自分の経験では、夢という状態、その中でも顕在意識が部分的に働いている状態での映像体験が良くある。場合によっては、銀河の向こうや、あちらの世界?にも瞬時に居ることに気付くような、とてつもなく自由自在な形態もある。これはなんだろう、単なる夢なのだろうか・・と考えていたわけだが、今はある程度その仕組みが理解できそうだ。ヒントは波動という森羅万象の元にある存在形態であるとも考えられる。夢に限らず、現実の五感感覚主体の生活自体も、同じような波動の存在形態の体験の一部であるというのが、おそらく当を得た理解ではないだろうか。
●夢の映像と現実の映像
夢は毎日見ているが、その多くを忘れてしまう。それは多分に夢というものを、どうということもないことであるとか、突き詰めれば、所詮脳内物質の反応でしかないなどという、仮説によるものだと思われる。夢の体験では確かにそのような漠然とした感覚は誰にもあるものだ。漠然としたものを、そのままにしているのは、自分の心の働きに全く気付いていないからだ。そうでなければ、夢等を無価値なものとして、無意識に打ち捨てる生活はしていないと考えられる。我々は毎日の生活で、五感による視覚映像を見たり、音声や皮膚感覚などを確かに感じているが、夢の中でも映像や音声のような感受が出来るのはどういうことなのでしょうか。 それらの感受方式には全てに同質な、波動による「知覚」という真実があると考えられる。
●夢も現実も波動の感受である
ここの記事で何度も出てきたように、我々は波動の世界にいることは妥当な判断だろうと思う。物質も究極は波動で理解され、光も電磁波という波動である。音声も空気振動という波動だ。もっとも堅個と感じている物質というものも、波動によって構成されているということが事実ならば、我々の身体を含むこの世界は、あまねく波動で成立っていると考えておかしくない。現実生活での五感で感受する刺激と、夢や変性意識状態で感受する刺激は、波動としての性質から見れば、実は同質ではないかと考えられる。
現実生活の映像と夢や変性意識下の映像が果たして違うものなのでだろうか。 TVやラジオ、携帯電話、衛星放送なども波動の原理により、映像や音声を伝える事が出来る。夢での映像や頭の中でのイメージ等も、同じような仕組みではないかと考えて無理はないだろう。但しその波動が単に電磁波・音波などという、既知の波動とは異なるだろうというのは推測できる。我々の3D(次元)世界は、電磁波などで代表される波動帯にあるということであり、夢や変性意識、テレパシーや遠隔認識などは、それとは異なる波動帯によるものであるというアナロジー(類推)は、当を得た考え方だろうと思われるのだ。
●霊界と現実3D世界のちがいは、周波数帯域のちがい
そう考えてみれば、今のこの認識空間も、実は我々の感覚での受信周波数が、ある波長帯に集中しているだけであるともいえる。FMラジオの80Mhz帯では、1つの放送番組しか聞こえないのと同じことだ。我々の主関心事が、この3D世界の諸現実にあるからこそ、その波長帯の映像、振動を体験しているのである。すなわち意識を集中=同調しているのだ。我々は、ここしかないと思っているがゆえに、この世界にフォーカスしているとも思われる。我々が、かつて産道を通って生まれ出て来るときに、この3D世界、このフォーカスレベルへの意識の自然な同調過程を経てきたのだろう。
私が自身が個人的に体験することで得られた、様々な夢映像や感覚、ちょっとした新たな認識や気付きなどは、夢を覚えていよう・・と意図したことことがもともとの原因であり、その結果、いつも肉体五感で感受している周波数帯域を、少しばかり広げたことになったのだと思われる。夢など無価値と考えていれば、その夢からの感受など、ことごとく忘れてしまうのも当然なのだ。長い間そうのようであり、多くの人々もそうであるに違いない。気がつかないということは、眠っていると言うこともできるだろう。意図・注意等しなければ何事も現れることはない・・意識原理がここにもある。
実は超意識、潜在意識では自由自在のようであるが、顕在意識に気付かせなければ、この世界への顕現化が出来ないことになる。潜在から顕在へ、未知から既知への行為は創造と同じことであり、人間の行なうべきものである。そのためには「同調」という言葉には何か大きな意味がありそうだ。同調、共感、アクセス、・・愛なども同じ方向の意識と考えられそうである。
●こころによるチューニング
