存在のすべては・・わたし・・というものを中心にして現れている。
中心とは、すべての顕現の主体、原因、根源、ソース、言い方はいろいろだが、
それ・・によって顕現が起きている、それのことだ。
物質的諸現象、精神的諸形態、それらはいわゆる次元が異なるけれども、
簡単に言えば、それらのすべての共通項、あるいは根本的な法則、
または、すべてに含まれている本質的に・・普遍的なもの、
あるいはまた、すべての母体、それからすべてが生じている根本、
・・
とにかくイメージとその表現は様々だが、
それなくして何も起きえない第一原因とでもいえるだろうか。
下の挿絵はそれを象徴している。
あらゆるすべての中心であり、
そこから生じる無数の波紋、波動の原因点、
本来は何もない鏡面・平面、無次元の空(くう)に
超次元から何かが落ちてきて、そこに波紋が起きる。
空から落ちる何かが、何かは知ることができないし、
いつ、どうして、なぜ?・・も知ることはできない。
それが、「なに?で、いつ、どうして、なぜ?」起きるのかは、
決して知ることができない。
なぜならば・・・それは”何か”を”知る”以前のものだからだ。
諸宇宙、諸世界、そして我々のこの時空間の出現以前のことだからだ。
知るということは、何かを知覚し、そして知る、
もっと普遍に言えば、気づく・・ことであるが、
物質であろうが抽象観念であろうが、
つまり物であろうが、観念・思考であろうが
知る・・気づく・・ためにはその「対象」が必要だ。
いずれにしても・・
今、宇宙が存在している。
そしてそれに気づいている・・わたしは在る!・・
我あり・・だ。
初めに・・言葉ありき!
オー、マイ、ゴッド!と言わずして何を言うのだろうか?
・・・
無次元の空(くう)に波紋が起きる。
天文、宇宙物理学者はビッグバンとか言っている。
波紋は波動であり、波動は我々の知っている概念で言えば、
超微細な素粒子・振動エネルギーである。
波動は交差、共鳴、増幅、減退という諸相を現し、
その無限の組み合わせ・重合が、波動宇宙を創り出している。
これは、かの聖書にあるように、
「初めに言葉ありき、言葉は神とともにあり・・」である。
言葉とは、人の生活次元でいえば、
--わたしの想いを、口に出したもの、文字で表したもの--、
科学的に?いえば、それは情報であり、
そして情報には必ず意味、あるいは意図がある。
そう、言葉には「想い」が載っているのである。
これは荒唐無稽な想像のお話しであって、
現実とされる3次元的幻影にはまり込んだ魂・意識達、
また、あなたと無関係なのだろうか?
固形化した3次元的思考の箱の中に
相変わらず身を震わせているのだろうか?
あらゆるすべての中心であり、
そこから生じる無数の波紋、波動の原因点、
本来は何もない鏡面・平面、無次元の空(くう)に
超次元から何かが落ちてきて、そこに波紋が起きる。
何かが天から落ちる?が、何かは知ることができないし、
いつ、どうして、なぜ?・・も知ることはできない。
それが、「なに?で、いつ、どうして、なぜ?」起きるのかは、
決して知ることができない。
なぜならば・・・それは”何か”を”知る”以前のものだからだ。
諸宇宙、諸世界、そして我々のこの時空間の出現以前のことだからだ。
1つ言えることは、自分自身の想いであろうと、
他人の文字を眺めることであろうと、
自発的であろうと誘発的であろうと、
そこには・・思い巡らすことが・・起きている。
このような話は、わたしの現実とは違う単なる妄想の類だろうか、
それとも、宇宙意識の思いに似たものだろうか、
あるいは、
本質の自己、魂意識、自らの出てきたその記憶を、
いまは遠いこの次元世界で思い出しているのだろうか?
