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吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2016年6月8日/〈日記〉576・TVQ番組告知テレビCM

2016-06-08 00:33:45 | 日記

写真①:沖ノ島の魅力を伝えるナビゲーターの竹中直人

     =TVQ九州放送の番組告知テレビCMから

 TVQ九州放送の特別番組が11日午後4時から放映

「世界遺産へ! 最後の秘境沖ノ島~日本を動かした謎の海人族~」

  TVQ九州放送で6月11日(土曜)午後4時から放送されるテレビ開局25周年記念の特別番組・「世界遺産へ! 最後の秘境沖ノ島~日本を動かした謎の海人族~」の番組告知CMが、テレビ画面で流れ始めました=写真①=。

 番組のナビゲーターを務める俳優の竹中直人が「宗像大社(沖津宮)に向かう道のりがたまらなかった」と語るシーンも。 詳しくは、TVQの番組サイトhttp://www.tvq.co.jp/special/2016okinoshima/をご覧ください。

 番組サイトによると、2017年の世界遺産登録を前に、宗像・沖ノ島の歴史や国宝、その魅力をお伝えしますという。また、〈直木賞作家・安部龍太郎氏の原作をもとに、知られざる宗像一族の存在、さらに番組では宗像一族が、貿易・外交面での日本の先駆者であったと推察し、再現影像やCG等を用いて、歴史のロマンをお届けします〉としています。

 番組視聴が楽しみです。

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2016年5月14日/〈日記〉575・「津屋崎塩田」跡に新たに発電所建設

2016-05-14 12:46:20 | 日記

 

写真①:「津屋崎塩田」跡に新たに建設される発電所工事(向こうに建つのは旧「旭製塩」の塩造りに使われた煙突)

     =福津市西竪川で、2016年5月14日撮影

 福津市・「津屋崎塩田」跡に新たにメガソーラー

九電工新エレルギー社の「太陽光発電所」建設

  福津市渡にある「津屋崎干潟」東に隣接した西竪川の旧「津屋崎塩田」跡地で、福岡市中央区清川3丁目にある九電工新エレルギー社(塩月輝雄代表取締役)の「津屋崎第一、第二太陽光発電所」の建設工事が始まっています=写真①=。

  「太陽光発電所」現場に掲示された「開発事業標識」や「土砂埋建て等に関する標識」=写真②=によると、開発事業の施工面積は西竪川2323番1、2316番にある61,905平方㍍。工事は、九電工福岡支店福岡北営業所(福津市西福間2丁目)が施工し、工事期間は平成29年3月31日まで。現在、西竪川2323番1の土地61,820平方㍍のうち44,762平方㍍を土砂埋め立て等を同28年9月30日までに行う工事が進んでいます。

 太陽光発電所」工事現場の向こうに、昭和20年代に操業していた旧「旭製塩」の塩造りに使われた煙突が建っており、広大な「津屋崎塩田」が製塩で活気づいていた当時の面影を伝える〝近代化遺産〟ともいえる遺構ですが、この煙突の敷地まで工事は及ぶのでしょうか。

 

写真②:建設工事現場入り口に掲示された土砂埋建て等に関する標識」看板

  この建設工事現場南東側のある西竪川の旧「津屋崎塩田」跡地には平成25年、三井松島産業(福岡市)の子会社・MMエナジー株式会社(同)が、約3万2千平方㍍の用地に総出力約2千㌔・㍗の太陽光パネル約8千5百枚を建設。また、「津屋崎干潟」奥の福津市渡池尻の用地約5万5千平方㍍にも同年、「百田興産」(福岡市)の太陽光パネル約8千枚(総出力約2千㌔・㍗)が建設されました。

 すでに周辺2か所にメガソーラーが建設された「津屋崎干潟」には、世界に約2千羽しかいないという環境省のレッドデータブックで「絶滅危惧ⅠA類」指定のクロツラヘラサギ(トキ科)10羽前後が毎冬、朝鮮半島から渡来。池尻のメガソーラー・パネル群の東に接した水路は、同干潟とともに福岡県鳥獣保護区に指定されています。これまで同水路は、冬の渡り鳥・クロツラヘラサギやヘラサギ(トキ科)、留鳥のカワセミ(カワセミ科)、バン(クイナ科)など野鳥の採餌や休息の楽園になっています。

