金融でも「異次元緩和」などというように、
昨今は次元という言葉がよく出るようになった。
異次元、高次元などと言われる表現は、
何か根本的な異なった領域への移行等というイメージがある。
また、それを物理的に探す行為も行われているようだ。
噂では、EUでのCERNという高エネルギー加速装置で、
陽子などの極めて高い運動粒子エネルギー同士をぶつけることで、
局所的にエネルギーを集中して・・異次元への扉を開くとか・・。
・・・
これらの行為は単純な科学的追求だけではなく、
何か特別なエネルギー集中による時空破裂装置への足掛かりか、
あるいは、あわよくば、時間・空間を飛び越えることを目指していると考えられる。
この時空から、別の時空へ、より自由な存在へという人間の探求は、
ある意味で自然なことであるが、物理的な次元要素のみを考慮した次元の壁の突破行為は、
核兵器のようなエネルギーの局所集中による爆発装置を生み出すことにもつながるだろう。
・・・
人類の意識レベルが、肉体自我存続とその周囲の物的充足であるかぎり、
その物的集積の極み、つまりエネルギーの単なる極度の集中をもたらし、
危惧されているようなブラックホールを生み出すことにもなる。
ブラックホールは、あるところに質量が極度に集中し、
その中ではすべてが中心に引き込まれ、光さえも外に出ることはできないとされる、
いわば物理的4次元領域における、自己崩壊した時空の歪のことである。
また4次元は宇宙は、そのバランスのために、
ブラックホールの真反対であるホワイトホールと呼ばれる、
時空の極端な開放領域があるとも考えられており、
ブラックホールからホワイトホールへの移動が可能ならば、
あたかもトンネルの向こうの世界へと移行することが可能であろうという想定もある。
いわゆるSFでいうワープ。
ブラックホールはある時空のドレイン(引込口)、ホワイトホールは別の時空のソース(沸き出し口)ということだ。
これは今認識されているであろう物理的・時空間の仕組みとしてあり得ることだ。
しかしながら、残念ながら、希望通りの次元突破ができたとしても、
まったくその通りの物理レベルの果実のみが得られることになり、
同じ次元軸上のAからBへの、ちょっとした際限のないジャンプでしかないだろう。
石を投げて、水面を飛んでジャンプする飛び石のようなものだ。
1つの無人島の発見ののち、また1つの無人島を見つけるがごとく、
3(4)次元的世界認識の先には同じく3(4)次元的な世界の展開しかないだろう。
まるでスターウオーズのように、科学技術だけ進んで、意識レベルは今のままの延長で、
変わらずのエゴ中心で略奪や支配を考えているならば、
それ自体でブラックホール化してしまうという比喩は当て外れではない。
・・・
なぜならば、意識の働き、認識の働きはそれ相応の「具象化」をもたらすしかないからだ。
I AM THAt I am.
逆に、人生真に手に負えないものは現れない・・と言われるように、
マインド、思考、想像の延長線以外のものは現れず、それはまた、
気づかず知らず、いわば恩寵深き、神仏の手の上で遊んでいるようなもの。
平たく言えば、
思い込んだのその先にあるのは、いつもその思い込んだ事象の知覚確認ということだ。
問題は、内面深くあるその思い込み・・に気づかない場合が多く、
どうしてこうなるのか?わからないということなのだ!
生まれ変わり、転生、この世界での輪廻転生も、まったくしかり。
思い込み?違うだろう?・・これは科学的な事実認識作業だから、
単なる思い込みとは違う・・!、と、そう思うだろうが、・・・
自然を理解してゆく科学プロセスさえも、
人間の思考と実験によって、認識として蓄積・記憶されるものであり、
つまりは、人の意識的行為にほかならず、
何か深遠そうな高度の数式さえも、宇宙・大自然のその働きの模写の試みに過ぎず、
根本には、時空間の理解の試みという、「意識的」働きがあるからである。
従って、どのような科学や非科学、人文科学でさえも、
人間の意識の創造に過ぎないと言えるのである。
我々がそれに取り巻かれている、目の前の物質なるものを、
手に負えない独立存在と考えるような唯物的世界も、
それ・・、人間のそういう信念体系による具象化世界ということだ。
その証拠は、
いわゆるこの世界、物理的3(4)次元世界として、現に今・・ある。
この世は1つの信念体系世界である。
自他分離と唯物的想念の極めて強い色合いの世界、
それもまた信念、想念で出来ていた世界なのだ。
そしてあなたやわたしたちの中にある・・・、
気づかず知らずの信念、想念の記憶の束
それらが苦痛と快楽、欲望と挫折、善と悪、高いと低い、重いと軽い、
という2元性の世界をつくりあげていたのだ。
そして、いま誰でも気づけるようになった様々な異変は、
その時空そのものの大きな変動のサインなのだ。
われわれを優しくあやしていた地球という揺りかごは、
その揺れを大きくして、その中にいる魂たちに、
この世での生死のサイクルの、そのまどろみから出てくるように促している。
明らかなサインは、もうここに来ていると・・・・思えないだろうか?
