気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

(17)時至れり

2020-04-03 08:26:25 | 意識の科学


人類上の出来事には、どんな偶然もあり得ず、事象や起きることのすべてが、
意図的、人為的、人工的であるとまず知るべきだろう。
文明のすべて、建物・道路、制度・法律なども人の想念で創られたものである。

たとえ自然界に偶然に発生したかのように見えるものでも、
あらゆる文明のすべての創造物・出来事・事象・記録・歴史も、
人間の思考・感情・思い・考え方・・という「想念」を、
具体形・文言等に表わすことで創られている。

事物・事象・出来事の・・理由や原因である「想い」に気づかない間は、
出来事・事象がいつまでも「未知」のものとして捨て置かれ、
それが自然発生とか、偶然とかで、漠然と片づけられて、
いつまでも意味不明な、未知の何かで終わってしまうことになる。

特に人命にかかわる、大きめの事象・事件・出来事の場合には
まず未知なるものへの「恐怖」が先に立つことになり、
そのままではさらに大きな波紋を広げてしまい、
限度まで行って飽和・崩壊、つまりカタストロフ的な急変結末を迎えることにもなる。
その時の経済社会の崩壊が「恐慌」と名づけられているものだ。

知らないことは・・「怖い」ことなのだ。

例えば、今回のコロナ・ショックなるものは、
明らかに人類意識上に起きた(起こされた)かなり大きな出来事であり、
これを偶然に起きたものとして、漠然とやり過ごすことは出来ない。
また、そのうちまた元に戻る一過性のものと考えることも出来そうにない。

なぜならば、
すべての人々へと有無を言わさない形で影響を与え、
出来るだけ巻き込むような要因が存在していること、
主要メディア、インターネット個別サイト、ユーチューブ等で、
すでに多くの人が・・何事か?を知るようになっている事実からも、
もう十分に伺い知ることができるだろう。

よくわからないからと言って「偶然」で終らせ、
何も無いのが良いことだばかりで、
そのうちに忘れ、もとの眠ったような安楽さに戻るのがよいか。

しかしながら、今起きていることは、
人類的な意味で極めて重要であり、
そして・・”必然的に”起きたこと・・なのだと気づけるだろうか。

多くの人が嫌々ながらも知るようになったということは、
結局は、人類の集合意識が、
その ”潜在的な何か・・表面化させた” ということなのだ。

ここに・・
「何か・・あるかも・・」と気付くのが、
ひょっとして、かなり大切なことではないか?

ちなみに、
コロナという名前自体、太陽の周囲の光彩・電子・放射エネルギーのことであり、
エド・ディムス大佐の未来予測等で噂されている太陽の「キルショット」、
地球の電気・電子機器をリセット破壊して、
一旦文明を原始にもどすとされる急激な「太陽フレアー」、
あるいは・・古い日本神話にもある「天の岩戸開き」を連想するかもしれない。
あるいは一部で知られている「日月神示」なども連想可能だろうか。




あるいは、これもまた偶然と捉えるだろうか?

蔓延・コロナ・太陽・天・宇宙という概念に、何か重大な秘密があるかもしれない・・。
秘密とは、隠されたもの重要事項の意であり、
逆に言えば暴くべき努力、知ろうとする意識的姿勢を促すものなのである。

その結果何ごとかの意味合いが知覚されてきたならば、
さらに、意識を高く掲げその問題を乗り越えてゆくための
意識的な実践努力が ”是が非でも” 必要なことである。
もちろん、人生でも仕事でも、それは同じことである。

今回のとってつけたようなコロナ騒動で、1つ言えることは、
これはすぐに忘れ去るような一過性のものではないということだ。
あるいは、大きなターニングポイントを・・過ぎて、
既に・・明らかに・・以前とは異なるフェーズに移行したということだ。

変化・進化には、本来は深刻なものは何もないのであるが、
気づこうとしないことで起きてくる、未知なるものに対する恐れこそが、
すべてのトラブルのもとなのだ。

簡単に言えば、
今起きていること、これから起きることは
一見困ったことに見える事象を超える努力の強烈な促しであり、
それに対して必然的に求められるものは、
意識における一段高い・・目ざめ・・覚醒・・悟り・・大きな気付き・・である。


地球が変容する、人類社会の再編、
お金の仕組み、社会のインフラ、世界の支配構造・・が・・変わる・・は、
まったくの二次的な枝葉の想定事象のことであって、

最も肝心なことは、
この地球という時空物語上における人類の意識進化の1つのステップが、
ハッキリと目前に出て来たということ
なのである。

あなたはどう感じるだろうか?