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2016年5月6日/〈日記〉574・津屋崎行政センター開設

2016-05-06 14:41:44 | 日記

 

写真①:オープンした「津屋崎行政センター」

     =福津市津屋崎1丁目で、2016年5月6日午前9時55分撮影

福津市の「津屋崎行政センター」がオープン

津屋崎庁舎市民課市民総合サービス係業務を移転

  福津市は5月6日、津屋崎地区の行政拠点となる「津屋崎行政センター」=写真①=を開設、津屋崎庁舎1階の市民課市民総合サービス係の業務を移転しました。津屋崎庁舎と市文化会館(カメリアホール)との間にあった旧「健康センター」=写真②=を住民・医療・年金関係手続き、各種証明書の発行や、確定申告・期日前投票・健康相談業務などの業務を職員4人で行う「津屋崎行政センター」として整備したものです。

 

写真②:旧「健康センター」を整備、「津屋崎行政センター」(1階中央)に衣替えした建物の外観

  福津市は、福間庁舎(統合庁舎として増築工事中)へ統合する津屋崎庁舎(3階建て延べ約3,800平方㍍。昭和62年建築)について、「市民の生活拠点となり、賑わいを生む複合施設」へ再生整備する方針。市行政経営企画課によると、1階には世界遺産展示室、市内で出土した貴重な文化財を展示する特別展示室、歴史資料室、新聞・雑誌閲覧コーナー、特産品紹介スペース、カフェカウンターを設け、施設の顔として賑わいを創出。2階は、親子読書室や学習室、講義用にも使えるスクリーン付きの多目的室などを備えた図書館(蔵書数は、当初3万冊、その後5~6万冊)を配置します。3階は、民間業者の入居を想定した貸事務所や入居者用の会議室を備える計画です。

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2016年2月26日/〈日記〉573・記念碑移設

2016-02-26 11:36:28 | 日記

 

写真①:「西鉄宮地岳線電車延長記念碑」の移設作業

     =福津市津屋崎1丁目で、2016年2月24日午後1時10分撮影

「西鉄宮地岳線電車延長記念碑」を移設

南側の市有地へ建て替へ作業進む


 福津市津屋崎1丁目の西鉄宮地岳線津屋崎駅跡にある「西鉄宮地岳線電車延長記念碑」の移設作業が進められています=写真①=。

  旧津屋崎町時代の昭和26年(1951年)7月1日、西鉄宮地岳線が「宮地岳」(福津市宮司)から「津屋崎」まで1.5㌔、1駅路線延長されました。この日、路線延長を全町で祝う〝津屋崎どんたく〟が催され、津屋崎小1年生だった私も天神町どんたくパレード隊の〈紳士ダンス・チーム〉の一員としてラインダンスを披露した記憶があります。「電車延長記念碑」は駅西側の市有地に建てられました。

  旧西鉄宮地岳線(福岡市東区貝塚―津屋崎間、20.9㌔)の新宮(福岡県新宮町)―津屋崎駅間9.9㌔の廃線に伴い、「津屋崎駅」は、平成19年3月31日限りで廃止。跡地に「電車延長記念碑」だけが残っていました。このほど同市有地を民間に払い下げ、業者の費用負担で「電車延長記念碑」を南側の市有地へ建て替へることになったという。そばには、「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が2014年10月に市の許可を得て市有地境界の金網に設置した「津屋崎里歩きフットパス」の「旧西鉄宮地岳線津屋崎駅前」の標識もあります=写真②=。

 

写真②:金網に設置された「津屋崎里歩きフットパス」の「旧西鉄宮地岳線津屋崎駅前」の標識

     (金網の向こうに建つのが「西鉄宮地岳線電車延長記念碑」)

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2015年12月18日/〈日記〉572・山口墓参旅行リポート⑤

2015-12-18 04:50:44 | 日記

 

