写真①:伊藤伝右衛門寄贈の石鳥居「二の鳥居」
=太宰府市の「太宰府天満宮」門前町馬場参道で、2013年3月2日午前11時10分撮影
3月2日に太宰府市の九州国立博物館で開かれた第7回福岡県景観大会「風景にきづく 景観をきずく~ともに」に参加、「太宰府天満宮」参道を散策したリポートを、〈福岡・町歩き〉・「太宰府天満宮」参道探訪シリーズとしてきょう3月7日から掲載します。本来なら〈太宰府・町歩き〉のカテゴリーで掲載したいところですが、カテゴリーが限度数の30に達しているため、〈福岡・町歩き〉のカテゴリーに収容しました。
〈福岡・町歩き〉・「太宰府天満宮」参道探訪 1
:伊藤伝右衛門寄贈の石鳥居
第7回福岡県景観大会は、県美しいまちづくり協議会と同県の主催。私が所属している「津屋崎千軒 海とまちなみの会」も同協議会に加盟しているため大会に参加し、いい風景を見つける「まちづくりワークショップ体験」で「太宰府天満宮」門前町参道を歩きました。
一番の収穫は、〝筑豊の炭鉱王〟・伊藤傳(伝)右衛門(1860-1947)が明治45年(1912年)に寄贈した「太宰府天満宮」門前町馬場参道の「二の鳥居」=写真①=を撮影できたことです。この石柱に「伊藤傳右衛門」の名と「筑前津屋崎町 石工花田市助」の名が刻まれています=写真②=。
写真②:石鳥居に刻まれた「伊藤傳右衛門」と「筑前津屋崎町 石工花田市助」の名
=「太宰府天満宮」門前町馬場参道で、3月2日午前11時10分撮影
反対側の石柱には、寄贈年月日の「明治四十五年六月吉日」=写真③=と刻まれていました。
写真③:石鳥居石柱に刻まれた「明治四十五年六月吉日」の寄贈年月日
=「太宰府天満宮」門前町馬場参道で、2日午前11時10分撮影
花田市助は福津市渡(わたり)の石工で、同市宮司元町にある商売繁盛の神様・「宮地嶽神社」門前町参道の石段上り口に建つ「伊藤傳右衛門」の明治三十九年(1906年)寄贈の石鳥居も彫刻しています。
渡地区は字蛭子ノ元から京泊に至る海岸に採石できる「渡石」(水成岩)があったことから、明治以前から石屋があり、昭和元年から10年ごろには約20軒の石屋で親方や職人の石工を含め約50人が鳥居や石塔などを彫刻していました。渡の石工が彫刻した「伊藤傳右衛門」寄贈の石鳥居が、学問の神様・「太宰府天満宮」の門前町馬場参道と「宮地嶽神社」門前町参道の石段上り口に建てられていることは、津屋崎の石工、石屋さんにとって誇りです。
私は韓国に住んでいる安仁哲とします。
去る10月22日、観光客に大宰府天満宮に行きました。
出てきた石柱に伊藤传右卫门と刻まれたことを見ました。
グーグルを使って検索した中、先生のブログを見るなり、
先生が撮った写真も見ました。
私の先生にお聞きしたいのは、伊藤传右卫门この人の名前であることが石柱お名前なのか知りたい。
私が日本語がわからなくて、先生のブログの記事を、Googleの翻訳を使用しておよそたところ知ら主審
私の電子メールはaicun@hanmail.netです。
伊藤傳右衛門と刻まれているのは、この石柱(これは神社の神域を示す門で「鳥居」というものです)を寄贈した福岡県飯塚市の炭鉱経営者の氏名です。
「鳥居」を支えるもう一つの石柱に、寄贈した年月日が明治四十五年((1912年)六月と刻まれています。