気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

生まれ変わり

2013-08-14 10:39:04 | 魂の諸相

●魂・意識はその自己表現形を変化させる

 

人間が生とか死とか仰々しく言っているのは、あるいは生まれ変わりと言っているのは、次元間の魂・意識の転移であると言える。

 

ある魂が、ある時空、ある時代の、ある人格へ生まれ変わることを「転生」「生まれ変わり」等と言っているのだが、それは生と死を通過することで魂の経験フィールドが転換するというべきものだ。 

 

これをヘミシンクでは意識のフォーカス先が変化するという風に言っている。

 

いわゆる肉体死を経た段階で魂・意識が移行する領域を「フォーカスレベル」と言っており、これは肉体という、この地球物理次元での衣服を脱いだ段階で、本質の魂・意識が移行する様々な階層的世界であると言って良いだろう。 

 

この意味でも、地球も人間も次元的階層構造になっているということである。 

 

そして、どのフォーカスレベルにおいても変わらず在り続けるのは「わたし」という意識、そして自覚する範囲で存在する意識表現体である。

 

意識の表現体の尤も表皮的な部分、それを地上では肉体と言っているのである。

・・・

 

 

ヘミシンクで云うフォーカスレベルや、心霊的な表現である霊的諸世界に関しては、霊界やら、幽界やら、煉獄界やらという風に、なんとなく善し悪しの区分けのような表現もあるのだが、

 

それは要するに、その魂・意識の進化・進展せるレベルの波動に相応しき世界に同調するという事を暗に意味しているのである。 

 

そのような地球を”周波数的に”取り巻く「諸次元世界」なるものは、地上次元をも含め、そのベースにある地球という巨大な愛深き「意識体」と、そこに存在する鉱物、植物、動物そして人間という「意識体たち」の波動のコラボレーションでできている。

 

実に、宇宙の恒星、惑星などもそういう多次元生命体と言って良い存在形態なのである。

 

星々を単なる土、岩石のかたまりと考えるのは、文字通り『皮相すぎる』認識なのである。

そして、そういう多次元生命体としての地球、その中でも最も大きな創造表現要素となるのが実に人間の『想念』なのである。

 

いわゆる霊的に気付ける人びとは、人生や人間関係や社会が『想い』で創られていることを知っているはずである。 

 

想いとは『意識の働き』であり 、その想いが潜在的エネルギーとなって、顕在化の法則にしたがって行為として、物理的あるいは時系列的な現象となって展開するのだ。 

 

例えば、念動、念力、以心伝心、未来の確率的予知、テレポーテーション等のような、普通に超常現象と言われるものも、そういう想いの顕在化の仕組みの産物なのである。 

 

ちなみに、そういう時間軸の短縮されたびっくりするような形での「想念~現象化」も、

 

それが可能であるという想いによって生じてくるわけであるが、逆に多くの人々にとってそれが無縁と感じる理由があるとすれば、まさにそういう想いによってそういう状態を創造しているのである。 

 

信じる者は救われる・・・とかいうフレーズは、どこかこっかの宗教的プロパガンダではなく、ある面の真実を、どこか意味不明で使っているだけのことである。

 

気付いて・・、認めることで・・顕れる・・・これが顕現の法則なのだ。

・・・・

●世界は意識と波動で創られる

 

未だ、世界は偶然の物質重合や離散で出来ていると思っているのだろうか。

 

いやいや・・もうそんなことは無い筈である。

 

人は皆、こころというものを知っている、そして想いを知っているのだ。

 

想いは波動であり、そして物質も波動であり、見えない波動・想いが見える波動・物に次元降下する形で世界は出来上がっていることは、量子論的見地からはかなり理解しやすいのである。

 

また話はそれるけれども、

局在化された波動、エネルギーの塊である物質原子は、電磁波という波動を放出しながら核変換を行いつつ、時間の経過とともに「空(くう」に還元されてゆく事になっている。 

 

また、そういう核の利用というものは、まさに崩壊するエネルギーの利用のことであり、まかり間違えば周辺時空を、意味なく空漠たる破壊された領域に変えてしまう傾向にあるのである。

 

従って、ある霊的見地から観るならば、こういう核の弄びとも言える行為は、生命の進化の方向から逸脱した、崩壊の方向のベクトルを有しているのであり、

 

これを推進しようとする者たちがいるならば、それは非情に悲しむべき無知である・・・という以外に・・・言葉を探すことが出来ない。

 

 

 

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自己都合よく、寝て起きて、そして何度忘れても、それはそこにある

それは、結局、人のこころの中に無知が・・・変わらにずそこに・・あるからだ。

核を進めるだけその分、崖下に沈み込んでいく者たちは、如何ともし難いものがある。
 

・・・・・・

 

世界は、そしてその雛形と言われる日本は、・・・やはり極めて峻烈な転換点に来ているのである。

  

あなたは、今、この日本も、現状の政治や外交、経済・金融等含め、 

 

実に『一大分岐点』に来ているという事を知っているだろうか。 

 

根本的な問いかけ看板の掛けられた、分岐交差点にきたのである。

  

・・・・

 

 

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本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。


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