写真①:写真パネルでナベヅルの生活がわかりやすく理解できる資料展示室

     =山口県周南市大字八代の「鶴いこいの里交流センター」で、2015年12月11日午前11時5分撮影

 「八代のツル」探鳥

山口墓参旅行リポート⑤

 山口県光市室積での岳父の墓参旅行帰りの12月11日午前、同県東部の周南市大字八代(やしろ)にある特別天然記念物・ナベヅル(ツル科)の渡来地を訪ねました。烏帽子岳(標高697㍍)の山懐にある「八代盆地」(標高約320㍍))の田んぼに、毎年稲刈りが終わる10月下旬ごろナベヅルがシベリアから渡来します。体長約90~100㌢、翼開張約185㌢。体は灰黒色で、首から上が白く、目の周りが黒く、アイマスクをしているように見えます。水田の落ち穂や草の実、水草、ミミズ、昆虫、ドジョウ、小魚などを食べます。

  まずは飛来状況を得ようと、「鶴いこいの里交流センター」の資料展示室に立ち寄りました。写真パネルでナベヅルの生活が、わかりやすく説明されています。建物のそばにある掲示板には、「只今ツル4羽」の表示が出ていました。ここから約400㍍離れた場所が飛来地とあり、→で示された方向へ歩くと、道路わきに「特別天然記念物八代のツルおよびその渡来地見学者の皆さまへ」と題して「見学・撮影は野鶴監視所でお願いします」との注意書き看板がありました=写真②=。

  

写真②:「特別天然記念物八代のツルおよびその渡来地見学者の皆さまへ」の注意書き看板

  ナベヅルの日本の渡来地は、「八代盆地」と鹿児島県出水市荒崎だけ。八代地区では、村の掟としてツルを守り続け、明治20年には県へツル捕獲の禁止をお願いするなど地区住民がツルを大切に保護し、近代日本における自然保護制度発祥の地といわれているという。ナベヅルと同じ冬鳥のマナヅルは2007年12月17日朝、福津市津屋崎勝浦の田んぼに舞い降りた1羽を初めて確認、撮影したことがあります。随分前に、出水市荒崎の田んぼで観察して以来の撮影でした。

  「野鶴監視所」は平屋の建物で、見学者は室内から窓ガラス越しに双眼鏡で観察できるようになっています=写真③=。

 

 写真③:室内から窓ガラス越しに双眼鏡で観察できる「野鶴監視所」

  窓ガラスのそばに望遠レンズで実況撮影の動画映像がディスプレイに映写=写真④=されており、観覧すると田んぼの稲小積の間にナベヅル4羽の姿が確認できました。

 

写真④:望遠レンズで動画撮影した稲小積の間のナベヅルたち

  「野鶴監視所」の隅にナベヅルの剥製が、展示されています=写真⑤=。

  

写真⑤:「野鶴監視所」の隅に展示されているナベヅルの剥製

  農道の先の田んぼにあるナベヅルの渡来地は、見学者が近寄れないよう進入口の道路にロープを張って隔離されています=写真⑥=。出水市荒崎に渡来するツル類はナベヅル、マナヅル、カナダヅルなど計1万2千羽を超えており、今季わずか5羽が渡来、うち1羽が11月26日に渡去し、現在渡来数4羽となっている八代のツルをなんとしても保護したいという八代地区の人たちの熱い想いが伝わってきました。

  

写真⑥:進入口の道路にロープが張られた農道の先の田んぼにあるナベヅルの渡来地

 

                       (「山口墓参旅行リポート」終わり)

 

追記

 

 山口墓参旅行リポート④の「室積(むろづみ)塩田」で触れた光市室積にある「光ふるさと郷土館」 別館・「礒部本家(いそべほんけ)旧宅」や、「光ふるさと郷土館」については、12月19日から〈光市・町歩き〉シリーズの4で掲載します。

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2015年12月17日/〈日記〉571・山口墓参旅行リポート④

2015-12-17 03:26:38 | 日記

 