夢はそのままでは、多くの人々がそう感じているように、実にあやふやな場合が多いが、夢そのものを意識してゆくに従い、その夢・情報という映像・音声・感覚等の中の、粉飾部分と真実部分が判定できるようになるだろう。そのためには、その仕組みをおぼろげながらでも理解していることが大切である。
すなわち、どれが自分の心の投影物か、どれが真なる情報かを判定するには、自分のこころの働きというものを出来るだけ認識していることが重要なカギになる。自分の思考・感情等を理解して選別等が出来なければ、場合によっては支離滅裂な映像の断片になってしまう。それは、あたかも知らず知らず草ぼうぼうにしてしまっている沃野のようであり、その中を迷ってしまうようなものだ。広く見渡す為には、常識という壁の向こうを見ることができる、1段高い意識、見識が要求される。
●夢は高次領域への窓
例えば地震予知や将来の出来事なども、事前に「夢」や「なんともいえぬ感覚」で予知することがある。現実に起きうる出来事の青写真も、実は高次ともいえる周波数帯にあるようで、今はまだ不可思議な過程を通じて、その振動数を低下させる事により、次元を降下して現れてくるらしいことも理解出来るかもしれない。 物質的な3D世界では、五感感覚によって周到に用意された感受作用で非常に判りやすくなっており、たとえ自分のこころが如何様にあろうとも、五感による存在感そのものは微動だにしないようだが、少し違う波動域では、我々の意識作用であるこころのあり方が、その世界認識を決定する傾向が大きくなっているようだ。言葉を変えて言えば、こころの働きによって感受される波動域がはっきりと異なってくるようであり、あたかもどのような周波数帯に同調するのか、ダイアルを廻すのに必要な責任や習得すべきスキルが増えてくるような感じがある。
●波長域の異なる様々な作用
世界の国々等では、ESPやリモートビューイングなどもかなり認知されているが、これも当たり前といえば当たり前と考えられる。他国の軍事機関などが採用していると言うことは、情報収集の決め手でもあるかもしれないということであろう。実際に過去からの一見不思議な現象を捨て去ることなく、科学的な集積や統計を元に検討してみれば、人間本来の能力であると考えることが自然な解釈となるだろう。尚、その能力を扱うにはそれなりの訓練が必要なのであるが、本来、軍事情報など、現実世界での隠された他人の情報を垣間見るのを目的するのではなく、「人間とは何か」という、今思い出さなければならない真実への、1つの開かれた窓であると認識することが大切だ。それらを扱うには、絶対的な必要条件として、自分自身のこころの働きをしっかりと観察できる「意識」を持たなければならない。 つまり広い意識を持たなければ、ESPなどから得られる新しい情報には対処できないわけであり、狭い利己的な了見で間違って使えば、その効果は必ず自分達に戻ってくるだろう。
なおリモートビューイングやモンロー研のヘミシングも、意識周波数の変調を元にした次元間の情報取得や世界への一時的な移行であろうと考えられる。これらは意図的なトライアルであり、逆に夢の多くは偶然のものであるということだろう。
●こころは単に同調器
身体も、こころも一時の生命・意識の表現形態であり、マインドとも言われる。マインドを自分と思っている間は、それから目を背けるかもしれない。あまりにもコロコロと動き回る感官のこころに同調せず、それをツールとして観ることが大切だ。マインドはあなた自身でなく、与えられているものであると気付けば、それをしっかりと観察できるはずだ。 いつもいそがしく動き回るマインド、それはパラボラアンテナのようであり、感官の作用と反応、すなわちマインドを自分自身と勘違いしてそれと一体となり目を回すことで、不快になっている自分自身に気がつくだろう。
●こころ・意識作用を現すのは、永遠に在る「わたし」という気付き
色即是空、色は無限の現れであり、空は空であるがゆえに全ての根源であり、それを統合するのは、わたし、という気付きと言えるだろう。そのわたしという根源的気付きは、それでも、何層ものレベル次元にわたって1つ貫かれている実在原理といえる。
そう、生きとおしなのは、「わたし」であるからだ。
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(「わたしは在る」 ニサルガダッタ・マハラジ より
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私は映画のスクリーンのように明白で空っぽだ。
画像はその上を通り過ぎ、明白で空っぽのままの状態を残して消えていく。
どの点においてもスクリーンが画像に影響されることはない。