相変わらず、目先の役に立つ、
何か物的証拠を求める低次の意識が起きているとしても、
その物的証拠である、目の前にある環境、世界、宇宙を見逃しては、
それこそ・・何の役にも立たないだろう。
それぞれ、わたしの宇宙・世界は、
わたしの投影像であることに気づけるだろうか。
肉体のわたしではなく、それを含むすべてを観ている本質のわたしの、
その壮大な姿であることに気づけるだろうか。
中心とは、すべての顕現の主体、原因、根源、ソース、言い方はいろいろだが、
それ・・によって顕現が起きている、それのことだ。
物質的諸現象、精神的諸形態、それらはいわゆる次元が異なるけれども、
簡単に言えば、それらのすべての共通項、あるいは根本的な法則、
または、すべてに含まれている本質的に・・普遍的なもの、
あるいはまた、すべての母体、それからすべてが生じている根本、
・・
とにかくイメージとその表現は様々だが、
それなくして何も起きえない第一原因とでもいえるだろうか。
下の挿絵はそれを象徴している。
あらゆるすべての中心であり、
そこから生じる無数の波紋、波動の原因点、
本来は何もない鏡面・平面、無次元の空(くう)に
超次元から何かが落ちてきて、そこに波紋が起きる。
空から落ちる何かが、何かは知ることができないし、
いつ、どうして、なぜ?・・も知ることはできない。
それが、「なに?で、いつ、どうして、なぜ?」起きるのかは、
決して知ることができない。
なぜならば・・・それは”何か”を”知る”以前のものだからだ。
諸宇宙、諸世界、そして我々のこの時空間の出現以前のことだからだ。
知るということは、何かを知覚し、そして知る、
もっと普遍に言えば、気づく・・ことであるが、
物質であろうが抽象観念であろうが、
つまり物であろうが、観念・思考であろうが
知る・・気づく・・ためにはその「対象」が必要だ。
いずれにしても・・
今、宇宙が存在している。
そしてそれに気づいている・・わたしは在る!・・
我あり・・だ。
初めに・・言葉ありき!
オー、マイ、ゴッド!と言わずして何を言うのだろうか?
・・・
無次元の空(くう)に波紋が起きる。
天文、宇宙物理学者はビッグバンとか言っている。
波紋は波動であり、波動は我々の知っている概念で言えば、
超微細な素粒子・振動エネルギーである。
波動は交差、共鳴、増幅、減退という諸相を現し、
その無限の組み合わせ・重合が、波動宇宙を創り出している。
これは、かの聖書にあるように、
「初めに言葉ありき、言葉は神とともにあり・・」である。
言葉とは、人の生活次元でいえば、
--わたしの想いを、口に出したもの、文字で表したもの--、
科学的に?いえば、それは情報であり、
そして情報には必ず意味、あるいは意図がある。
そう、言葉には「想い」が載っているのである。
これは荒唐無稽な想像のお話しであって、
現実とされる3次元的幻影にはまり込んだ魂・意識達、
また、あなたと無関係なのだろうか?
固形化した3次元的思考の箱の中に
相変わらず身を震わせているのだろうか?
あらゆるすべての中心であり、
そこから生じる無数の波紋、波動の原因点、
本来は何もない鏡面・平面、無次元の空(くう)に
超次元から何かが落ちてきて、そこに波紋が起きる。
何かが天から落ちる?が、何かは知ることができないし、
いつ、どうして、なぜ?・・も知ることはできない。
それが、「なに?で、いつ、どうして、なぜ?」起きるのかは、
決して知ることができない。
なぜならば・・・それは”何か”を”知る”以前のものだからだ。
諸宇宙、諸世界、そして我々のこの時空間の出現以前のことだからだ。
1つ言えることは、自分自身の想いであろうと、
他人の文字を眺めることであろうと、
自発的であろうと誘発的であろうと、
そこには・・思い巡らすことが・・起きている。
このような話は、わたしの現実とは違う単なる妄想の類だろうか、
それとも、宇宙意識の思いに似たものだろうか、
あるいは、
本質の自己、魂意識、自らの出てきたその記憶を、
いまは遠いこの次元世界で思い出しているのだろうか?
相変わらず、目先の役に立つ、
何か物的証拠を求める低次の意識が起きているとしても、
その物的証拠である、目の前にある環境、世界、宇宙を見逃しては、
それこそ・・何の役にも立たないだろう。
それぞれ、わたしの宇宙・世界は、
わたしの投影像であることに気づけるだろうか。
肉体のわたしではなく、それを含むすべてを観ている本質のわたしの、
その壮大な姿であることに気づけるだろうか。