写真①:明治末から大正のはじめに撮影されたといわれる「室積塩田」の写真

       =山口県光市室積の「礒部本家旧宅」で、2015年12月11日午前10時撮影

「室積塩田」のこと

山口墓参旅行リポート④

  山口県防府市の「三田尻(みたじり)塩田記念産業公園」の見学後、マイカーを走らせ、同県光市にある義父の菩提寺へ12月10日午後、到着。墓参を済ませ、市内の温泉宿・「かんぽの宿光」に泊まり、翌11日午前、江戸時代に瀬戸内海有数の港町として栄えた同市室積(むろづみ)にある「光ふるさと郷土館」 別館・「礒部本家(いそべほんけ)旧宅」を見学し、かつて同市唯一の「室積塩田」なるものがあったことを知りました。

  礒部本家は、江戸時代から明治まで「磯屋(いそや)」の屋号で廻船問屋や金融業などを営み、広大な田畑や塩田を持つ大地主で、室積の繁栄を支えた豪商。その旧宅に明治末から大正のはじめに撮影されたといわれる「室積塩田」の写真が額に入れて展示してありました=写真①=。

    「室積塩田」は、江戸時代半ばに長州藩が室積の繁栄のため造られ、後に礒部本家の所有となり、5町3反歩の面積があったという。場所は、現在の「フイッシングパーク光」の東側=写真②=で、戦後、光市に寄贈され、室積小学校や住宅団地が建てられました。

  

写真②:室町時代から山陽海路の要衝として栄えた室積の瀬戸内海の眺望。「室積塩田」は、中央奥に見える瀬戸内海の浜辺にあった。

     =山口県光市室積の「かんぽの宿光」5階客室から、12月11日午前7時50分撮影

   江戸時代、防府の「三田尻塩田」では塩業者201軒、塩の生産は36万石に達し、防長両国(周防・長門)での生産の半ばを占め、長門、周防、播磨、讃岐などにあった「瀬戸内十州塩田」でも「播州赤穂」に次ぐ国内第二位の大製塩地でした。三田尻の塩は、北前船で主に山陰、北陸、東北地方に積み出され、東北地方では塩のことを「みたじり」と呼んでいたという。

   「三田尻塩田記念産業公園」で、江戸時代に福岡藩が藩直営で開いた福津市の「津屋崎塩田」と同じ入浜式で海水を塩田に導入しての製塩工程が学べ、讃岐から津屋崎に移住して福岡藩から「塩庄屋」に任命された大社元七が「瀬戸内十州塩田」の讃岐の製塩法を津屋崎に伝えたことが理解でき、大いに参考になりました。

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570・山口墓参旅行リポート③

2015-12-16 09:23:25 | 日記

 

写真①:「沼井台」に塩がついた砂を入れる作業姿の人形

       =山口県防府市大字浜方字鶴浜の「防府市三田尻塩田記念産業公園」で、2015年12月10日午前11時50分撮影

 「三田尻塩田記念産業公園」の「塩田の地場」

山口墓参旅行リポート③


  山口県防府市の「三田尻(みたじり)塩田記念産業公園」の資料室の窓ガラス越しに、「塩田の地場」が見えます。「塩田の地場」は、海水の吸い上げを良くするため、砂粒の大きさが異なる4層からなっており、最下層から「海底の砂」「つけ砂」「張砂」「持砂」と呼ぶという。

  「三田尻塩田」では、塩田は浜溝で5区画に分かれ、1区の広さは長さ約216㍍、幅約13.5㍍で、中央に18台の「沼井(ぬい)」が置かれていました。「沼井」は塩がついた砂を沼井台の中に入れ、海水や藻だれを汲み掛けて濃い塩水の「鹹水(かんすい)」を採る装置です。「防府市三田尻塩田記念産業公園」では、「沼井台」に塩がついた砂を入れる作業姿の人形が、「鹹水」作りの工程を分かりやすく示しています=写真①=。

  「塩田の地場」の向こうには、国登録有形文化財の「釜屋の煙突」=写真②=が建っています。高さ12.5㍍、頂上部周囲4.2㍍、内径43㌢の石づくり煙突。「鹹水」を塩釜で長時間、高温で煮詰めるため、大きな煙突が必要だったという。

 

写真②:国登録有形文化財の「釜屋の煙突」

  「塩田の地場」の周囲に築かれた入川(いりかわ)に架けられた石橋は、塩や石炭を積んだ上荷船(うわにぶね)が満潮時でも通れるよう高い橋桁になっています=写真③=。

  

