●時空は光(波動)に満ちている
すべては波動として存在している。
波動は振動でありまたエネルギーである。
その波動の振動媒体は、身の周りに、身の中にも在るところの無限の「空」である。
空(くう)自体が、波動のその媒体であり、「空」(くう)であるがゆえにこそ
変化する存在形態・振動・波動を生ぜしめることができるのだ。
科学的には光は電磁波であり、エーテルという仮想の媒体を必要としないと言われる。
光は、『空(くう)』 の 『間(はざま)』 空間を、
それ自体を変調しながらその存在域を四方八方に伝播・拡大する。
あなたやわたし達の周囲のあらゆるものは、その『光』によってその存在を浮かび上がらせている。
まさに我々の周囲は『光』に満ちているといえるだろう。
光とは単に極端な眩しさや煌きなどではなく、様々に変化する宇宙の諸現象の彩りなのだ。
ある意味で、我々の周囲の諸現象は、光の踊り・ダンスのようなものかもしれない。
あなたは気付いていただろうか。
あなたやわたし達自体、
あるいは周囲、時空の遠方、近方、すべて光・波動に満ちているということを・・・。
その光・波動とは、あらゆるものを包含し、あらゆる可能性を見据え、あらゆる喜びを、自己の本質として自らを意識している、大いなる一なる根源の命の響きなのだ。
大いなる一なる根源は、全てのすべてであるからには、その1小部分とも感じているところの、あなたの存在自体もまさに全体が投影されている。
一部にはその全体が畳み込まれているがゆえに、全体の部分なのであり、数量的なちっぽけな観念は、決して当てはまらないことに気付くべきだろう。
●想念は宇宙に遍満する意識の波
すべての波動は、宇宙すべてを貫いてあるところの、全包容的意識の中の自己認識作用であり、
その諸現象を生み出す意識の作用は、いわば神なる根源の発する『想い』と言えるだろうか。
その想いは・・・、
全てを自己と観ずるところの、いわば宇宙・森羅万象における全一的な想いのことである。
これに対して、人間における想念は、
個人のエゴや、各個別の利害や、自己だけに都合の良いレベルに留まりやすく、
したがってその包含するエリアあるいは次元が、
その想念の質によって限られているために、
全宇宙を貫く根本的な周波数までは届いていないかもしれない。
多くの我々が、本来の『わたし』という真我の自覚に至っていないとはそういうことであろうか。
全一性からの想いとは、
人が、わが子や、愛すべき人々や、動物、植物をいたわる想いと同質であり、
自己とまったく同じように、あるいはそれは度外視して、
他への幸せを願う想いと同じなのだ。
『自』 はすなわち、反転した 『他』 でもあり、
また、
『一』 はすなわち、展開した 『多』 なのだと完全に意識している、
本来の「あなた」という真我の発する想いのことである。
森羅万象の根源にあるのは、
あからさまに、そして明らかに、
すべてがすべて喜ばしく、調和に満ちて、可能性に溢れた、
驚くような・・・・「愛」であると言えよう。
●人間本来、幸福である以外にはない
人、皆誰でも自己の幸福を願うように、
宇宙である一なるものも、その内にあるすべてが幸福であることを
自明の理としている。
いわば、あなたも、本来幸せでしか有り様がないのだ。
それを「そう」と感じていない場合は、個々人の『幸せ』の観点そのものが、見当外れであり的外れであると言えはしないだろうか。
何かの条件をつけて、『それ』がなければ幸せではない・・・という、条件付けをしているのかもしれない。
あるいは、『幸せ』とは、うっとりするような感情的な『状態』である・・・との勘違いがあるのかも知れない。
仮の条件の充足や、感情の高揚状態がなければ幸せではないと、勝手に思い込んではいないだろうか。
そうであれば、確かに、いつも今は幸せではないことになるだろう。
そのこと自体、「仮の不幸せ」を見事に創造しているかもしれない。
なるほど、それこそ逆に神なる者のなせる業といえようか・・・。
しかし、これこそ笑える話ではないか。
求めるがゆえにそれに至らない・・という逆説に笑わずにおれようか。
あるいは、これがいわゆる二元性の醍醐味なのだろう。
しかしながら、なるほど確かに、一時の仮の不幸があるからこそ、真なる幸福が実感できるのかもしれない。
