気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

転生の話(4)記憶はどこに?

2019-08-04 06:03:30 | 語り部の章
前世の記憶など存在しない・・と思っている場合は、

それ自体が何の根拠もない断定であることを知る必要がある。

またはっきり言えば、

前世の記憶という「概念」に関して、何も知らないということであるが、

初めからそんなのない・・を決め込んで、

勝手に無視していることにも気づかなければならない。


あるいは、学校で習っていない、世の中の公式的な事実認識のカテゴリーにない・・

親たちも近所の人もそんな話はしていない・・等というのがその理由である。

そうではないか?


実に偉そうな、上から目線のうんちくのような言い方ととらえる人もいようが、

よく言われるように、「自分で考える」ということが極めて重要なことだ。


自分で・・調べる・探求する・経験する自発的な意識・行為か、

人の言うことを鵜呑みにする・受け身・依存的意識、どちらだろうか。


これは人を信頼しない・・ということではない。

また個人主義ということでもない。

怪しげな枝葉思考に騙されてはいけない。


前世の話はすなわち、今回だけではない幾多の人生があったという話だが、

その証拠はどこにあるのか?といえば、

今ここに・・それぞれの「わたし」の存在そのものの中にある。

私の性格、趣味趣向、行動の癖、そして何より、思考や感情の傾向・・・、


親兄弟、遺伝、家系・・肉体の系譜ではなく、メンデルの遺伝の法則でもなく、

社会的な常識という重い観念、覆いかぶさった刹那的信念でもなく、

今在る・・それぞれの・・わたし・・

意識のその中の未だアクセスしていない膨大な情報の中にある。


ある言い方では、人間をやっているからには、

それまでの膨大な生の経験があるからこそだ。



ラマナ・マハルシはこれを・・

魂・・生まれ変わりの要因 ”想念の潜在的傾向”と言っているが、

一見微妙で、常識ではほとんど顧みられない・・想念上の性癖・・の

その背後に・・膨大な「前世情報」が含まれているということだ。


今・・生きている・・存在している・・という事実は、

今・・わたしが在る・・ことの意識的自覚「自己への気づき」ともいえようが、

今・・という瞬間・・自体が  常に、

過去や未来の自己、そしてその展開世界という、

あらゆるすべてのものの原点であることを識(し)るならば、

未来も過去も、”今ここに在る”・・ということに気付くのだ。


過去とは、過ぎ去ったことの・・今・・残る残照イメージ・記憶である。

未来とは、これから予想される・・今の可能性イメージ・想定である。

すべては・・今という瞬間という・・アクセスポイント上に生起するため、

過去も未来も・・今・・という瞬間にアクセスする以外には存在し得ない。

これは、例えば、

音響レコードの音声再生が、レコード針の一点で波動再生されたり、

あるいはDVDビデオでの1点でのアクセスヘッドによって再生されるようなものである。

レコードには膨大な情報(波動)が記録されているが、

ぼんやり眺めているだけでは、どんな音楽や歌も聞こえないだろう。


同じく、何も気づかず知らず、意識的努力もないならば、

あなたの膨大な幾多の人生の経験・記憶も再現されえない。

また、未来への可能性に関する・・今・・の方向性も見えてこない。


実に小さく見える・・今の・・わたし意識・・あるいは表層意識は、

そのレコード針のようなものであり、そのレコード針としての「意識」なくば、

無限にわたる存在情報、生存形式、生命表現形式、あるいは人生・・を、

味わうことや楽しむことが可能だろうか?

無限にわたる可能性、永遠性そのものである、神・宇宙意識・絶対無限、

言い方は何でもよいけれど、その”無限自体”・・が、

あなたや私たちという、

一見常に発展途上で、無知・無明なる部分を多く抱える人間として、

あるいは進化する意識的存在として、

存在宇宙・世界に無数に、その姿を現していることは、

どういう意味なのか薄々ながらも理解可能ではなかろうか。


自らが無限、至高の実在として、その無数の感動と喜びを味わうために、

そしてそれ以外に・・・わざわざ宇宙創造をすると考えられるだろうか、

より身近に言えば、

それ以外に、今のあなたや私たちが・・・在る・・・理由があるのだろうか?


ましてや、悲しみや無知、憤り、不本意な死を加えたり受けたり、

またその反動処理としてのカルマの返済など、

永遠に繰り返すことには、まったくもってどんな意味もない。


それに真に気づけるならば、今より、そして常に展開される今において、

本来の大いなる意識にそぐわない苦痛と快楽に翻弄されるだけの人生は、

永遠に戻らない過去となるだろう。


今の私たち・・人としてあることは、

すでに無限にもわたる、幾多の生経験のその賜物である。


それを思い出すことは、それそのものが・・証拠となる。




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