写真③:上荷船が満潮時でも通れるよう高い橋桁になっている石橋

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2015年12月13日/〈日記〉569・山口墓参旅行リポート②

2015-12-13 08:38:19 | 日記

 

写真①:多くのパネルが展示されている「防府市三田尻塩田記念産業公園」の資料室

       =山口県防府市大字浜方字鶴浜で、2015年12月10日午前11時45分撮影

 「三田尻塩田記念産業公園」でお土産の塩ゲット

山口墓参旅行リポート②


 山口県防府市大字浜方字鶴浜にある「三田尻(みたじり)塩田記念産業公園」の資料室には、「世界の塩・日本の塩」から「三田尻塩田のうつりかわり」、製塩の工程の採鹹(さいかん)、「煎熬(せんごう)」などを解説した多くのパネルが展示してあります=写真①=。

  このうち「塩浜」のパネルでは、塩を海水から取りだす2つの作業として、①海水から濃い塩水(鹹=かん=水)を作る作業を「採鹹」という②次にその塩水を煮詰めて塩の結晶を作る作業を「煎熬」という、と分かりやすく説明。塩作りに使う浜を「塩浜」といい、その地形を利用して「入浜(いりはま)」と「揚浜(あげはま)」という2つの形態に発展し、「入浜」は雨が少なく温暖な気候の場所で、広い干潟を持ち、干満の差が大きな浜辺で発展したとしています。

 このパネルのそばには、入浜方式の塩作りを今に伝える「三田尻塩田記念産業公園」で釜焚きして作ったお土産用の塩の結晶をルーペで見られる展示=写真②=もありました。

  

写真②:「三田尻塩田記念産業公園」で作った塩の結晶をルーペで見られる展示

  「三田尻塩田記念産業公園」事務室で入場料を払った際、このお土産用の塩1袋=写真③=をもらいました。袋には「防長の三白」の一つとして郷土をささえた「三田尻塩」と書かれてあり、気の利いたお土産ですね。

 

写真③:お土産にもらった「三田尻塩」1袋

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2015年12月12日/〈日記〉568・山口墓参旅行

2015-12-12 20:17:54 | 日記

 

写真①:塩田の地場で働く作業員人形と釜屋の煙突(右側奥)

      =山口県防府市大字浜方字鶴浜381-3の「防府市三田尻塩田記念産業公園」で、2015年12月10日午前11時45分撮影

 「防府市三田尻塩田記念産業公園」を見学

山口墓参旅行リポート①


 山口県光市にある義父の墓参のため、福岡県福津市津屋崎の自宅からマイカードライブで12月10日、11日と長州路を旅行し、帰宅しました。きょう12日から、山口の歴史を伝える産業観光スポットの様子を紹介します。

  10日に立ち寄ったのが、防府市大字浜方字鶴浜にある「三田尻(みたじり)塩田記念産業公園」=写真①=です。長州藩主毛利氏が、江戸時代から新田開発で進めた広大な干拓地の先の古浜・中浜・鶴浜・大浜の四ケ所浜に、江泊、西浦を含めて入浜式製塩法による広さ約350㌶の「三田尻塩田」(六ケ所浜)を築き、以来約260年間、地域の主要産業として栄えた「三田尻塩田」の姿を後世に残そうと、市が鶴浜塩田の跡地約8,540平方㍍を整備して「入浜式塩田」の施設を復元して平成4年オープン。

  「三田尻塩田記念産業公園」入り口には、米、紙とともに「防長の三白」として藩の重要な産業だった塩が、山陰、北陸、北海道に移出され、三田尻塩の名が全国に知られるようになり、明治以後も三田尻の製塩業が栄えたものの、時代の変化で塩の造り方やその用途が変化し、昭和34年に廃止されるまでの歴史を紹介した解説板=写真②=が掲示されています

  

