今ちょうど台風18号が関東地域を通過中だ。
何十年も生きていれば、台風のその何かも変化していると感じている、
台風に限らず、いまの地球の気象状況は何が大きく変わっている。
何が変わっているのかと言えば、その規模というより荒々しさである。
それは暴力的というような短絡的なものではなく、どこかエネルギーとその変化率が明らかに増しているということだ。
特に今年になっての大気の現象の特徴は、局部的な集中豪雨や急に成長する大気の渦巻き、竜巻現象等である。
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今年に入ってから、空の一角に黒い雲が出ているなあ・・・と思っていたら、十分も経たない間にスコールのような雨が急激に大量に降ってくるようになっている。
多くの人も多分体験しているか報道などで知っているかもしれない。
何も変わっていないという常識観念で眠っている人以外、知覚力や直観力のある人は気付いていることだろう。
なにかが今までとは違う!・・と。
これら地球の今までにない地殻や大気の様相変化は、偶然の一過性のものではない。
明らかに地球が変化、あるいは別の安定点へと遷移しているのである。
地球を構成する五大要素・・地(ち)、火(ひ)、水(すい)、風(ふう)、空(くう)の要素の様子にそのすべてに明らかな変化があるということに気付くべきであろう。
その変化は、簡単に言えば「エネルギー」が増している、あるいは「時間的に集中」しているというところに現れている。
大気中の空気分子のエネルギーが増大しているからこそ、世界であるいは日本でも頻発している「短時間的」で「大規模」の異常気象が起きているということだ。
噂されるケムトレイルやら集中電磁波での気象改変実験やら、おバカで紛らわしいことが行われているということもあるのだが、そういう人工的、人為的な行為自体も、
今進行中の地球の時空の大いなる変化に必然的に含まれているということであり、
環境汚染や自然破壊で荒廃が進むことに対する地球生態系という生命系の自動制御のような揺り戻し、フィードバックであると同時に、
さらに今地球という舞台の一大転換期の影響をもろに受けているのである。
何らかの潜在エネルギーの増大が顕在化して来ていると同時に、
その変化率・・時間・・が短縮されてきているという事でもある。
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直観的な理解では、物の変化量は・・・dX/dt と表せる。(X:物量、t:時間)
変化量が大きいということは、X(物量)が大きいという事の他に、逆にt(時間量)が少ないという意味でもあるはずだ。
一般には単位時間における量の変化率が大きい・・・ということだが、<単位時間>というのが言わば1つの先入観である。
これは、時間が均等に進んでいるという思い込み、誤解観念から来ているのだ。
世界標準の原子時計、太陽や月の運行、地球の自転の規則性は、人類の共通の物差しにしかすぎず、それ自体が一定の時間を生んでいるわけではない・・・ということなのだ。
「時間」などは直接目に見えるものではなく、現象の変化率でしか規定されないものである。
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またエネルギーの増大はその現象内の時間の短縮を伴う・・ということは古典となった感のある相対性理論でも数学的に説明されているのである。
これは一定の物理量が従来と同じであっても、その現象内の<時間の短縮>によって、エネルギーが増大すると観測されるという事でもある。
時間も絶対のものではなく、相対的なものなのである。
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要するに変化の大きい、規模の大きい気象異変や地殻変動なども、
地球上の時空内における・・・今は局部発生的な・・・『時間』の短縮が原因であるとも言えるのである。
そう・・・「時間」が短縮されているとも言えるのである。
タイム・ウエーブ・ゼロ理論というのがあるが、どんどん時間が短縮されて行き、一定の進捗のすえに、しまいにはゼロになるという、エキセントリックな理論であるが、
2012年の世界の破滅・・・等というイメージで象徴されてしまい、それが過ぎ去った理論として忘れられた感があるが、
これは前世紀末ころから今までに生起しているところの、エネルギーの増大、逆に時間の指数関数的加速、時間の短縮の事を言っているわけだ。
今起きている変化の加速、これは時間と量の2次元グラフで描くと、時間に沿って急激に指数関数的な増大で示されるのである。
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そう・・・・昨年、今年と、異常気象が増大してるというのは、
大気が荒々しくなっている・・というよりも、
真実は「時間」の短縮現象にあると言えるだろう。
その時間の短縮については、先の物理的な現象の変化の速さでも理解可能であるということだし、いま世界では・・・現実に起きている事なのである。
あー世界は異常気象で大変だ大変だ・・・ということではなく、時空の様相が確実に変化していることに気付かなければなるまい。
あなたは、気がついているだろうか。
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また時間とは、実際の物理的な量の変化だけを言うのでなく、「心理的な面」もあることを知っているはずである。
例えば何かに集中していると、腕時計は一律4時間も経っているのに、もうあっという間に過ぎてしまうこともあるはずである。
例えば、小学校のころの楽しい遠足での1日は実に短く感じられた記憶があるし、今でも2連休であろうと4連休であろうと、それこそ「あっ」という間に過ぎてしまうのである。
違うだろうか。
大体の場合、楽しいことは早く過ぎ去るが、気が進まない場合は、なかなか時間が過ぎないものである。
こう見てくると、時間には「心理的要素」も含まれているという事も言えるのだ。
心理的要素、すなわち想い、人間の意識的な作用自体はどこか質的なものであり、直接数学的な量で表せないために、すぐにピンと来ないのだが、
実際のところ、 時間というものの本質は「意識的」なものであるという事、これは実体験でこそわかることなのだ。
意識→意図・想念→エネルギー→現象
いわばこの創造表現サイクルが短縮しているとも、意識の働きがすぐに現象化に移行するという事も言えるわけだ。
ある意味でこれは人間の周囲の出来事に関して言えば、・・・・
想いが実現しやすくなっているという事である。
この時、人はいったいどういう想いと行為を採用するべきなのだろうか。
嗚呼、・・・それはもうわかっていることであろう。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。