気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

小天使の帰還

2017-12-27 07:38:47 | 投稿記事
今回は私ごとの記事だ。

もっともここ十数年の間もわたしごとの記事サイトであるわけだが、
何度かここにも掲載した、我が家の雄猫が昨日、天に還った。

全く静かな行き方であった。
実にあっぱれである。

12歳といえば高齢のほうだが、よくこの世界で今までサポートしてくれた。
涙があふれるほどこみあげてきた。
強く強く・・心からの感謝しかない。

私がパソコンに向かって入力している時に、知らぬ顔してキーボードの上を歩いたりして、
よく困らせてくれていた。(笑)
・・・
13年前ほど前、ブログをやり始めて少し経っていたころに
「猫がいてもいいな・・」と思っていた。
不思議なことに、それから数か月たって、
息子の高校の野球部のPTAから「子猫いらない?」という話があった。

初めてもらわれてきたその子猫は、家に入るなり少しおびえていたようだが、
猫じゃらしで遊んでやると、すぐに元気にじゃれて遊んだものだった。






長男がつけた名前がなんと「龍之介」である。
私が若いころの写真を見て、それが若いころの芥川龍之介に似ていたためだという。
まじか・・・?(笑)
それからわが家では、猫の名前である「りゅう」が盛んに呼ばれるようになった。

知らない人が聞いたら、まるで我が家に「龍」でもいるのかいな・・というくらいだ。(笑)

2歳のころには盛りが付き、種の保存エネルギーを持て余していたため、
やむなく去勢手術をせざるを得なかった。
生の自然の流れでないことが悔やまれたが、致し方ないとあきらめたのだ。
「申し訳ない・・」

彼は何もせず、寝ては起き、外に遊びに行ってはどうも縄張りをパトロールしていた。
腹が減っては「ごはんくれ」と鳴き、
眠たくなれば、不思議にも最も心地よい場所を探して眠る。

怒ることもなく、
嘆くこともなく、
ただ、あるがままに生きた。
「人間のように、うそや真もまぜこぜにし、自己主張よろしく、
ぺらぺらしゃべるわけではないが、うれしいことはうれしいと表現していた。

ただ・・在ること、そこに存在としていること・・それだけで、
冷たく不合理な社会の風を受け始める多感な時代の子供たちに、
癒しと安心感、素直さと健気さを教えたことだろう。

家で家人同士で、親子や夫婦での大げんかが何度か起きた時に、
決まって仲裁に入ったくれたのは「龍」であった。
お互い声を張り上げているときに、
きまってどこからかやってきて、
慌てた様子で、身振りや鳴き声でその場を鎮めてくれたのだ。
信じられるだろうか。

事実は小説よりも奇なりであり、
奇跡は気づけばどこにもあるのだ。


何を言っても、何をしても、ただ喜びと愛嬌で流して受け入れる・・
ただ、そこに在る・・いてくれるだけで・・有り難い・・。

猫だから、犬だから・・知力がないから、動物だから・・、
そんなことは全く関係がない。

人間が人間を癒せないからこそ、多くの動物が天から舞い降りてきているのだ。

それどころか、まったくと言っていいほど気づかず知らず、
あれがほしい、これがうまい、もっとお金を・・もっと権威を・と、
さも尤もらしい虚言の主張を繰り返し、
人が人を攻撃し、自然を汚しまくり、

自分たちのために、このまま続くはずだと勝手に思い込み、
すでに、その臨界点を越えたことすら気づくことなく、
自己自身の・・本来ありもしない架空の不幸を、
それさえも、どこか何かのせいにしている人の多いことよ。

・・・
昨日夕方、気づけば静かに天に戻った龍之介のことを知り、
集まった家族、縁者すべてが言ったことは何だったか。

共通なのは・・そう、「有難うね・・」だった。
そして、みな泣いていた・・。

わたしも後で泣いた・・・こんなにハートから感謝が出てくるなんて、
なんていうことだろうか!
・・・

同胞が、いとおしい生命の表現を終えること、
この時空の出現形態から、根源に還ることは、
実に喜ばしいのであるが、

わたし・・も、
この世という、悪想念と嘘の観念でしつらえられた
この時空世界に、いまだ存在しているからこそ、
その悲しみと喜びの深い味わいを知ることになる。

しかしながら、すべての経験、体験は・・・
実に・・ありがたい・・あり得ない、
有り難い奇跡なのである。

どこか遠くを探してはならない。
なぜならば、
いつもいつも、どこでも・・

それぞれのわたしの・・回りに在るのだ!


