、約70人が参列しました。
新泉岳寺は、津屋崎の観光開発を手がけた実業家、児玉恒次郎氏が桃中軒雲右衛門の義士を扱った浪曲に感動し、四十七士を祭っている東京・高輪の泉岳寺の寺号と墓砂を分霊として譲り受けて、大正2年(1913年)に建立しました。
以前の「義士祭」は、地元の郷土史家らで組織した「四十七士をしのぶ会(古野卯平会長)」が昭和50年(1975年)から主催し、記念塔前で、羽織に鉢巻姿の討ち入り装束の会員と市民らが参加しての法要や、仏教婦人会、吟詠グループによるご詠歌や詩吟を披露。このあと、同会から墓参者に義士が討ち入り前に食べたという〝討ち入りそば〟約千杯や、縁起ものの目刺しが振る舞われていましたが、会結成10年を経た昭和60年(1985年)、会員の高齢化や、「地域の人たちへの義士の心の理解も深まった」として会を解散。翌61年以降の法要は、児玉家にバトンタッチされています。
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写真②:四十七士の墓前で披露された剣舞
=新泉岳寺で、06年12月14日午前11時50分撮影
この日の義士祭は、曇り空の下、午前11時から四十七士の各墓に線香が立てられた境内で法要が行われ、吉原泰祐・海心寺(福津市宮司)住職らが記念塔前で読経し、参列者が次々と焼香しました。児玉家を代表して京塚萬次郎さん(同市津屋崎)が「皆様のご協力で、義士祭を毎年続けていきたい」と挨拶。このあと、「刃傷松の廊下」などの詩吟や剣舞=写真②=が披露され、正午から境内に張られたテントの席で、参列者に〝討ち入りそば〟が振る舞われました=写真③=。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/d9/0019145b2ec151778ab19dab5d669424.jpg)
写真③:境内に張られたテントの席で、参列者に振る舞われた〝討ち入りそば〟
=新泉岳寺で、06年12月14日午後0時11分撮影
万松山新泉岳寺(福岡県福津市津屋崎天神町):◆交通アクセス=〔電車・バスで〕西鉄宮地岳線津屋崎駅下車、徒歩5分。JR鹿児島本線福間駅下車、西鉄バス津屋崎橋行きに乗って「津屋崎駅前」で下車し、徒歩5分〔車で〕九州自動車道古賀インターから約25分。
福津市津屋崎天神町の「新泉岳寺」位置図
(ピンが立っている所)