また、画像もスクリーンによる影響を受けはしない。
スクリーンは画像を遮(さえぎ)り投影する。
スクリーンが画像を形づくるのではないのだ。
それはフィルムと何の関わりもない。
フィルムはフィルムとしてひと塊(かたまり)の運命なのだ。
だが、私の運命ではない。
スクリーン上の人びとの運命だ。
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あなたは欲望と恐れ、意見と観念というおもちゃにしがみついている。
すべてをあきらめ、真実がそれ自身を主張できるよう用意をしなさい。
この自己主張は、「私は在る」という言葉にもっともよく表されている。
それ以外何も存在をもってはいないのだ。
これに関しては、あなたは絶対の確信をもてるはずだ。
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データ整理で「知識」「科学」でまとめたものを書き込みさせていただきます。
長々のものですみません。「ナントカの猫」などはさっぱり分かりませんが、自分に分からなくても、分かる人には分かるのかな、という興味があります。
●言葉・知識
Q 高橋信次によると魂の兄弟は六つの魂がセットだとか? A “自転車操業”
Q 動物を飼うことの、もの言わぬものの病苦へ、いかに対するか A OBの力で活性化
Q “ありがとうできれいな結晶”という「水からの伝言」は真実?
A ノアの箱舟事業 未来託す希望の種 作品
Q ありがとうで水が結晶→「ありがとう」に何が? A 「踏み字」
Q 「ありがとう」と言いながら患部をさすると・・・? A 余波 回帰
Q 「水からの伝言」を、似非科学と否定する人は「」が判ってない A 最終協議
Q 「日本人の自己の希薄さ」と「アセンション後は自我減少」は何が異なる? A 精神
Q この世に生まれ出ると「」をすべて忘れる。なぜ忘れなくてはならないのか?Qは二個
A 他分野 しわよせ
Q [歴史の真実→思い思い]なら、教科書に書いてあるのは何? A 負担削減と安定・期待
Q [ 02どうしたら良いのか行き詰まっちゃいました a 緊急時は原則] →原則とは?
A 働きやすい・へ
Q 人はあの世においては感謝、感謝の心でいるの? A 魅了
Q →この世に来ると、感謝を忘れるのはなぜ? A 経済・最優先
Q 自分自身を観るとはどういうことですか? A 地・の足 運転 委託せず
Q [くつしたの片方はどこへ消えるのか a 交流]→ どこと交流? A 聖域
Q 女は確信を「」から得る、男は「」から得る A 聴取 拘束
Q 心が本体なら、物質は「」 A 質疑、調査
Q アレルギーって何? A 使えるのに「故障」
Q 人がボケてゆくことの意味 A 開示 公開
Q 日本茶はおすすめですか? A 強行
Q 3Dアートは「」の比喩 A 多重
Q ルービック・キューブは「」の比喩 A 混乱
Q たまごっちゲームは何の比喩? A 最古 推察
Q 「投影」とは何ぞや A 共同声明
Q 「波動」とは何ですか? A 利用・開拓
Q 「修行7年」ってルールがあるの? A 秩序の維持 空席・解消
Q 私、修行8年なのですが・・・・? A 「脇甘く」「許せぬ」★
Q 「人間が心の底から啓発されているのか。それとも啓発されていないのか」プラトン
「父よ、彼らを許したまえ。彼らは自分が何をしているか知らないのです」キリスト
上記の共通点 A 集中 から全域へ
Q 「何が真で、何が偽か」はあるものなの? A 思い刻むプレート
Q 揺ぎ無い真実とは? A 混乱 ★
Q 批判は相手を強化するのでは? A 緩和へ ★
Q あっという間に夕方になってしまう意味。または状態 A 指定解除
Q → では逆に時間が経たない状況は? A 直撃 低迷
● 科学
Q 石ころ1つ、花一輪の「」をみただけで神がわかるはず A 概要やメリット ★
Q → 花一輪の神を示す概要とは? A IT化 導入
Q 神は岩石の中で「」、植物の中で「」 A 「絶対の存在」
Q 生物の環境適応性の何が神の証明になりうるのか A 手続き
Q なぜ、「」に考え及ばない、とじれったいことは? A 関係
Q [科学者が、この世界がたまたま出来たと考えていることへ
A 総合計画 柱 活性化 重点施策]
→次のステップに何を期待しての計画 か A 解体へ
Q [科学とは>偽一万円札 借金あきらめの考え方>偽一万円札]
この両者の 偽一万円 の共通性は? A 用途限定 ★
Q どうすれば、この世がホログラムだと見破れるのか?
