あなたがこの世界に生まれる前はどうだったろうか?
「生まれる前?、そんなのあるわけないじゃ無いか!」・・とそう思う人が多いだろう。
生まれていないし、存在などしてしてないじゃないか・・それが常識と思っているだろう。
その常識とは・・・、
生まれて初めて、わたしという今がある。
それまではわたしは存在していなかった。
従って、死んだら存在しないことになってしまう・・と考える。
あなたは偶然にも生まれて、爺さんや婆さん、他の人がそうであるように、あなたもやがて確実に死んで終わりとなる。
それが事実だと・・人生でそう観察しつつ、そう思っているだろう。
そして恐れている、
恐れているからこそ、それを避けようと生き残りに夢中になる。
でもこれらは・・すべて「そう・・考える」ことなのだ!
言わば思考・観念ということだ。
・・
ここで大勢の誰かは言うはずだ。・・
生まれること、死ぬことが・・「考えること」だって・・?、
だってみんな赤ん坊で生まれて、年を取って死んでゆくじゃないか!
爺さんや婆さん、他の人がそうだったように、あなたもやがて確実に死んで終わりとなるじゃないか・・。
それは考えることなんかではなくて事実だ、それは現実なんだよ!
と言うかもしれない。
・・・
あなたはどう思う?
でも、それはあなたや人々の「肉体」の観察結果なのである。
あなたや他人様が=肉体(物質)・・ならばその通りである。
ならば、あなたは肉体(物質)であって、形に現れたら消えてゆく定めにある。
この三(四)次元世界では物質については多く習っているため、
物質とは顕現・消滅・変化するものであることは既に知っているからだ。
あなたは物質・肉体である・・という前提・思考・信念があるからこそ、
あなたは生まれる前には存在せず、死んだ後にも存在しない・・
たまたま偶然生まれて、結局は死んで終わりである・・という、
そういう ”信念” になっているということなのだ。
そして、そうした低い強い信念が悠久の魂の記憶さえ遮るのだ。
そして、この三(四)次元世界の多くの住人がそう信じているからこそ、
そのその他大勢の常識、同調圧力によって力を得ながら、その信念体系の中にとどまっているという事なのである。
町中を行き交う人に聞いてみれば良い、
あなたの親兄弟・友人に問うてみれば良い、
もっとも常識的と言われる人たちは尚更に・・
わたしは生まれる前には存在せず、死んだ後にも存在しない・・
たまたま偶然生まれて、結局は死んで終わりだである・・という、
漠然としながらそうも思い込んでいるはずである。
だってそれが現実じゃないの?・・・・・と、
そう思い込んでいるのである。
ただ、そう思い込んでいること・・
意識による投影像・・現実だと・・思い込んでいること、
それが・・幻想である。
繰り返すが・・世界・物質・形とは・・人(意識)が知覚しているからこその世界・物質・諸形態であり、
あなたが行為するための肉体も、あなた(意識)が知覚している対象物なのである。
従って、あなたは決して肉体そのものではない。
あなたは「意識」であることを悟ったならば、ことは容易に理解できるのである。
実のところ・・・ここが肝心かなめの峠なのだ。
簡単に言おう、
あなたは意識であるのか?
単なる肉体なのか?
これが旧次元である三(四)次元世界と、
次に来る五次元世界との、言わばボーダーラインなのである。
少なくとも此処までくれば、彼岸の世界への解脱が起きる。
まず意識上の進化・解脱が起きる、
というより、
真に気づく・・ことが覚り・・なのだ。
全宇宙を顕現しているのが宇宙の意識であり、
人間を顕現しているのもその意識であると知り、
あなたが意識である・・と自覚するならば、
物質が中心の、狭く重い時空間に縛られた存在形式から解脱し、
3次元的物質肉体現象の生と死など超えて、
さらに大きな次元生活へと進むことになる。
幻想とは・・想いで創り上げる・・まぼろし、
それを現実だと・・信じ込む・・信念が・・
それにふさわしい・・まぼろしを創るのである。
疑いもしない・・まぼろし・・・実に深淵ではないか。
あなたは今まで、この次元世界で一体何を信じ込んで、信じ込まされてきたのだろう?
いまはもう、ある意味で過酷で苦渋に満ちた、その夢まぼろしの世界も、短いその終幕劇のさなかにある。
もう本当に、・・・
今までのような、苦痛や悩みに満ちた低い次元の幻(まぼろし)から覚めたらどうだろうか?
あなたの本質は・・朽ち果てる肉体なのか?
それに気付き・知覚し、表現をするところの「意識」なのか?
頭の知識を憶えて情報量を増やすのでなく
・・意識で感じる・・実感すること、
今在る・・自分自身により深く気づいていく・・意識的努力が必要なのだ。
その意識の深みや広がりの結果によって、
真の知識や情報や経験が必然とやってくることになる。