気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

意識の話(42)夢とは何か その2

2017-11-06 06:22:52 | 真我実現シリーズ
夢は見るものだということは誰でも知っている。
いや、見るというのは正確ではなく、「観る」ものだ。
肉眼で見る・・ではなく、内面意識で観ている・・わけだ。

それを心の眼で見ているといってもいい。
昔から”心眼”といわれているそれだ。

何を観ているのかといえば、明らかに物質形ではない。
目ざめて意識が起きだした世界で、五万とある物質といわれる諸形態ではない。
なぜならば、そのときあなたの肉体はスヤスヤ眠っているからだ。

これは誰かに確認してもらう必要もなければ、何も数式で証明する必要はない。
”わたしの存在”の形式そのものだからだ。

それで、夢で見ているのは何だろうか?
随分とアヤフヤで、あり得ないようなストーリー展開や、
日常のマインドから見れば論理的でもない場合が多く、
したがって、憶える気にもならないものが多いはずだ。

というか、”現実的”でないために、憶えていないのである。
つまり見ていても、認識していない・・、
”心ここにあらずして、何をか見いださんや・・”なのである。
そんなこと聞いてないよ!・・だ。(笑)

逆に、熱心に夢を覚えている人もいて、夢占いや夢予知という形に昇華して、
何事か意味ありそうな情報として、現実に応用しようとする人もいる。
よく言えば、つまり夢にも・・意味があることに気付いているともいえようか。

それは、夢見によって現実の在り方を解こうとしたり、
夢見によって未来を推し量ろうとすることでもあり、
現実生活のすそ野を広げる行為といえるかもしれない。

ちなみに、夢見の意識状態は、肉体の五感情報の窓以外のルートであり、
リモートビューイングや霊視などと近い意識状態でもある。
脳波でいえば、シータ波前後の意識レベルだ。

夢での予知なども良くあるわけだが、大体が当たるも八卦、当たらぬも八卦である。
肝心なのは・・当たる当たらない、妥当か妥当でないか・・ではなく、
夢とは・・”意識表面に浮上した”情報である・・ということだ。

それら、まったく個人的な事柄から、人類集合意識までの壮大なものまで、
つまりは、無意識レベルのものが、意識レベルに浮上したということだ。
・・・
知覚範囲が拡大した、気づきが増大した・・ともいえよう。
あるいは意識レベルが上昇し、見晴らしが良くなった、
普通は見えないものが見えるようになった・・ともいえよう。
だからと言って霊的に偉くなった・・わけではない。



では、夢では何を観るのか?といえば、
まず、自分の「こころ」「想念・記憶」を観ているのである。

夢をよく覚えている人ならば、これがわかるはずである。
つまり、
日常での印象や、裏で気になっていること、心配など、
そういうものが夢の物語に複合化されている。

意識レベルによっては、前世とか、他生の記憶なども出てくるはずだ。

はめえパズルと気づけるならばしめたものだが、
”こころを観る・・”という意識レベルに気づかない場合には、
もう、何が何だか・・ということになる(笑)


潜在意識下では、時空の制約がないために、
つまり意識レベルが異なるために・・、

覚えてもいない幼少期の夢や、考えてもいない何者かの姿や、
あり得ないような恐れなども出てくるものだ。

つまりは、その人の”こころ模様”が物語化して現れているのである。
それも実に様々なものが複合して表れているために、
何が何だか・・のような夢物語になる場合が多いのだ。

漠然と「こころ」と言っているが、決して軽く扱うわけにはいかない。
なぜならば、
”こころ”が・・・夢見や現実世界の展開模様を決めるものだからだ。
あなたはロボットではないわけだ。

こころとは・・想念の集合体。
その想念が、その世界を展開しているのである。
個人も、集団も人類も・・・その心、想念で不可思議につながっているわけで、
それを集合意識と言っている。

夢を見るとは、超簡単に言えば、
自己という、パソコンの記憶ファイルをランダムに開いているとでも言えよう。
なにせ、夢だからと言っていい加減に扱っているがゆえだ。

記憶ファイル・・とは心・・のことである。
さらにその記憶ファイルとは、
今回生まれた後の経験と思考、感情だけとは限らない。
なので、さらに訳が分からない夢となることもあるだろう。
・・
こころ・・記憶、魂・・は同じレベルのものだ。
それは、活きた想念・・その中には過去も、現在も、未来もある。

いわゆる、現実を生きる、体験する物語を創る、
あるいは生まれ変わる・・のは、魂・想念集合体である。

普通の夢とは、そういう想念をランダムに観る行為だ。
さらに、この現実生活というものも、同じく、
肉体という存在形態に備わる五感が”追加”された・・観察行為なのである。

そして、現実や夢を・・・観ているものは”誰”なのか?

そう・・、わたしだ・・!

では、その”わたし”とは・・何か?





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