A 神・連絡 課題 接続 上流に・橋 ★
Q 物質とは何かで、「焦点がピタリ」の意味わかる? A 足場・整地
Q 人間と自然環境物のサイズが調整してあることのサンプル A 美
Q 光→波動→粒子→原子、という認識でOK? A 構想
Q 「光→波動→粒子」は現代科学で認められていますか? A 鑑定せず
Q CO2は「」の比喩 A 受注・委託 調査研究 不透明な名目 拡大解釈
Q →では真相は? A 温暖化 粒に「にごり」
Q 太陽の周りを自転しつつ公転する運動の、堅実さの根拠を、三次元的比喩で
A 政治
Q ポールシフト=次元上昇? A 検討示唆
Q ※今後、「科学の常識」の真実を明らかにしていきませんか? A 貢献・義務 指導
Q 素粒子を解明するとどうなりますか? A 把握 遅れ、問題 調査と報告求め
Q 「シュレーディンガーの猫のパラドクス」とは? A 実態把握できず
Q →解き方 A マイナス 専門家からも困惑
(設定がマイナス?)
Q 『シリウス革命』は、三次元宇宙は太陽系のみで、その外は「」という仕組み A 裏
Q 太陽はヘリウムガスが燃えている、ってどこが変? A お得に利用(都合が良すぎ?)
Q 科学者の意識変化は、一般人の変化より「」が大きい A 自立
Q 宇宙のさまざまに数式があてはまるのは錯覚か?または根拠がないとの見方へ A 関与
Q 科学と倫理は別物? A 不安 見守る市民
Q [ミクロとマクロにおける“1メートル”の位置 a 実態・学ぶ学習]
Q →どういう実態のこと? A 手回しよく説明 慣れ?
Q →だから、どうしろと? A 中断状態 争点化
Q [宇宙は人間創造を目指してきたことを「」に見出せるはず a 最高最適]
→この世界が、最高最適と言える意味は? A 縄張り争い 火花 背景・囲い込み
Q 125億光年離れた「赤ちゃん銀河」って真実では何ですか? A 保育
觀自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。について
>この冒頭の一節の最後の「一切の苦厄を度したもうた」(度一切苦厄)という文は、サンスクリット原典には、小本にも大本にもありません。おそらく漢訳者が心経最終段の「よく一切の苦を除く」(能除一切苦)を強調するために、ここに挿入したのでしょう。
★こういうのを考え出すと なんだかな・・という感じになるのですが、こんなんもありました。
>ナーガールジュナは、空とは縁起であるとしています。
「 空 = 無自性 = 縁起 」という等式が成立します。
ものはすべて元素を因として成立しているが、そのことが縁起によって成立しているということであり、もし ものがこのように、あるものに依存して成立しているならば、それ自体(自性)としては空である。したがって、ものはすべて空である。(空七十論 53自注)
眼[見る作用]は依存関係から生じたものであるから空である。なぜなら、眼[見る作用]というものは[見られる対象との]依存関係によって成立しているからである。依存関係によって成立しているならば自体[自性]として成立していないから、したがって眼[見る作用]は自体[自性]が空である。(空七十論 同上)
およそ、ものが縁起しているということを、われわれは空であると説くのである。(中論 24:18)
およそ、どのようなものでも、縁起しないで生じたものはない。したがって、いかなるものであろうと、空でないものは存在しない。(中論 24:19)
また、ものが他によって存在することが空性の意味である、とわれわれは言うのである。他による存在には本体[自性]はない。(廻諍論 22)
★なんとなく目に留まりました。「空」ということがほんとうはわかっていないわたしですが、私は在る それも私はからっぽななかからひとりで感じるというより、私を映し出す 鏡のように映る他者や縁ある事柄の中で自分を見つけ 見つめたときだったなと思います。じゃあ・・これ空ってことかな??
