気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

(16)存在は・・波動複合体

2020-04-02 07:21:02 | 意識の科学
わたしたちは身体・肉体そのものではなく、
個性化した宇宙意識として、あるいは魂として、
その表現体としての「こころ」と「肉体」を持っている。

わたしたちは、自らが自らに気付いている”意識”であり、
個人化・個性化した全包容的意識・創造主・神であると言えるが、
しかしながら、個人化・個性化した表現体、肉体そしてその環境の、
局限された物質形にごまかされてしまい、そのため、
自己の無限性の自覚がなかなか実は大変であるということだ。

そうではないか?
いまでも、あなたは、自分が男だ女だ・・・、
年齢は、生活は・・が主たるテーマであるかもしれない。

自己の無限性に対する気づき及び、その表現がどの程度なのか、
各人によって異なることを意識進化の違いと言って良いだろう。


絶対意識・宇宙意識・・が、個人化・個性化するということは、
あなたやわたしたちは・・いつか・・と言うしかない、ある時、

かつて、いつか
・・絶対・・普遍意識から・・送り出され、
あの世界、この世界、あちこちの時空世界に、
個性化とともに無数に出現したのだということが出来ようか。
それをいわゆる神々という。

あるいは、次元降下して・・いつかかつて、この世界にやってきた、
あるいは、高次領域から、低次領域に周波数を落として来た・・、
あるいは落とされた、という表現もあるだろうか?

肉体単体レベルでは、あなたは母体から出てきたが、
わたし・・意識は・・あなたの母から出てきたものではない。

気づけば・・わたしは・・わたし・・意識・・である。
I AM THAT I AM.

常に・・再生するのは・・わたし・・I 意識である。
その意識が、
前世を覚えていれば、転生・再生が理解できるが、
そのためには、今の意識の中を自分でアクセスする必要がある。
つまり自己探求といわれるものだ。

いわゆる前世を覚えていないという仕組み、
自己忘却の仕組みが当たり前のように行われていたこの世界、
3次元的地球において、
わたし・・は、魂・意識であること、
様々な形態を自己表現しつつ、再生する魂・意識であると気づいたならば、
新たな再生において、もう2度と自己を忘れたままであることはないだろう。



たとえこの世の、どぶさらいのような経験であっても、
蓮の花が泥の中で咲くたとえのように、
知覚・体験こそは、無限の叡智の側面を知ることに他ならず、
実に得難い知恵として昇華するためのものであると認識できるならば、
もう忘れたい過去の忌まわしい記憶等はあり得ないのである。

あなたが親であれば、子供のことがよく観えるように、
高次においては・どんな低次の経験も、
すべて味わいがあり、意味のある経験知と認識できるものだ。

1つの波動は必ず複合された波動の組み合わせであるように、
わたしたちという存在、つまり
個性化した、あるいは”個人化した普遍意識”を要素分解すると、
肉体、 マインド  魂  という、
まったく次元の異なる要素の複合体であると言えるだろう。

簡単に言えば、
肉体とは・・この地球という生態系で創られる生命形体であり、
マインド・・は、
この世界での肉体・生命体の知覚体験に関わる意識活動の数々のことであり、
魂・・は、
それら肉体レベル・マインドレベルの元にある・・
魂・意識(気付き)の本体・本質・・と言えようか。




一般に・・気付き・・ああ、想いつき?と軽く表現しているが・・
そういうハッとした思い付き、何かに気が付くは、
存在として知覚するということでもあり、
神が気付くことで、その対象としての宇宙が出現している
そういう・・創造の根源パワーのようなものである。

あるいはすべてへの気付き、神意識は、
あらゆる非創造物・物質のすべての元にある・・究極微細なクオークのようなもの、
あらゆる存在形のすべてに含まれ、そのすべてであるところの、
究極の微細で、究極に高振動な・・「根源波動」・・と言ってもいいだろうか。

波動の法則で言えば、
究極微細で、高振動な波動であるからこそ、
そこから様々な低い波動が生み出せる。
また、
周波数・振動数の高い波動は、低い波動からは構成出来ない。
言い換えれば、
究極の微細な周波数の波動は、
それより大きな(粗い)周波数の波動の影響を一切受けないということ。