何ごとも偶然に起き、すぐに終って元の木阿弥、
そしていつものように忘れ去るべきことだろうか?

しかしながら、今・・ここに在る・・意識に気づいた者、
意識進化の途上にある魂としては、
目の前に出て来た階段のステップならば、
問いかけに答えを出す意欲とともに、
勇気凛々駆け上がることが、
嬉し楽しの意識生命の醍醐味ではないのか。

どのような事にも、けっして恐れる必要はありはしない。
ただ、怖い怖いでそのままに置き去りにされたもの、
未知なるものを、既知へと転換する意識的努力、
あるいは好奇心や探求心を働かせ、
自ら識(し)ろうとする事こそが必要なことなのである。

そう、知らないことは・・「怖い」ことなのだ。

なぜならば、怖い・・とは、
知らねばならないことを回避していることへの、
内からの強い強い衝動なのだ・・。

すでにもう、
頭で考え、ネットで調べ、本を読んで知識を入れる時は過ぎて、
明確な想念の想起と集中、実感・実践・具体的な行為を発現する時が来ている。


今起きていることは、
まったく新しい次元ステージへの移行の具象化、現象化であり、
そのための清掃、浄化、昇華のプロセスを経る時期に突入したと考えられるのだ。

様々な人類的騒ぎや、利己主義的思惑からくる更なる陰謀なども、
人類の想念と行為の歪、いわゆるカルマが、
それとわかる様な恐怖の感情を伴ってオドロオドロしく噴出していることを意味していよう。

それら歪の噴出現象を超えるためには、
肉体自我から・・より高次の・・こころ、
そして魂へと意識をフォーカスしてゆく必要がある。
内からくる新たなる想いとその表現、行為・生き様に、
ハッキリと切替えてゆくことだ。


物質的な絢爛豪華さも、自我の守りの難攻不落の砦も・・
意味不明な人生で、寂しく死んでは何の意味もないだろうし、
自己の無限性を片鱗をも知ることなく、
混乱し、道を見失った状態の意識・エネルギーレベルのままで、
無数の前世の記憶もなく、培った数限りない叡智も使えず、
転生してもまた最初から始めるような、
霊的寂しさを気付かず知らず、繰り返し経験する事の、
いったい全体・・どこに意味があるのだろうか?

過ぎたるは・・及ばざるがごとし・・である。

嗚呼・・朋よ。。

地球という・・壮大な意識生命体は・・既に目覚めのフィールドへと、
その振動数を上げてしまったのだ。
半信半疑ならば、そういう意識で世界を眺めてみると良い。

ここに至っての、人類意識上の様々な分野での急激な騒ぎは・・
今までの歪んだエネルギーの放出に他ならないことがわかるだろうし、
また、このタイプの歪エネルギーの解放は、
往々にしてカタストロフィー的な様相を呈することも覚悟しておかねばなるまい。

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今までの個々人をバラバラにする自我欲追及、
我良しだけの自己主張、利己主義、更にはここに来て窮まった超利己主義、
それを実現するための・・他への攻勢、攻撃等は、
意識・行為において「完全に」捨て去ってゆかねばならない。

気の抜けない、疲れる世界、生き馬の目を抜く?ような世界、
緊張し、せめぎ合い、欲得を限度まで追求することに、
そこに・・本当に・・繰り返し追及するほどの、
美しさや生きがいや、胸からこみあげる感動があるのだろうか?

逆に、
まったく違った意識・行為への実践的転換が今・・必要である。
今までマイナーに扱われ、異端児扱いされてきた生き方、

簡単に言えば、利己ではなく利他・・とも言える在り方。
他との調和、自然との調和、利他主義というレベルへの移行が必要なのだ。

お互いさま、助け合って生きる、無理を通さず、有るものに感謝、
ただ有り難い・・・という観念で振動している人々の世界は、
これは、愛を中心とした第4密度の世界とも言われるようだが、
確かに、どんなに人生が過ごしやすいだろうか・・
もうすでに・・誰でも想像可能ではなかろうか?

さて、かねてから噂されてきた、その時は至れり。
それに気付き、想いを塗り替え、身近な表現行為として昇華する
魂・意識の飛躍のための開花・実践の時、
その時は・・・・既に至れりである。