「神?への質問・回答集」(知識・科学編)・・・ありがとうございます。
そうですか、・・・ではお言葉に甘えまして、自分流の勝手な解釈をさせてもらいます。すこしお時間を・・。
なお、
「質問者自身の端折った言葉」 に込められた意味と、
「その回答での言葉表現」 を解釈するのは、
「客観観察」と「波動感受」双方が必要なようです。(偉そうに・・ごめん)
へたに解釈をすると、その「個人的解釈フィルター?」から通りぬけた時に、
多少変質しますが、コアになるフィーリングは通過できるように出来ればいいと思います。
空・・・ですか。
比喩で言うならば、こういう感じでしょうか。
●空はそらのようである、
何もないようで、1つとして同じでない「雲」の千変万化がある。空でなければ千変万化などあるわけもない。
●空はカンバスのようである、
何も描かれていないことが無ければ、自在の絵は描けない。
●空はなにも聞こえない静寂のようである、
静寂がなければ、自在な音楽を聞くことができない。
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・「 空 = 無自性 = 縁起 」 という等式は、
≡ 「時空≦意識≦気付き(われ在り)」 とも言えましょうか。
時空は、本来の「わたし・我あり」の中にあるということでしょう。
今のわたし≦本来のわたし・・という意味も含めて。
(あー~ 難し・・??みたいな 簡単な難問です?)
解読ありがとう。期待してたかも。でも、暑いのによく頭が回ると感心するのが先です。いつぞや、マッチョマンさんは自分で「シャーマン」と書いてましたっけ?
メイさんも、書く事のエネルギーがすごいです。二人とも、若葉のエネルギーです。
私はもう文章を書くエネルギーが枯渇しました。マッチョマンさんの解読に正確さを感じます。むむむ、ってことは、回答が妥当であるからですね。解読を、ファイルにすくい取っておきますわ。ありがとうございます。
多分?えー?誰でもわかりますわいな~~
いつかどうなるか?そんなの誰も、真似できませんわー。
金魚すくいですか~
救いとって頂きまして、誠にありがとう存じます。
金魚は「すくって」いいですが、精神年齢は「とらない」方がいいみたいです。えー?