逆に言えば、より振動数の高い波動こそが、
それより低い波動の存在を構成・知覚できる、
あるいはそれに・・意識的に気付くことが出来るということだ。

低い振動は、より高い振動を創れない・認識できない、
あるいは知らない、知覚できないのである。

そして、わたしたちという存在は、
肉体・マインド・魂と言われる存在波動の複合したものであるということだが、
周波数的に云えば、
肉体・物質環境は、マインド・こころよりも低い周波数レベルであり、
マインド・こころは・・気付き・純粋意識よりも低い周波数レベルである。

自己観察の方向で鍛錬・あるいは試行してきた人、
肉体・物質レベル、こころ・マインドレベルを観察できる人は、
それらが低次から高次への(次元)周波数の違いであることが理解できるだろう。
周波数の違いは・・気付きレベルの違いと考えればわかりやすい。

気付いていない物は、その人にとって存在しないも同然である。
知覚していない物は、その人にとって存在しないも同然である。

これは物質だ、形だ、時間だ・空間・距離だ・と”認識”するのは、
それより上位次元の・・こころ・マインドの働きである。
こころ・マインド・認識・探求・探査などの”意識的働き”は、
物質・環境・時空間を超えている・・つまり上位の波動とわかるだろう。

マインド・こころを・・観察することを知っている人ならば、
マインド・こころを  観ている・・気付いていることは、
すなわち・・マインド・こころを超えているレベルのものであると知るだろう。

原因は結果を生み出す元にある、
つまり高次波動帯から低次波動帯に周波数を落とす・・。
気付いている、知覚している・・ことは、
気付いた対象、知覚対象物より高次であるということだ。
これは意識レベル・階層的な気付きの段階をも意味しているだろう。

この点を十分に理解せねばなるまい。

わたし達は、物質化学反応の塊である肉体であると、
そう信じる人も多いだろうが、
そう信じている・・働きは・・意識的なものである。
意識も肉体が、頭脳が創っている・・と考えるのも、
やはりそれは意識的な働きなのである。

つまり、ざっくりした階層の違い
①物質・肉体・環境レベル
②マインド・思考・こころのレベル
③意識・気付き(魂)のレベル・・・

の違いは低次から高次への「気付き」の階層を意味していて、
別の表現では、低次から高次への「知覚」の階層とも言えるだろう。
低い、高いは偉い偉くないではなく(笑)、
いわばより微細、より繊細、よりリアル、より情報が多いか、
あるいはよく言われるより「精妙」であるかの違いであって、

つまりこれは「波動帯域」の違いであると同時に、
わたしたちという意識的存在の多重性、多次元性も意味しており、
肉体・マインド・魂という、
その働きと次元が異なる波動の複合体であるということだ。

例えば、肉体というのはその1つの階層なのである。
私たちは・・そういう意味で多次元的な存在ということだ。

ここで、波動・振動数という概念が出ているが、
”振動数”・・となれば、一体何が?振動しているということになるわけだが、

現代の地球上の科学認識で言えば、
物質、つまり我々が存在として認識している様々な物質の元になるとされる、
究極のクオークと言っても良いだろう。

クオーク?・・え、なんだよ・・それは物質か?という反応もあるだろうが、
物質を含む、マインド・想念等のあらゆる存在・・の
元の波動要素と捉えるべきものであり、
存在のすべての元にある・・根源(波動)・・と捉えるべきものであろう。

物質、想念・マインド、魂・本質も・・
粗大から繊細へとつながるひとつの究極の波動で構成されている。

つまり・・存在の根源・・である。

古くから創造主、神と言われ、
ある場合は・・”純粋意識・気付き”と名づけられ、
あるいは真我と云われ、
あるいは現代科学風に云えば、究極根源の存在波動エネルギー等と言われる。

・・それの・・ことだ。

いずれにしても、どこかの何かの話ではなく、

目の前の、近くの、遠くの、更に無限遠も含め、
今在る存在すべての・・根源・・のことだ。

それは・・、あなたでもあり、
私たち自身のこと・・・でもあるのだ。