・・・・まさに、究極は全てがOKなのだ。
全てが実は大いなる喜びの只中にあることは、
自らの生み出す観念の織り成す綾(あや)によって、自らが不幸で遊んでいることを悟れば気付けるだろう。
いつまでも他者のせいにしていては到底振り返ることはかなわない。
全てが、何だかんだと言いつつも、実は大いなる喜びや楽しさの只中にあることは、
我々全てが、『今この瞬間に在る』と知ることで理解できるだろう。
例えば、あなたが自らを、わたしは「わたし」であると気付いているように、
同じく、神なる根源も自らを「わたし」と気付いている。
そこに質的な違いがあるだろうか。
いいや、ありはしないのだ。
小石も「わたし」、木々も「わたし」、川も「わたし」、山も海も「わたし」、地球も「わたし」、銀河も、銀河団も「わたし」である。
それは意識の大海の中の、存在諸形態の振動率、周波数の違いのようなものでしかない。
意識の波動に本質的な違いはあり得ず、あるとすればその波動としての情報量あるいは振動率、周波数の違いだけなのだ。
あなたも、私達も・・・・つまるところは、大いなる「わたし」なのだ。
全ての根源の「わたし」である、それ、・・・
それは、いつでも、どこにでも、誰にでも、どんな物にも内在しているのだ。
そして、あなたにも、『今のこの瞬間』として在るではないか。
●今の瞬間は常に無条件
まさに、今の瞬間こそは永遠なり。
無条件に、なにものにもよらず、
『あなた』がいつも幸せであるということは、
それがそれが、その証(あかし)である。
今の瞬間には、どんな条件もありはしないのだ。
あなたは絶対に幸せであるのだ・・という、大いなる『あなた』からの想いは、
すなわち 『無条件の愛』 である。
本日も拙い記事をご覧頂きまして、まことに有難うございました。
「今の瞬間にはどんな条件もない」・・・改めてハッとしました。
まさに自分が今この瞬間に居ない証拠が挙がってしまいました~^0^; 日常を振り返ると、思考が未来に飛んでることのなんと多いことか・・・。まぁ、それが愛すべき今の自分です。
いつも本当にありがとうございます☆彡
[E:eye]! ですか・・・笑。
なるほど、思考は自由自在です。
繰り返しや固定化によって現象化しますね。
創造の道具のようなものです。
扱い次第でいかようにもなりますね。
常に今の瞬間というベースに描かれる物語のための、
絵筆やペンのようなものですかね。
人にとっての重要な1ステップは、
まず
道具に気付き・・(こころの大切さに気付き)
道具を手入れする・・(こころの浄化)
そのためには、
感謝や思いやりが最もシンプルな方法。
意識的な実践によって、その分だけ
ふと、気が付けば波動が広く、強く、より精妙になっている。
[E:eye]!!
・・
ということですかね。
いつも背中押していただき有難うございます。
---------------
(ところで、よそ様のサイトで、不可思議な掲示板ですが、忘年会の企画があります。(予想参加者年齢は・・・結構高い・・かも 笑)
気が向けばでいいんですが、ちょいとでもお顔出しして頂ければ、楽しいかもしれません。とはいえ、どうか気になさらずに。)
http://itsukakit.bbs.fc2.com/
自由自在に使わせてもらえてる道具ですが、お礼にいかに手入れをしてあげるか・・・ホント大切ですね。
そして、心も体もちゃんとそれに応えてくれる、本当にすばらしい道具ですので、徐々にでもピカピカにしていきたいと思います^^*
忘年会のお誘い、ありがとうございます m__m
さっそく覗いてみましたが、めっちゃワクワクするような宴会場ですねっ^^! 雰囲気に惹かれて、いろんな異星人たちも思わず飛び込み参加したくなりそぉな・・・。宴会時間がハワイ島の夜中3時ですので、夢の中から参加させてください(笑)楽しい忘年会となりますよう[E:catface]
いきなりで、すいませんでしたね。
同好リンクにあるサイトです。
UFOやUMA、古代史、シュメール、神話、宇宙の仕組み・・などに大変な見識をお持ちの方の運営されるサイトです。
・・・多分、どなたかがおっしゃったような「忘念会」ですかね。
まーそういう趣向です。
あれれ、
・・お便りハワイからですか~・・みたいな。