気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

目覚めの道程(16)宇宙意識・わたし

2018-11-03 05:51:13 | 真我実現シリーズ
宇宙意識という言葉は、あの無限の宇宙の意識だろうか、
ならば、なんと壮大、巨大なのだろう・・と考え感じ入るかもしれない。
地球、太陽系、銀河、銀河群を含む、宇宙大の「意識」であると考え、
そうして、それに比べて自分なんかなんとちっぽけなんだろうと、
まるでパスカルの葦ように考えるだろうか。

しかしながら、
それもまた3次元的思考に過ぎないのである。

無限大の「宇宙」の中に、自分という小さな「肉体」が存在する、と。
無限大の中の、1個の・・肉体・わたし・という比較思考が起きているのである。
大きい小さい、重い軽い、遠大、卑小という物理的な思考・感覚が起きている。



もちろん我々は目の前に多次元的宇宙を目撃をしているのだが、
それを見ているのが、私という”肉体”だという視点でいるということだ。

視点というか観点というか、そういう”意識的”感覚思考といっていい。

宇宙を見ているのは個人の肉体である・・、
いや、もっと高度に言えば?、
外の世界を認識をしている、肉体内部の「頭脳」だとそう思っている。

どこかの偉い先生風に、もっと言えば、
すべてはある種の物質が別の物質と反応しており。
”あなたは”その高度に組織化された「肉体」だとしている。

そこにある視点の要約をすれば、
わたしたちは肉体であり、五感経由でその肉体の外側と反応している。
そしてその反応を無数の情報として、身体・頭脳が処理をしている。
・・ということになるだろう。

あなたや私たちの日常の生活の、ちょっと科学的な説明である。
あー、なるほど・・という話ではある。

これは肉体的な反応の過程を調べた科学的成果といえるが、
ここで、いつの間にか・・この思考過程において、
<わたし>が・・肉体・頭脳にという物質形なっているようだ。

気づけるだろうか?
私は肉体である・・という前提というかそういう思考、

いったい誰がそれを真実と言っているのだろう?
誰も言ってはいない。
TVも先生も、隣の人も、通行人も誰も言っていないが、
漠然とした、しかし実に強固な人類の想念形態である。



科学や医学で肉体や宇宙の観察や説明が行われているが、
「わたしは肉体である」ということではない。

繰り返すが、「わたしは肉体である」・・は「思考」「観念」なのだ。
観察によって起きる想念・・観念といってよい。

つまり、多くの人の陥っている、<わたし>・・に関する、
思考の短絡的誤認識の話をしているわけで、
これは真剣に吟味、熟考することでわかるのもので
ここでは、ただそのことを言っている。

肉体の働きは観察できる、
またそれを組織立って説明も可能であるし、
それがいわゆる科学的認識であるが、

しかしながら・・わたし・・は、いつも・・
気づき、意識している側・・である・・というか、

超簡単に言えば、<わたし>は・・説明者側なのであって、
決して、
説明される<観察対象物>のほうではないということだ。


わたしは肉体である・・というのは、
単なる観念であって「事実」ではないということだ。

そこに観察、認識、思考、想像という”意識的な働き”がなければ、
どんな観念も出来はしないということだ。

理知的な人ならば、
ならば、頭脳が意識を創っているのか?と、
そういうことになるだろうが、
それも思考・認識という「意識」の働きなのである。
・・・
宇宙意識の話であるのに、全然関係ない話ではないか?と
そういう風に思うかもしれないが、

宇宙意識は、・・・
はるか外側、無限の向こうにある、あの宇宙の意識ではないのである。



いうならば、・・
世界、宇宙・・それは・・あなたが気付いている範囲の、
本質のあなたという”無限意識”の投影像なのである。

わたしが見ているすべては・・実はわたし・・だと言われる所以だ。
ここで、わたしとは・・わたしの肉体のことではない。

内部、周囲、遠方・・すべてを含む五感感覚を伴った投影像だ。
そこに観察・認識対象である・・私の肉体も含まれるのだ。

わたしという、気づきの起きている意識の中に、
気づける範囲のあらゆる事象が起きている・・ことを観察・認識しているのである。

そして”気づき”そのものもまた無限としか言いようがない。



今ここに・・在って、この世界の波動の中にいるとしても、
いつも日常に引き戻され、世相でやるべきことをやり、
大勢の人々の、短絡的観念の波のまにまに浮き沈みしていたとしても、
それに流されず、そこに頽(くずお)れることなく、

その今・・ここ・・には、無限が内在していることに、
常に・・今・・気づいている・・のが真のわたし・・である。

真のわたしは・・もちろん現れては消える肉体も、そして宇宙も
その中に内包するところの・・意識だ。

いわゆる神は、あるいは宇宙意識は、
自らの無限性に気付いているからこそ、
無限の宇宙が自然に顕現しつつ、様々な姿を映し出し、
そして目撃しているのである。


あなたが熟睡しているとき、実は世界も宇宙もない、
ただ目覚めている時だけ、世界や宇宙という投影がそこにある。
毎日、毎瞬・・がわたし意識の投影なのだ。

真実はどこか無限の遠く、どこかの時間空間には無く、
常に・・今、・・在るという事だ。