気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

臨死体験(3)知覚の拡大

2023-05-12 12:00:00 | 臨死体験

●体外離脱と知覚の飛躍的拡大

臨死体験において「意識」が肉体の外に出る経験をすると、知覚・認識の働きが明瞭になり、その範囲も飛躍的に拡大することが多く報告されている。

死んだら終わり、眠るように意識が「無」に落ち込んで行く・・わけではない。

それどころか、逆に、限られた肉体の次元を超えることで、意識は覚醒して生き生きとするということだ。

肉体機能が停止するとそれが死と言われるが、当の意識は肉体の外へと拡張し、飛躍的に覚醒、拡大するということだ。

死んだら終わりどころの話ではない。

・・・・

以下はある女性の体験記録である。

麻酔を施された女性がアレルギー反応を起して手術台の上で心停止した事例である。内容は非常に典型的な臨死体験パターンといって良い。

「臨死体験 9つの証拠」ブックマン社 43頁から抜粋

( )内はこのブログでつけたプロセス説明である。

・・・

「気がつくと、体を抜け出て天井に昇って行くところでした。

ベッドの周りにいる人たちがはっきり見えました。

自分の体もです。(体外離脱)

みんなが私を取り巻いて動揺しているのがとても奇妙で、

大丈夫だと伝えたかったけれどできませんでした。

(私と)ほかの人たちとは薄いベールかスクリーンで隔てられているみたいでした。(肉体死後の次元隔絶)

 

 入口のようなものがあるのに気付きました。

奥に向かって細く伸びていて、暗いその中を私はすごいスピードで進み始めたんです。(高次元への移行)

困惑しつつも心は浮き立っていました。

トンネルを抜けると、そこは穏やかに光り輝く愛と光の世界、

隅々まで愛があふれ、(高次世界の様相)

私を包んで体の中心まで沁み込むようでした。

しばらくして、人生のさまざまな出来事を見せられました。

いえ、ただ”見え”ただけかもしれません。(ライフレビュー)

とてつもなく大きなパノラマみたいでした。

こんなことはすべて、とても言葉では表現できません。

死んだ知り合いたちが光の中で一緒にいました。

大学時代に亡くなった友人、祖父、大叔母などです。

みんな幸せそうで笑っていました。(近親霊との遭遇)

 

戻りたくありませんでした。

でも光の中にいた男性に、帰らなくてはならないと言われたんです。(指導霊の教示)

人生でやらなければならないことをまだやり終えていない、と。

突然、ガクンという感じがしたと思ったら、自分の体に戻っていました。(肉体次元への帰還)

 

・・・

●脳死状態での意識経験

人間が死んだとされる定義は大体以下のようだ。

人間の心臓が止まり、血液が身体全体、および頭脳に行き渡らなくなった場合には脳死となり、頭脳でのどんな神経細胞活発も停止してしまう。

そうなると脳波計は完全にフラットになって「臨終」ということになる。

 

臨死体験は、その状態の時に・・その当人の「意識」が肉体から抜け出て、体外離脱して周囲の空間に移動しつつ、その位置から知覚・認識等の精神活動を行っているという事なのである。

そして自分の肉体さえも・・その知覚対象として上から見下ろすなどしているのだ。

その時、意識はこちらにあり、私の肉体はあちらにあるのである。

この世の一般常識では、意識は脳で作られているとされているわけだが、

実は全くそうではなく、

本来の「意識」・・知覚・認識・思推等のはたらきは、肉体・頭脳以外の働きによって行われていると考えられるわけである。

だって、その時は肉体死の状態、頭脳、神経細胞などあらゆる肉体機能が停止しているのだから。

あるいは、こういう事なのだ。

この世で人間として生きている事 = 意識が肉体内に宿ること。

死んでる事 = 意識が肉体から外れて、時空また次元を超えて在ること。

 

●意識は時空を超えている

臨死体験時には、わたし意識、あるいは視点は、どの方向にもあり、そしてどの位置にも瞬時に存在しているという報告が多い。

また、臨死体験者は、思った場所に瞬間に移動していたという話が極めて多いのである。遠い・近いは関係なく、その時に意識上でイメージした瞬間にそこに在るということだ。

まるでドラえもんの「どこでもドア」・・好きな時空点にテレポートするようなものだ。

つまり意識は時空を超えているのである。

 

●私たちの本質はこの体ではない・・自明の理

つまり、・・本来の我々の意識は・肉体の内側に局在しているわけではなく・・・・言わば・・あらゆる空間全体に存在していると言ってもいいのだ。

意識は、通常は・・各個人の肉体の中に集約・局在しているようだが、その集約・局在化するための肉体が機能停止した瞬間、その肉体を飛び出て・・全一なる無限の空間そのものに・・所在を移す・・ともいえよう。

・・・

私たちの本質は、無限の空(くう)そのものであり、

その無限の空(くう)に生じる無限の気付き・意識が

それこそ、無数の個別の具象の中に自らを投入して、

その具象化(物質肉体化)された次元の世界を体験しているのだと言えるのである。

個別とは、無限のひとつなるものの・・展開されたものであり、もとはひとつの意識が出現・具象化したものである。

・・・

●私たちは元々・・無限の空(くう)

これはたとえ話、直感的な話で言えば、こんな比喩も出来るかもしれない。

下の絵は、シルエットになった人物の絵柄であり、普通はこの黒い人物のパターン側を「存在」として見ているが、

逆に、周りのその他の白い空間(空)が無ければ・・その個人も浮かび上がらないことがわかる。

視点を変えれば、

その他の何も無い白い空間全体・・あるいは無限の空(くう)そのものが・・その人物を創り上げている・・本体である・・とも言えるのである。

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

 

 


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