いつ暴走するやら・・・^^;;;; はらはらどきどき
マッチョマンさんはお名前のとおり心優しきタフでおおきな方尊敬申し上げております。はい
金魚のポニョのあのかわいい~○○すき~~~って感じは忘れたくないですが・・きっと気持ち悪がられるますねw
知・情・意 情はエネルギー 知はその質を方向づけ 意は量を決める
エネルギーをどうにかよい方向でよい塩梅でできたらいいんですが・・。
女の子が主人公のアニメは、ある面から言えば男中心のイメージから、人格統合へのバランスをとることみたいですかね。
あの映画は観ていませんが、多分、好奇心・成長・愛(絶対調和感覚)をあらわしているのだろうと思います。
・・・みたいな・・・妙に真面目なreコメでした~。
Pです。コメントでは、4ヶ月に近く遠ざかっておりました。
この間、空の実践の成果でも披露をと思いましたが、現実に対応し
現実の中で自分を高めることも実践しておりまして、なかなかにゆっくり
感じたことを披露したり、また、さらに修行を進めたりできておりません。
そしてまた、私の周りの現実が激変しようとしておりますので、肉体としての
私は、新しい環境に適応しなければなりません。
簡単に言うと、カルマからの解放と、自由故の新たなる責任に
対処しなければならないという感じです。
これから半年間は、それへの対応になりそうです。
そんな中、その現実への対処に空の果報も感じることができました。
そうこうしている内に、政変や若干の自然現象も起こるのでしょうね。
私が先んじて甘受している「現実」はゆくゆく、国民全てが共有することに
なるのでは?と考えております。人災的アセンションとでも言いましょうか。
今回の福田内閣の陣容を見て、集合意識との乖離は、「はなはだしく」、
30歳台以下の感じている不安を感じることは、今の内閣にはできないようです。
このことにより、建設・運輸・農業等の1次・2次産業は、瓦解するでしょう。
お気の毒なことに、漁業者のようにシュプレヒコールをあげないと
今の与党の政治家は、現場で起こっていることすらわからないようです。
官僚の作った上澄みのデータで世の中を判断し、
恐くて地元の声もまともに聞けていないようですね。
助けようとしない者は、助けられない という法則により、次回の選挙では
その洗礼を浴びることでしょう。
そしてそこには、いわゆる政争的「政局」と
施策的対処の遅れと混乱・喪失のみが見て取れます。
全てが繋がっているが故に、一部の苦しみを見過ごすと、
それが全体に波及することを
身をもって経験することが、集合意識構築の基礎となるのではないか
と考えております。
また、今の時期は、焼き直しと毎日繰り返しの精神世界情報以外に
見ることはできない
と個人的には感じておりまして、その意味でこの沈黙の行は
時期を得たものだったと感じております。
とは言え、このブログや ひろなさん のところ「等」が変わらずに
存在するという意味も大いに感じます。
皆さんが続けられる限りは、拝見させて頂こうと思っております。
が、決して無理のないようにして下さい。
私が、次にこのブログにコメントさせて頂いたり、
ひろなさんの掲示板に出るのは、一体いつのことになるのでしょうか?(笑)
全く、わかりません。
沈黙は、本当の自分とそうでないものを真の観察者に見せつけてくれます。
自分の中で浮かび上がっては消える「阿呆」な言葉を自分で観察できて
面白いですよ。自分は愚かだな~と。
いつものことですが、長いコメントになり申し訳ありませんでした。
(まー、峠の、ぬるめの玄米茶でもどうですかね~)
こちらこそありがとうございます。時々でも気楽にお声を聞かせてください。
おなじみの奥人UFOさんサイトを通じた、仲間のみなさんも待っていますから。
案じてはいませんが、盟友の、友人の、仲間の声は本当にありがたいものです。
・・・
このコメントである程度の経済的な世相の流れもわかるような気がします。
今は川上から流れるものが減少しており、緑の裾野が縮小気味になるようです。「日本」という1つの源泉は、今、多少気付き始めたようですが、相変らず余計な支流に、貴重な水が失われている感じもします。どこかの気前の良かった被実験国は、気がつけば虚妄の体躯を残すのみとなり、次第に中身はぼろぼろになっていくかのようです。この影響は同じゲームを行なっている所にも出て来るでしょう。架空の経済成長という、考えに考えた無理なお祭りは、その後始末の時期に来ているかもしれません。
ただ我々の国土の山河を流れる実際の「水」だけは、汚さないようにと祈っています。水が貴重な時代になってきたのでしょうか。水は天からの恵みであり、その地域で確保すべきものでしょう。今からの経済活動は、今まで忘れていた基本的なものを思い起こすことが中心になりそうです。山、川、土地、そして、いつも真っ赤な他人ではあっても、近しい人々。
例えば、開発系のトレンドは、水や緑を増やすほうに向いているのでしょうかね。エントロピーを減少させることが出来るのは、人間だけでしょうから。