吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2013年10月4日/〈日記〉530・〈倉敷・町歩き〉5:全国町並みゼミ第4分科会

2013-10-04 05:00:21 | 日記

 

写真①:旧柚木家住宅・「西爽亭」(国登録有形文化財)

     =岡山県倉敷市玉島3丁目で、2013年9月21日午前11時45分撮影

 〈倉敷・町歩きスポット〉5

 :全国町並みゼミ第4分科会

  倉敷市玉島の町歩きは9月21日昼前、「第36回全国町並みゼミ倉敷大会」(主催・同大会実行委員会、特定非営利活動法人全国町並み保存連盟)第4分科会会場の「西爽亭(さいそうてい)」=写真①=到着で終わりました。

  「西爽亭」は、江戸時代中期・天明年間(1781~1789年)の建築とされ、備中松山藩主に諸役として仕えた玉島の庄屋、旧柚木家の住宅で、国登録有形文化財です。藩主が玉島領内にお成りの際、宿泊される屋敷でもあり、薬医門=写真②=のある風格ある造りです。

 

写真②:藩主お成りの時にだけ利用される薬医門

  幕末の慶応4年(1868年)、鳥羽伏見の戦いで幕府方が敗戦し、大阪城で護衛の任にあった藩老熊田恰(くまた・あたか=通称)矩芳(のりよし=名)が帰藩しようと、隊士150余名を率いて海路玉島港に上陸したが、備前藩軍兵に包囲されます。熊田恰は、部下の助命と藩の安泰、戦火の回避を嘆願して「西爽亭」で切腹、玉島は戦火を免れました。玉島文化協会が「西爽亭」前に掲示した同邸の解説板=写真③=には「本邸は玉島人にとって忘れ難い維新史の悲壮な一頁をそのまま残している」と記されています。

 

写真③:玉島文化協会が掲示している「西爽亭」(柚木亭)の解説板

  「第36回全町ゼミ倉敷大会」第4分科会は、「まちなみを活かし、暮らし続ける~歴史・くらし・ひとのつながり~」をテーマに、午後1時半から「西爽亭」1階で開催されました。「玉島分科会実行委員会」の赤沢雅弘・玉島商工会議所産業観光推進アドバイザーと、兵庫県たつの市の柏山泰訓・「嶋屋」友の会事務局長、同県豊岡市の福岡隆夫・「出石城下町を活かす会」事務局長のパネリスト3人が、活動事例を報告。

  このあと、藤本英子・京都市立芸術大学教授がコーディネーター、前野まさる・特定非営利活動法人全国町並み保存連盟理事長(東京芸大名誉教授)がアドバイザーとなり、第4分科会参加者約70人とのワークショップ、質疑応答を行いました。会場には、伊東香織倉敷市長(同大会実行委員会名誉実行委員長)=写真④=も駆け付け、歓迎と「お・も・て・な・し」の挨拶をされ、参加者の拍手を浴びました。福岡市生まれで東大法卒、総務省出身の若い女性市長の元気なエールに感心しました。

  

写真④:歓迎の挨拶をする伊東香織倉敷市長(左)

     =「西爽亭」で、9月21日午後4時25分撮影

  「第37回全国町並みゼミ鹿島・嬉野大会」は、2014年11月7日(金)から9日(日)まで佐賀県鹿島・嬉野両市を会場に開かれます。第4分科会参加者は、鹿島・嬉野大会での再会を約して解散しました。〝山陽の小浪華(こなにわ)〟と呼ばれ、岡山県西部を代表する港町・玉島での分科会に、〝博多の外港〟・津屋崎から参加し、町興しのヒントを得られた今回の倉敷大会は楽しく学べ、来年の佐賀大会も期待できそうです。

                                             (おわり)

コメント (2)
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