普通、人に体験があればその「記憶」がある。
その記憶は普段は思い出さないが、何かのきっかけで思い出すことがある。
何かのきっかけとは何か?と言えば、
今の状況が、・・かつての(過去の)その時の状況に酷似した時が多いだろう。
●デジャビュー
「あ、この状態はどこかで経験したことがある・・!」という感覚である。
それを「デジャ・ビュー」(既視感)などと呼んでいる。
あなたも経験しているはずだ。
デジャビューは、ある状況になった時に、内面意識に出てくる感覚が同じ場合に起きるちょっと不可思議な経験である。
デジャビューは、すでに経験したことを知っている・・感覚であるため、過去において、今という未来を予知した結果だと解釈する場合もあるが、
いずれにしても・・突然出てきた・すでに知っている感覚・・既視感である。
既視感・既知感・・・既に(すでに)知っている・・のは「記憶」である。
●回顧
デジャビュー以外にも、ふつうに過去のことを思い出す場合がある。
それも何かの状況や想いのきっかけによって、あの時もこうだったなという連想・記憶の再現となって沸き起こる。
生まれてからの人生経験なので、これは「過去の記憶」であると知っている。
これも時々経験しているはずである。
これらすべて・・・あなたの ”意識内面に沸き起こる” ビジョン・感情という「意識的情報」と言えるのである。
●すべて潜在意識に記憶されている
そして、普段は全然思い出すことは無い。
だからと言って、それが無いとは言えないのである。
つまり表面意識に浮かばない情報でも、潜在意識に「記憶されている」ということだ。
人生の膨大な知覚経験情報は・・潜在意識に逐一記憶されているのである。
それ(記憶)を再生・再現することが珍しいだけのことである。
飛躍的な思考を入れなくても、ここまでは理解可能であると考えられる。
膨大な記憶(情報)を有する潜在する意識・・に気づくということだ。
●潜在意識へのアクセス
そうであれば、その潜在意識にアクセスすることで、
かつて経験した時の感情・感覚・想いの再現が可能であるということだ。
もちろん何事にも学びや実習が必要ではあるものの、
習熟すれば、それはまるでパソコンやスマホのファイルをクリックして、データや画像を再現するのと同じようなものである。
自分の内部にある膨大な情報源・・・、
ただ、多くの人はそれに気づいていないし、それをやろうともしていない。
勝った負けた、戦い・競争の明け暮れに疲れるばかりで、
人生という膨大な経験をなぜかしら軽んじていて、
日々の貴重な経験も次から次へ軽く捨てながら、
これはダメだ、今は不幸だ・・、でも、
もっと先には良いことがあると・・思っているのだろうか。
●顕在は潜在の反映でしかない
膨大な情報は・・あなた(意識)の中にあって、
それを有意義に使う術(すべ)を行使していないということだ。
覚者や聖者、まっとうな学者たちが言うように、
人生という外側の舞台演劇のシナリヲである意識のほう、
あなた自身の内面を観てゆくことが人生で最も大切なことなのである。
ーーー
さて、前世の記憶があるのか無いのか?
あなたはどう思うのだろうか?
あなたが「自分は肉体である・・」と信じていれば、
肉体(頭脳・組織)の記憶も、肉体の消滅で消え去るものと考える。
記憶も、一時の「キャッシュメモリー」のようなものと考える。
そして、多くの人が漠然とそう信じ込んでいる。
●魂レベルのネットワーク
しかしながら、例えるならば、
あなたもパソコンやスマホを使っているならば、
パソコンやスマホの本体・機械体が壊れても、
データや情報はバックアップを取っていれば、新しい本体・機械体でかつての状況の再現が可能だということを知っているはずである。
例えばそれらのコンピュータネットワークや記憶の体系を構築している、
そのシステムの創造者である人間が、それ以下の存在であるわけもないではないか?
あなたの人生の様々な経験や想いや感情の記憶は、
どんどん捨てられていくのではなく、逐一潜在意識に記憶され、
あなたの肉体がやがてこの有限世界から消え去ろうとも、
その記憶は保持されて持続発展してゆくという事に気づかないだろうか。
ここまで読んできた方は、まだ目で読んでいるだけかもしれないし、
今まで学校や社会で習ったように、サクサク知識を検索しつつ、
何か決定的な証拠を、外に探しているのかもしれない。
言い換えれば、
受動的な霊的知識は多々あるものの、意識的・能動的経験の「記憶」が少ないのかもしれない。
もしそうであれば、例えば・・・下記のような「自己想起のやり方」があるので推奨する次第である。
もちろん、こことは無関係の他人様のサイトであるが、
ある範囲で自己責任で自由に使えるようなので、
実際に自分自身で・・真摯に実践してみることをお勧めする。
少なくとも魂・意識の無限性に気づくこと、
今はもうそのための、いわゆる霊的・意識的実践努力へと・・
実際にシフトすべき時である。
意識的進化や飛躍も、決して外から与えられるものではなく、
自らが扉を開いてゆく意識的行為の、その先に開かれるものだ。
(生まれた時点以前への退行催眠で過去生の記憶を再現することで、潜在意識に刻印されていた様々な想いや感情の歪・傷を癒すことを提唱した、ブライアン・ワイス博士のお弟子さんとのことである。曰く・・今はもう自分で過去生を思い出す時代。)