(つづく)
昨今は次元という言葉がよく出るようになった。
異次元、高次元などと言われる表現は、
何か根本的な異なった領域への移行等というイメージがある。
また、それを物理的に探す行為も行われているようだ。
噂では、EUでのCERNという高エネルギー加速装置で、
陽子などの極めて高い運動粒子エネルギー同士をぶつけることで、
局所的にエネルギーを集中して・・異次元への扉を開くとか・・。
・・・
これらの行為は単純な科学的追求だけではなく、
何か特別なエネルギー集中による時空破裂装置への足掛かりか、
あるいは、あわよくば、時間・空間を飛び越えることを目指していると考えられる。
この時空から、別の時空へ、より自由な存在へという人間の探求は、
ある意味で自然なことであるが、物理的な次元要素のみを考慮した次元の壁の突破行為は、
核兵器のようなエネルギーの局所集中による爆発装置を生み出すことにもつながるだろう。
・・・
人類の意識レベルが、肉体自我存続とその周囲の物的充足であるかぎり、
その物的集積の極み、つまりエネルギーの単なる極度の集中をもたらし、
危惧されているようなブラックホールを生み出すことにもなる。
ブラックホールは、あるところに質量が極度に集中し、
その中ではすべてが中心に引き込まれ、光さえも外に出ることはできないとされる、
いわば物理的4次元領域における、自己崩壊した時空の歪のことである。
また4次元は宇宙は、そのバランスのために、
ブラックホールの真反対であるホワイトホールと呼ばれる、
時空の極端な開放領域があるとも考えられており、
ブラックホールからホワイトホールへの移動が可能ならば、
あたかもトンネルの向こうの世界へと移行することが可能であろうという想定もある。
いわゆるSFでいうワープ。
ブラックホールはある時空のドレイン(引込口)、ホワイトホールは別の時空のソース(沸き出し口)ということだ。
これは今認識されているであろう物理的・時空間の仕組みとしてあり得ることだ。
しかしながら、残念ながら、希望通りの次元突破ができたとしても、
まったくその通りの物理レベルの果実のみが得られることになり、
同じ次元軸上のAからBへの、ちょっとした際限のないジャンプでしかないだろう。
石を投げて、水面を飛んでジャンプする飛び石のようなものだ。
1つの無人島の発見ののち、また1つの無人島を見つけるがごとく、
3(4)次元的世界認識の先には同じく3(4)次元的な世界の展開しかないだろう。
まるでスターウオーズのように、科学技術だけ進んで、意識レベルは今のままの延長で、
変わらずのエゴ中心で略奪や支配を考えているならば、
それ自体でブラックホール化してしまうという比喩は当て外れではない。
・・・
なぜならば、意識の働き、認識の働きはそれ相応の「具象化」をもたらすしかないからだ。
I AM THAt I am.
逆に、人生真に手に負えないものは現れない・・と言われるように、
マインド、思考、想像の延長線以外のものは現れず、それはまた、
気づかず知らず、いわば恩寵深き、神仏の手の上で遊んでいるようなもの。
平たく言えば、
思い込んだのその先にあるのは、いつもその思い込んだ事象の知覚確認ということだ。
問題は、内面深くあるその思い込み・・に気づかない場合が多く、
どうしてこうなるのか?わからないということなのだ!
生まれ変わり、転生、この世界での輪廻転生も、まったくしかり。
思い込み?違うだろう?・・これは科学的な事実認識作業だから、
単なる思い込みとは違う・・!、と、そう思うだろうが、・・・
自然を理解してゆく科学プロセスさえも、
人間の思考と実験によって、認識として蓄積・記憶されるものであり、
つまりは、人の意識的行為にほかならず、
何か深遠そうな高度の数式さえも、宇宙・大自然のその働きの模写の試みに過ぎず、
根本には、時空間の理解の試みという、「意識的」働きがあるからである。
従って、どのような科学や非科学、人文科学でさえも、
人間の意識の創造に過ぎないと言えるのである。
我々がそれに取り巻かれている、目の前の物質なるものを、
手に負えない独立存在と考えるような唯物的世界も、
それ・・、人間のそういう信念体系による具象化世界ということだ。
その証拠は、
いわゆるこの世界、物理的3(4)次元世界として、現に今・・ある。
この世は1つの信念体系世界である。
自他分離と唯物的想念の極めて強い色合いの世界、
それもまた信念、想念で出来ていた世界なのだ。
そしてあなたやわたしたちの中にある・・・、
気づかず知らずの信念、想念の記憶の束
それらが苦痛と快楽、欲望と挫折、善と悪、高いと低い、重いと軽い、
という2元性の世界をつくりあげていたのだ。
そして、いま誰でも気づけるようになった様々な異変は、
その時空そのものの大きな変動のサインなのだ。
われわれを優しくあやしていた地球という揺りかごは、
その揺れを大きくして、その中にいる魂たちに、
この世での生死のサイクルの、そのまどろみから出てくるように促している。
明らかなサインは、もうここに来ていると・・・・思えないだろうか?
(つづく)
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