とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

『憂いの阿修羅 天平の謎を追う』後半を確認

2009-05-18 21:06:37 | 呟き
一週間前、ビデオに撮り損ねたBS放送の『憂いの阿修羅 天平の謎を追う』の後半部分をあらためて見た。また、DVDにもしっかりダビングできた。

興福寺の阿修羅像は戦いの神でありながら、何故人間の少年のような表情をしているのかテレビではその訳を説いていた。顔学の先生の観察によると、阿修羅の三つの顔をそれぞれ分析すると、まず左の顔が「悔しい、反抗する」といった表情が読み取れるらしい。次に、右の顔が「苦悩の中にある」という表情だ。そして、中央の顔は「悲しそうでもあり、怒っているようにも見える」という複雑な表情になるそうだ。また、三つの顔は一人の少年が大人になる様を順序だてて表してもいる。順番は左→右→中央である。反抗している少年時代から青年期には苦悩を味わい、複雑な感情を抱く大人へと成長していることも表しているという。こんな解説を聞くとなるほどと感心する。この阿修羅像は、懺悔の仏像でもあるという。

阿修羅像は、「くーかいさん」が語るように光明皇后が作らせたものである。光明皇后は「金光明最勝王経」という国家鎮護の経典として奈良時代から重んじられた経巻を信奉していたらしい。この壮大な物語(神々や弟子たちが仏の境地に至るまでのを描いている)に登場する神々や人を、仏像にして興福寺の西金堂に納めたという。現在、西金堂は江戸時代に消失して実存してないそうだが、当時はお釈迦様を中心として周りには八部衆、十大弟子など数多くの仏像が置かれていたそうである。阿修羅は八部衆の一人であり一際目立つ仏像である。他の八部衆、十大弟子とも苦悩の表情を浮かべている。これらの仏像が造られた背景を知って一通り見ると面白いことだろう。

今、国立博物館では阿修羅像以外にも十大弟子像、八部衆像が展示されているとのことで、国宝となるこれらの仏像をよく見ると、いろんな悟りを得ることができるかもしれない(十大弟子像、八部衆像の一部は既に展示終了している)。

【国宝 十大弟子像】
釈迦の十人の主だった弟子の像。若年、壮年、老年の相を、顔の鮫、眼や口の形状などによって表現している。そこには白信や強い意思、落ち着きや、悟りといったそれぞれの経歴に由来する内面性がみごとに表されている。

【国宝 八部衆像】
八部衆は仏の眷属(けんぞく)として取り入れられたインドの神々で、6本の腕や鳥の顔といった異形の姿で表される。これらの像は、異形の中に少年の姿をかさね、清純な表現をつくりだしている。憂いや、瞑想、凝視など目の表現がすばらしい。