龍ちゃん、小さな天使よ、
有難うございます。

マインドの、その震えを突き抜け、
遥かに無限そのものである・・真我から、



感謝いたします。






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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
愛しき存在 (ものぐさ)
2017-12-27 19:13:40
こんばんは。
愛しい存在が逝ってしまわれたのですね
心痛をお察し致します(;_;)
ただ、ただ、癒しと愛と愛くるしさだけを
与え続けてくれる大切な家族でしたでしょうに
寂しくなってしまいますね。
高齢と言っても、やっぱり年齢は関係ないです
よね。代わりなどいない存在に
ほかなりませんから。

私もかつて、多感な時期に心の拠り所に
していたワンちゃんがいました。
突然の別れが、あまりにショックで
それ以来、新しい小さな家族は持つ気に
なれないままでいます。

文面からは、maccyoman 様ご一家に
龍之介君が愛されていた事が本当に
痛いほど伝わってきます。
龍之介君は、maccyoman 様と出会い
家族になれて幸せな一生だったのでは
ないかと私は感じました。
愛を与え続け、愛され続け
あるがまま・・・羨ましい程です。

心より御冥福をお祈り致します。
返信する
感謝 (maccyoman)
2017-12-27 20:13:52
ものぐささん こんばんわ
 
お気遣いに感謝します。

元は何もないところから、
全ては起きては、流れてゆくものです。

誰にとっても、別に何でもないところにある、
生命のきらきらする一瞬一瞬の輝きに、
その瞬間瞬間で充分に気付けない部分が、
後になって、ハートのあたりから、
強烈な感情となって沸き上がります。

しかしなぜか、悲しいというよりも、
感謝しかありませんでした。
(多分様々な感情もありですが・・)

心中お察し頂き、誠にありがとうございます。
返信する
心中お察し申し上げます (塩島)
2017-12-28 20:03:28
マッチョマンさん、こんにちは。

龍くんの記事、読みました。
お寂しいですね。実は我が家にも猫が
数匹おりまして、いつかはお別れが来るのだと
覚悟しておりますが、この記事を読んで
切実さが増しました。

猫は、人間のガイドらしく
家の猫たちも、ただ瞬間、瞬間を生きております
その姿は、まさしくガイドですね
自分も日々、彼らに学んでおります

また、霊界と現界を行き来できる存在だと
言う人もいます。自分もこれからの彼らとの
時間を、大切にして行きたいと思いました

龍くんの、ご冥福をお祈りいたします。
返信する
お悔み申し上げます (P)
2017-12-29 00:47:26
マッチョマンさん

龍之介君のご逝去に対し
衷心よりお悔み申し上げます
が、その感謝の心に清々しさを感じる次第でもあります。既に悲しみも克服されていることを感じる次第で
あります。

さて、Pは 実は完全なるコメント撤退を考えていた
次第ですが、この度、龍之介君 の 取り持つ 『縁』を

感じまして、再登場した次第

かつ

マッチョマンさんに最後の御礼を申し上げたく
まかりこした次第であります。
これがお悔みであり
マッチョマンさんに対する長きにわたる御礼でも
あります。

なぜマッチョマンさんが、龍之介君を飼ったのか

ずばり、「シリウスAの聖なる猫科」に
由来するでありましょう。
以下
メタトロンのチャネリングメッセージです。

>猫の喉を鳴らす音は、癒しにおいてとても
>効果的であり、人間のオーラを修復し、保護します。>猫達の神秘的な側面は、長い間認識されています。
>そして‘神殿の猫達’は、古代の数多くの社会と
>同時に、シャーマンの連れや協力者として
>用いられました。

「メタトロン」「猫」で ググってもらえれば
読めます。

実は、この龍之介君逝去の
まさに今年の11月14日に勤務先の駐車場にて
私の車に飛び乗ってきた野良猫を
飼うこととなりまして、
動物病院によると 生後4か月の雄
キジシロ という柄で、大変かわいい猫を
何と飼うこととなったのです。
名前を ミャア と申します。
(Pは、犬猫飼ったことありません。)

言霊では、3次元から8次元に誘う 現実的存在
となります。

恐らく 龍之介君とは生まれ年において
同じ干支 酉年なのかな? だと思います。

マッチョマンさんが愛猫を失った年に
私が、猫を飼うこととなる
これは偶然か?いや偶然ではないでありましょう

しかし、出会いとは別れであり

この猫と出会い飼うこととなったこの「今」
一切のコメントをやめようかな~ と決意している
次第でもあります。それは「別れ」なので
ありましょうか。

マッチョマンさんの
マインドをこの際手離すべし とのアドバイス
実は、
自分の人生でとても大切に深く受け止めています。

それは、
職場がどうしたこうした
世相がどうしたこうした

そのような下らない
どうでも良いコメントからの
完全撤退を意味する

全き「沈黙は金」の世界を感得した次第であります。

心の中に起こってくる繰り返しの
マインドの傾向を「観る」ことができるとは
起こるがままのマインドを繰り返すのではなくて
浮かび上がらせて それを
観て、手離すことなのであって
手離すからこそ、空が帰し、そこに宇宙が入って
またさらに拡張し進化し発展するわけであります。

だからこそこうしたブログコメントに記述することを
辞めることでもあります。

とは言え、礼儀礼節 これは重要なのであり
これが長年のコメントのやりとりとその誠実な
御対応への当然の態度でありましょう。

わたくしは、今、現実世界において
白峰先生 という方に
師事しておりまして、
この方が
サナートクマラであります。
日本神界では天御中主、スサノオ、
仏教では虚空蔵菩薩、
天使界では、ルシファー
他にも色々ありますが

