気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

(46)過去生の記憶 その5(想起)

2020-11-22 04:50:44 | 意識の科学

●前世の記憶とは、直視すべき自己側面のこと

前回の記事で過去生を思い出す1つの方法を紹介したのだが、実際にやってみた人はどれだけいるだろうか。

パソコンやスマホの情報のファイル・情報アクセスは皆がやっているようにサラサラやっても、自分自身の魂の情報に関しては、なかなかアクセスしないかもしれない。

というのは多くの場合、

特にこの世での転生経験では、あまりにも非道で愚かしい出来事や、自らの利己的行為の激しい感情的記憶が詰まっているため、触らぬ神に祟りなしのような忌避意識が働く場合が多いからであろう。

つまり過去生等思い出したくない・・という強い潜在意識が働くのである。

嫌な記憶は・・そう・・思い出したくないものである。

そうではないか?

●逃げるからこそ追いかけられる

しかしながら、その記憶の中の感情的な歪が・・こころの傷となって今この人生にもあだ花を咲かせているのならば、その原因となる歪を・・嫌々せずに見て、観て・・知覚して・・解放してやる必要があるのである。

 

忌避して逃げていたからこそ・・いつまでも追いかけ回されてきた。

忌避ぜず・・対峙すること、勇気をもって内面で知覚対象に変化させて、

たまった歪みエネルギー開放することである。

 

●増えてきた過去生情報

過去生や来世などという概念は、多かれ少なかれ誰でも知っているはずなのだが、実地検証不可とされ、また現実生活と関係ないということで捨てられていた。

しかしながら、過去生の「記憶」とは・・記憶であって意識上の情報であるため、物的証拠が無いからという短絡的理由付けはまったく埒外なことである。

あるひとは、かつて自分はあの国のあの村にいて・・という記憶がいて、それを周囲の人に語ったのだが、たまたまその記憶通りの村や当時の人の実地検分がなされたこともある。

調べるとわかるが、生まれ変わりの記憶を持つ人は実は世界に大勢存在してきた。ほとんどは幼少期に思い出す場合が多いため、言葉もおぼつかない、子供のいい加減な妄想話として片付けられる場合が多いのである。

肉体が成熟していない・・未熟な者という偏見が強いのは、「人間は肉体である」という潜在的信念が強いためだ。

●人は魂であるという気付きの方向へ

人間は意識である・・ならば、相手が子供か大人か・・ではなく、魂・意識の発露・発信内容に注意すべきなのである。

気付かなければならないことは、普通にそのまま社会に適合した賢い?大人になってゆく過程で、

逆に・・どんどん愚かで小さな信念体系に組こまれてゆくということも言えるかもしれない。

 

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ーーー

そもそも、そんな過去生なんかあるんものか・・という世間常識の実に小さな砦の中で安住している人が多い。

安住するどころか、いつも生活や感情に追い立てられているにもかかわらず不安定で不安な状況に慣れてしまい、その慣れに親しんでしまって、そこから動こうとしない人も多い。

それらの人々は、生まれてから仕込まれた<自己=肉体>という、集団”観念の鎖”でつながれた魂の姿であるという事もいえようか。

観念の鎖(くさり)、思考の轍(わだち)、感情の檻、これらは今現在の人々の・・生きざま、考え方、行為によって現れている。

 

●古い信念体系を逸脱すべし

背後に、多分こういう信念があるだろうか・・・、

人間は思考をする、他の動物より進化した肉体動物であって、それ以上でもそれ以下でもない。したがって人生は一度きりであり、偶然得られた一時の人生の後は消滅して終わりである。

学校教育やら、多くの人の中で生きてゆく経過で、漠然とこんな風に思い込んでいたのではないだろうか?

 

人間は死んだら終わりの一過性の動物であるという信念、

それゆえに、この世界では輪廻・転生という、無意識の生まれ変わりの繰り返しが行われてきた。

”輪廻”は繰り返し回ることであり、”転生”は生まれ変わるということだ。

死んだら終わりだ・・という信念がゆえに、そういう選択がゆえに・・・、

生まれ変わっても、これが初めてのような世界に生まれてくる。

死んだら終わりならばーー記憶もくそもなく、いつも初めてとなるわけだ。

そう、それが今までのこの世界であった。

・・・

●意識(魂)は自ら・創造そのもの

いったん魂・意識がこの世界に参入して、この世界で受肉して人生を送ると、当然ながら様々な経験をするわけなのだが、経験をする間に魂・意識がそこで行われている信念体系に慣れてしまう。

もちろん、郷においては郷に従え・・、肉体を維持するために、うまく生き抜くように自分をプログラムしてゆくことになるのだが、

その自分プログラムがあまりにもこの世的価値観念に染まってしまうことで、本来の魂・意識の発露・発信状況をブロック(閉鎖)してしまうことになる。

いわゆる・・観ている映画に魅入られる、見入る、自己投入・自己創造してしまう。

魂の自己忘我のため、何が何だかわからぬ状況に陥って、その状況に合わせているうちに、その状況の虜になるということである。

そうやって生まれて死ぬを繰り返すということだ。

輪廻転生とは・その繰り返し自体に気づかない・・状況であること。

 

あなたはどうだろうか?

 

●地球という魂の学習世界の役割

あなたやわたしたちは、無限の意識(魂)であるがゆえに・・

その意識の振り向ける先の世界を・・経験してゆく、知覚し創造していくということをやっている。

気付いているだろうか?

 

多次元宇宙に展開する様々な世界は、様々な集合意識(いわば神々)の創る世界であり、

その集合意識の世界の特徴に、「この世界に入ったら自分を忘れて一介の肉体人間に成り下がる(次元降下)」という・・そういうルールの世界もあるわけだ。

そう・・今までの地球、獄舎や地獄、流刑地、3次元世界等‥と言われたこの世界である。

 

想い・信念・が・そういう体験へ誘う・・またその体験から起きる想いや感情が、またそういう信念を形づくり、学習結果としての魂の精緻さ精妙さ、奥深さ・広さになってゆく。

 

これは意識を波動的に解釈した場合、魂・意識の波動が情報を多く含んでいわば醸造され、その”振動数”が上昇することになる。

ちなみに、振動数が高いということは、それだけ情報量も増えるというのが、この世界の情報工学での法則のようなものだ。

 

●気づきの連続で進化が起きる

しかしながら、輪廻転生における生死の繰り返しは決して無限ループではない。考えてみれば、肉体人生では、なかなか困難で嫌気がさすようではあっても、逆に魂にとっては・・地道で慈愛に満ちた学習の仕組みでもある。

信念→体験→気づき→信念→体験・・・

繰り返しサイクルの中にあっても、ふとした「気づき」があって意識変化があるからこそ、そこに少しづつ進化が起こり、やがて大いなるジャンプへとつながってゆく。

あるカテゴリー世界の一定レベルを超えるまでの意識進化、いわば学習結果の卒業がいわゆるアセンション・次元上昇と言われるものだ

あるいは、悟るとか覚醒するとか、目覚めるとか言われるものである。

 

この世界に次元降下する前に・・、

それぞれの・・わたしが・・課した・・ことである。

・・想起できるだろうか?