あなたは「魂」という言葉を当然知っているだろう。
魂を入れるとか、魂のこもったとかいう風に、
芸術品やその他何かを、丹精込めて仕上げるという意味にも使われている。
この場合は、何かに対して真摯に ”意識を込める、集中する” ・・ということである。
しかしながら、本質の意味では、人なら人の存在の・・・
不変的な、永遠不滅の本質について言っている。
魂というのは、
一時の賞味期限付きの肉体以外の、死とは関係ない生き通しの部分、
あなたにとって、もっとも本質的なことに関して言うのである。
そうではないか?
あなたは単なる肉体であって、死んだら終わりなのか?
魂はどこにある?
そんなのない?・・?
みんな自分が肉体だとそう思っているから?
TVで出たことないから?
大学の教授はそんなこと教えていないから?
もしそうであれば、あなたはこの社会、世界に騙されていると言えよう。
しかしながら、
あなたが自分は死んだら終わりの肉体存在であると信じているとしても、それはけっしてあなたのせいではない。
ここ、すなわち地球上の文明世界は、言わば「だましの宿」のようなもので、一時逗留すれば今までのすべてを忘れ去る「信念体系領域」だったのである。
信念体系領域とは、何かを信じて疑わない信念で固定された集合世界のことだ。
実に細かく現実的な装いの・・一種の・・幻想世界のことである。
何度も言うが、物や物質が先にあるのではなく、それは光源としての意識の投影像・投影物である。
人々の集合意識が集光源であって、世界や事物、生活・文化・文明はその集合投影世界に過ぎないことを思い出そう。
これを理解できないと、魂・意識が・・物質系のイリュージョンの中に囚われの身となる。
簡単に言えば、何度も何度も同じ映画を観てしまうようなものである。
飽きてしまっても、映画の内容で恐怖で立ちすくんでしまい、身動きできないようなものである。
そう、この世界、いや、科学的に言えばこの惑星は、
物質やら肉体やらの形の中に囚われてしまう惑星文明であった。
この世界の人類の生業の渦中に、個人として生まれることを通して、
人の魂、意識が肉体に自己同化することを意味する。
意識が・・肉体へ自己同化するとは・・”自分がそれであると思い込む”ことだ。
と言えば、
「思い込むって・・何言ってんの?・・この体以外に自分って何よ?」
あるいは、魂のことに気づいている人であっても、
「囚われの身?・・ってあんた、わたしゃ肉体を出てどうするの?
そんなの怖いじゃないか」・・という想いが沸き起こる。
しかしながら、
魂は何かの物や塊ではなく・・どこかに入ったり出たりするものではない。
肉体の外からやってきて、肉体の中に入り込む・・のではない。
そういうフワフワ出たり入ったり・・する妄想こそが、自分を何かの物質の塊・波動の塊のようなものと思い違いをしている証拠なのである。
魂・意識は・・この幻想世界を超えている・・というよりも、
この幻想世界の光源・創造者・根源の波動なのである。
あなたが見ている世界の隅から隅まで・・あなたの意識の投影なのである。
とはいえ、
あなたの意識・・小さい顕在・表面意識では・・そんなことあるわけもないと思うものである。
「わたしが創造者だって?・・一体・・いつわたしがこの世界を造ったものかね?・・あり得ない!」
ここまで話を聞いてきた人、我慢して読んできた人も、
そう思って譲らないだろうか?
あなたはどうだろうか?
あなたはあなたの知覚世界の創造者なのだが、
知覚している・気づいていることそのものが、
すなわち「創造」であると理解できるだろうか?
だましの宿で宿泊すると、自分が何かという記憶を忘れてしまい、
自分が旅人であることすら忘れてしまった。
「千と千尋の神隠し」において、千尋(ちひろ)が名前を奪われて・・千 にされるのだが、その「尋」の部分を忘れたことは、具体的な・・魂の記憶の忘却を意味しているとも考えられる。
「尋」とは末広がり、尋常でない長さや高さ深さ・・を意味するように、
膨大な魂の記憶のことを言っているわけだ。
あなたは思い出しただろうか?
もしそうでないとしても、・・・今のあなたという存在自体が・・・、
その膨大な魂の記憶・英知によって出現していることを理解すべきであろう。
偶然の出来事なんかではないということだ。、
実に細かく現実的な装いの・・一種の・・幻想世界のことである。
一回入るとなかなか出られない、だましの宿でもあり、
また魂にとって、自己を思い出し、気づくための秀逸な修行場でもある。