「地球一切を救うビジョン」
これなどは名著であり、読んでみてください。

>「神智学第三イニシエーション以上に属する」
とは、下記であります

 記

第三イニシエーションはメンタル体の自己統御に関連するが、それゆえに三つの部分(肉体、アストラル体または感情体、メンタル体)からなる“人格”の自己統御にも関わってくる。このイニシエーションは、魂との融合として言及されることもある。修行者が高次自己と混ざり合うことで融合を遂げ、魂が注ぎ込まれた“人格”となるのはこのイニシエーションにおいてであり、その“人格”全体が高次からの光で満たされる。修行者はもはや低次元の思考や願望に支配されることはなく、その“人格”の波動は極めて高次のものとなる。第三イニシエーションは初の主要イニシエーションと見なされる。心識(マインド)は主として魂からの閃きや直感や刺激に対して敏感になる。修行者は魂や、当人が属するアシュラム、或いは霊的聖師団そのものからエネルギーを受け取る。・・・第三イニシエーションでは、修行者は想念物質をうまく扱う能力に精通し、創造的想念構築における決まりごとの学びを完了する。イエスの生涯においては、第三イニシエーションは山上のキリストの変容として言及されている。このイニシエーションで活性化されるのは第三の眼のチャクラであり、
「サナート・クマラが司祭役及び解説者を務める。」
それぞれのイニシエーションごとに、修行者はより高次のレベルへと成極することになる。第一イニシエーションでは肉体に、第二イニシエーションではアストラル体ないし感情体に成極していたが、この第三イニシエーションにおいては、メンタル体に成極する。

以上

マッチョマンさんの
疑問に答えると同時に
皆さんにわかるかな~ ってことを
公開可能な範囲で
書いた次第であります。

全く信じる信じない
全部完全に自由であります。

何を信じる信じないは また
完全にその魂にとって必要なことが
必然的に起こっているにすぎず

見事なほどに完璧に
現実 今 の中に テキストとして
現れます。

ということで、
Pは本気でアセンションするために
沈黙に入ります。
このコメントは、龍之介君及ぶ
当方のミャアにより生起したものであり

太陽の背景にあるシリウスの御蔭様をもって
コメントいたします。

Pなどは 気まぐれでありまして
明日にコメントするか
来世でコメントするか
二度とコメントすることがないのか
全く予測不能の 天下御免でありますが

そこは、猫のように気まぐれと
ご察し 下さいませ。

マッチョマン様に心より感謝申し上げます。
読んで頂いた方、誠にありがとうございます。

自灯明法灯明

P拝
返信する
有難うございます (マッチョマン)
2017-12-29 06:41:53
塩島さん おはようございます

お気遣い心より感謝いたします。

そうですか、
そんなに多くの動物を飼っておられるのですね。

たかがネコとかいうことではなく、
この世界という1つの幻想創造世界に、
来ては去ってゆく魂の同胞に変わり有りません。

ほんのささいな、この世的な事象の中であっても
時空を超えた普遍的意図である「愛」を注ぐことで、
それが反映されてきます。
またそれは、感謝しかない・・という感情表現になって噴出します。

しかしながら、
すべては変化してゆくもの、今が幸せという場合も、
ただ、この変化するという事は、
わたしたち含め、全てが無限の者であること、幸せも無限に表現できることの・・・証です。

たしかに、塩島さんが感得しているように、
この日本も、世界も終わり、
新たな時空・次元の時代に来ています。

ただそれを待つ必要はなく、
それぞれの・・わたし・・を、
真の内奥の光を・・発散・表現してゆくことがあるのみですね。

お気遣いに感謝いたします。

とはいえ、ブログが終わりではないので、何かあれば気楽に世間話でもご参加ください。
返信する
Pさんへ (マッチョマン)
2017-12-29 07:04:47
Pさん いや魂の盟友へ、

おはようございます。

格調高い記事を有難うございます。

勝手ながら、以前と同じく、
そのまま記事に転載しますが、よろしいでしょうか。

ご了承のほどを。

今まで分離の極端になった世界での、
これもあり得ないほどの、
”絶大なサポート”を頂き、
本当に有難うございました。
これは・・言葉になかなか表せません・・・。

またこれも、どうという事もないのですが、
途中パソコンの故障で中断していたメルアド、
後で再提示しますので、よろしければ・・ですが、
去りつつある古い時空の残照の中で、
”気楽に”フラットにお付き合いが出来ればと思っています。

・・・・
心の中に起こってくる繰り返しの
マインドの傾向を「観る」ことができるとは
起こるがままのマインドを繰り返すのではなくて
浮かび上がらせて それを
観て、手離すことなのであって
手離すからこそ、空が帰し、そこに宇宙が入って
またさらに拡張し進化し発展するわけであります。
・・・


時は今、確かに来ています。
入り方はそれぞれですが、
Pさんがここで書かれた、
イニシエーションという1つの確実なプロセス、
根源への・・わたしへの直通を果たしてくださいませ。

しかしながら、成ることではなく、

”すでに其れである”・・ことを知っておいてくださいませ。

それではまた。
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