写真②:入り口に掲示された案内解説板

     =「三田尻塩田記念産業公園」で、10日撮影

  「三田尻塩田記念産業公園」入り口の事務室で入場料3百円を払い、通路中央に巨大なポーランド産の岩塩=写真③=が展示されているのに目をひかれながら奥の資料室へ。福津市で江戸時代、福岡藩が直営で開発した「津屋崎塩田」では、海水を煮詰めて塩を作るための燃料に初めて石炭を使い、その後に瀬戸内の塩田に伝わっており、「三田尻塩田記念産業公園」はぜひとも訪ねたい場所でした。

  

写真③:事務室の通路中央に展示された巨大なポーランド産の岩塩

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2015年10月23日/〈日記〉567・「絶景の道100選」認定証

2015-10-23 13:35:53 | 日記

 

写真①:「津屋崎千軒 海とまちなみの会」に届いた『絶景の道100選』認定証

     =福津市の本会事務局で、2015年10月23日午前11時撮影

 

 「津屋崎里歩きフットパス」の『絶景の道100選』認定証届

アウトドアツーリズムとして活性化推進へ期待

  「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が開設した「津屋崎里歩きフットパス」を候補として応募していた「絶景の道100選」について、「新日本歩く道紀行100選選考委員会」(名誉顧問・石原信雄一般財団法人地方自治研究機構会長、事務局東京)から10月23日、同フットパスの道を選考の結果、『絶景の道100選』に認定したとの認定証=写真①=が本会事務局に届きました。福岡県内ではただ1か所の『絶景の道100選』認定で、全国の「フットパス」でも認定されたのは初めてだけに、私たち会員仲間では喜んでおります。

 認定証は、津屋崎千軒 海とまちなみの会殿あてで、「新日本歩く道紀行100選シリーズ 歩いておきたい道遺産1000」の文字と杖を手に歩く人のイラスト入りの統一ロゴマークが印刷されたA4用紙に「津屋崎里歩きフットパス」=写真②=新日本歩く道紀行100選、絶景の道に認定いたします、と明記。その下に「平成27年9月30日 新日本歩く道紀行100選選考委員会」と記入したうえ、同委員会の石原名誉顧問と下光輝一選考委員長(公益財団法人健康・体力づくり事業財団理事長)の名前と公印が印刷されています。

 

写真②:「津屋崎里歩きフットパス」マップ

  認定証に同封された「新日本歩く道紀行100選選考委員会」の文書では、「選考委員会による厳選な審査の結果、審査をクリアされたことをご報告申し上げ、認定証をご送付申し上げます」とし、今後は選考委員会から運営委員会へ移行し、100選シリーズをアウトドアツーリズムとして活性化させていきたく存じます、としています。

 ツーリズムウオークの企画、運営を推進

地域の観光と物産販売、歩く人の健康促進へ

 運営委員会では、今後のアウトドアツーリズムの推進のため、①地域の観光促進②地域における商工物産の販売促進③歩く人の健康促進の三つのテーマで、健康参画企業である日本旅行、アクティブウオーク&スポーツ、アイケイの3社を中心に、ツーリズムウオークの企画、運営を推進。「アウトドアツーリズム倶楽部」として会員制『歩きんぐくらぶ』を運営、5年間で30万人の会員獲得を目指し、日本旅行を窓口にシーズン毎のツーリズムウオークや、フットパスの企画を広く一般公募し、WEBサイト『歩きんぐくらぶ』で地域の物産品や商品を案内、購入できるシステムを構築、「Welcome walkers Station」を構築して歩数や踏破認定数をカウントするとともに、年間とトータルの踏破ポイントを算定してポイントインセンティブを提供するシステムを構築するという。

 「津屋崎里歩きフットパス」は、「海とまちなみの会」が、福津市制施行10周年記念事業として平成26年度市住みよいまちづくり推進企画活動補助金を受け、市都市計画課と共働で同年7月に開設した市内初のフットパスです。夕陽が沈む方向と時刻、水平線の島々が描かれたパノラマ風景が分かる「夕陽風景時計」(考案設計者・緒方義幸会員)を設置した同市宮地浜の同時計前を発着点として、浜山の松原を経て「宮地嶽神社」を回遊(歩程6.8km、所要時間2時間30分)、四季折々の景色の移ろいを楽しめます。

 

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